作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 歴史エッセイ (1) 楠木一族 】

2006-10-29 21:10:00 | 05 歴史エッセイ


歴史に興味を持ったきっかけは、小学生時代に
購読していた『少年倶楽部』の中にあった、
楠木一族の戦いぶり。

二次大戦の真っ最中というより、日本の敗色が
決定的になっていく1943~4年で、ボクは
小学3~4年。

学校で習う「国史」(日本史のことをそう言っていた)
の教科書はもちろん皇国史観により、神武天皇に
始まる代々の天皇名を暗記させられた。

さて楠木一族の奮戦だが、ボクは正成・正季兄弟が
千早城に籠もって北条幕府の大軍を打ち破ったり、
芦屋打出の浜で足利尊氏を敗走させ九州へ追い
落とし、その尊氏が兵力を盛り返して、これを湊川
で迎え撃ち、衆寡及ばず兄弟刺し違えて戦死と
いった物語よりも、正成の長男正行が次男正時と
共に、吉野に逃れた南朝を支える姿に、より興味
をかきたてていた。

3年生の終わりごろから、新京の図書館に通いつめ、
南朝方の武将の伝記を借りては、その一族の名前や
系図をノートに写し取り、司書に「キミは難しい本
ばかり選んで読むが解るのかい」と聞かれた。

4年生の夏休みの宿題・自由作品に、方眼紙を20枚
も張り合わせ、天皇家を中心に、源平両氏がどう
分かれて行き、新田・足利両氏以下の武将が、どう
つながるかをそのタタミ何枚かの大きさの紙に書き
込んで提出し、特別賞を貰った。

借り出した本は、楠木・新田・足利はもちろんのこと。
名和・赤松・菊池・阿蘇・北畠・結城・山名・細川
など南北朝時代に活躍する武将たちの伝記が殆ど
だった。

楠木正行は1348年1月5日、四条畷に僅か3千の
南朝軍を率い、6万の大軍を擁する高師直と戦って
破れ、弟正時と刺し違えて死ぬ。

負け戦と分かっていながらの出陣は、北畠親房の
強引な要請の中に「父に似ぬ卑怯な子」との罵りが
あった。

吉野・如意輪寺に矢じりで彫った、一族郎党143名
の名前と辞世の歌

 帰らじとかねて思へば梓弓亡き数に入る名をぞ
 とどむる

覚悟の出陣であった。無謀な戦いであり無駄な死
だった。

ボクは小学4年生で、北畠親房を憎み、同じく父正成
を湊川の死戦に追いやった、坊門清忠、六条忠顕
などの公郷を憎んだ。

要するにボクの歴史のめり込みは、南北朝時代から始まる。

               パパゲーノ


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