三河の山奥にある、田んぼもロクにない
荒地が松平氏の発祥の地である。
この地では元々、酒井氏の方がむしろ
名家であった。
流れ者の勧進坊主がこの地にやって来て
居ついた。それが家康の先祖である。
家康は源氏の傍流、新田の一族の中に
得川という姓があるのを見つけて、公家の
近衛に金銭を贈り、系図を作ってもらった。
得川という新田一族でも傍流も傍流の者に、
自らの源氏を求めた姿は哀れに見える。
歴史大好きの小学生であったボクは、得川の
存在を早くから知っていた。
家康が得川をネタに、徳川を作り出した
悪知恵のゴマカシは、その時代の人間の中に、
知る人も多かったろう。
途中まで藤原と称していた家康が、途中から
源氏にこだわったのは、ただ征夷大将軍に
就任したかったが為である。
原姓松平の後裔の中に公共放送のアナウンサー
が居る。
この男の歴史解釈がお粗末に過ぎる。
先日この男が得々として語った徳川四天王の
ハナシがヒド過ぎた。
あんな放送で歴史を学ぶ人々が哀れである。
詳細を語ってもよいのだが、あいつの立場も
あろうかと、ここでは武士の情けでやめておく。
パパゲーノ
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