作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (15) 家康は戦に弱いヤツ 】

2006-11-25 16:26:28 | 05 歴史エッセイ


家康が生涯自慢話にした小牧・長久手の
合戦での勝利。

あれは本当に、そんなに家康が誇れる
ようなものだったのかといったら、
疑問符がいっぱいつく。

秀吉本軍はビクともしていない。

睨みあったままの長陣に、武将たちは
無聊をかこつ。

池田勝入と森長可が我慢できなくなり、
秀吉に迫る。

徳川軍は岡崎を留守にして長期滞陣
している。

いま岡崎を突けば、徳川は居場所が
無くなり、はさみ撃ちに討ち取れる。
我等両名に岡崎攻撃をお許しあれ。

これは中入りといい、兵法としては
ヤバイ。

賎ヶ岳の合戦で、柴田勝家が敗れた
のも、甥にあたる佐久間盛政が8千の
兵を率いて、秀吉方が余呉湖の北・東・
南に布陣するのを、真ん中の東に位置
する中川軍を突如攻撃し、瀬兵衛清秀を
討ち取り、そのままそこに居座った。

若い盛政は、秀吉軍を南北に分断した
気で居ったが、これは見方を変えれば
挟み撃ちに遭う危険性も高い。

現に大垣城から引き返した秀吉の本軍
が木乃本に到着するや29才の盛政は
慌てることになる。

浮き足立った敗走は敗走を呼ぶ。
結果柴田勝家は前田にも背かれ自刃
するに到る。

そうした怖れがあるからと、秀吉は
危ぶむが、つい先日までは共に信長に
仕える同僚であった両名を、抑えきる
だけの権力はまだ備えていない。

あくまで敵に気づかれず、ひたすら
岡崎を目指せと念を押して池田・森の
両軍を出発させた。

秀吉はいらんことをした。
甥の秀次をこの軍に加えたのである。

奇兵は寡を以て可しとする。
戦の経験に富んだ池田・森だけに
任せておけば良かった。秀次は後の
関白で戦が上手い道理がない。

徳川方に悟らせるための大軍の催しと
なった。この点では秀吉自身の失敗と
言える。

池田と森は、秀吉の命に従い、まっすぐ
岡崎を目掛けてひた走れば面白い展開に
なった可能性が高かった。秀次ごとき
見捨てて走ればよかったのである。

間道脇に200名ほどの徳川勢が立て
こもる砦があり、先ずは血祭りにと
これに取り掛かったのが、あまりにも
拙かった。

徳川本軍の知るところとなって、池田・
森の両将は家康の前にクビを晒される
身となるのである。

秀次だけ生命からがら逃げ帰ったが、
これを以て家康は大勝利と宣伝すること
が出来るようになったのである。
世に言うほどの大勝利とは言えないが
宣伝には充分だった。

三方が原での武田との大敗北といい、
信州上田での二度にわたる真田昌幸との
惨敗といい、徳川家康ってヤツ、本当は
そんなに戦上手な男ではなかった。

           パパゲーノ


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