作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 歴史エッセイ (16) 池田輝政 】

2006-11-25 16:28:51 | 05 歴史エッセイ


出家して勝入と名乗る前は池田恒興と
いった信長側近は、こうして「いらんことを」
したばっかりに、長子元助と共に
小牧長久手で討ち死にする。

その池田家を継いだ輝政にとって、
家康は父と兄の仇であるのに、関ヶ原
では福島正則と共に東軍の先鋒を務め、
信長の孫、三法師が長じて織田秀信と
なったのが護る、岐阜城一番乗りを
果たすのである。

不思議なことではないか。
なぜ父と兄の仇の忠実な部下と成らねば
ならんのか。

この原因は生前の秀吉が作った。
まさかこんな大失敗を仕出かす破目に
なろうとは、当の秀吉は夢にも思わなかっ
たであろうが。

家康の次女、督姫というのが居り、
北条氏直に嫁いでいたのだが、小田原
落城で北条氏が滅亡し、督姫は実家徳川に
戻っていた。

何かと徳川家康のご機嫌取り結びに
忙しかった秀吉は、この督姫に再婚の
機会を与えようと、周りを見渡した所、
池田輝政が離婚して独り身であること
を知り、これぞ良縁と二人の仲を取り
持ち、自ら仲人として媒酌をも務めた
のである。

こうして輝政は奇妙なことに、父の
仇敵の婿となった。

関ヶ原の合戦の後、池田家は二つの
大大名となる。先妻の子が備前岡山
31万5千石、督姫の系統が因幡鳥取
32万石である。外様の形ではあるが、
立派な親藩に等しかった。

           パパゲーノ


ブログランキング・にほんブログ村へ Banner_04_3 ←クリックお願いします。

                       歴史エッセイ目次へ 





最新の画像もっと見る

コメントを投稿