1945年 東京 銀座
異世界の軍勢に一度は破壊された銀座であったが、
既にその面影はなく、日本有数の繁華街、高級商店街として復興を果たしていた。
道行く人々の顔は明るく、未来に対して楽観的かつ積極的で今日も銀座に人々が集う。
そして、そんな銀座のとある喫茶店で眼鏡をかけた東洋人と頬に傷を持つ大柄の白人男性が珈琲を楽しんでいた。
「おや、いい豆ですね。
南米産の豆と聞きましたがなかなか良いです。
この喫茶店の腕が良いこともありますが、豆の鮮度のお陰でしょう。
いっそ、こちらを本業にしてしまわれてはいかがですか、成功しますよ」
「個人的に代用珈琲に対して憎悪の感情があったからな。
農園に対する指導から始まって色々手を加えてのは無駄でなかったようだ。
ふむ、本業にするのは退職した後になら考えても良いが、今はまだ副業でしかないな」
賞賛する東洋人に対して白人が苦笑と共に否定する。
「南米産の珈琲豆を卸す商社が副業、ですか。
まあ、そうでしょうね貴方のようなスパイは―――。
欧州一危険な男、オットー・スコルツェニー武装親衛隊中佐殿」
「なになに、僕はただの冒険好きが高じて偶々こうなっただけさ。
それよりも本国のレポートは読ませて貰ったよ、ああ実に有能で優秀な官僚で政治家であるのだな、君は!
未来を見据えた産業育成、合理化のために5ヵ年計画、世界恐慌では積極的な財政でいち早く不況から脱出してみせた手腕!
軍需大臣が君がドイツにいればドイツは真の1000年帝国を築ける、と言ったのは誇張ではないようだね――辻政信大蔵大臣」
2人はただの人間ではなかった。
東洋人は大日本帝国の財布を管理する大蔵大臣にして夢幻会のメンバーである辻政信。
白人の男性は主に数々の特殊作戦に従事し、名を馳せつつあるオットー・スコルツェニー。
お互い立場は違う上に軍人と文官と接点がないように思われるが、2人にはとある秘密を共有していた。
「しかしあれから、2年。
あの子は大きくなったな…」
「ええ、子供の成長は早いですから」
転生者の影響で普及した抗生物質、電子顕微鏡、そして遺伝子の二重螺旋構造の概念。
それが当時アメリカでも最新の科学として流行していた優生学と悪魔合体を果たして悪夢が誕生した。
すなわち万能細胞を利用し過去の偉人を復活させ、さらに異人種を根絶する技術を確立。
20世紀のローマ帝国としてアメリカが世界を支配する、という正しく悪夢がそこに生まれた。
だが、これはアメリカの崩壊。
さらに生き残った研究者がその技術を手土産に第三帝国に逃走を図ったが、
それを良しとしないドイツ側の人間と日本が手を組むことで、
「自由の鐘」と称された計画の全てを闇に葬り去り、過去のものへとした。
ただ1人辻が養子として引き取った「過去の偉人の遺伝子を継承する赤ん坊」を除けば。
「あの子を通じて知り合った、
我らの友誼がこのまま続くことを願っているよ」
「まったくです」
立場は違えど子供の未来に対する考えは一致しており、
スコルツェニーは敢えてヒトラー総統に報告せず、辻は保護者として育てていた。
「当分日本に滞在するとの話なら、
また来てもかまいませんよ【会社】の同僚や部下が騒ぎを起こさないかぎり」
「それについては僕もそうだし、
金モールを吊るした上司達はできればそうなりたくないと考えているが、
問題は伍長殿が最終手段としてやる気な上に、オカルトマニアに薬物患者も乗り気と来た」
辻の比喩表現にスコルツェニーが苦笑と共に第三帝国の内情を零した。
異世界と21世紀の日本と繋がる銀座の門ついて、どうにかして情報や技術を手に入れる。
と、いう点ではヒトラー総統。
そして、色々意見を異なることが多いOKW
(国防軍最高司令部)に所属する将官達も珍しく意見を一致させていた。
しかし、どんな手段を使っても門の技術や情報を手に入れることを望むヒトラーとその取り巻き。
対して人材こそ出したが日本の圧倒的な優位の中で、安易に強硬手段に出ることに内心疑問と懸念を抱く軍。
これが軍の「成り上がりの伍長」に対する反感と、ヒトラーの軍に対する反発が合わさってややこしいことになっていた。
「それはそれは、大変ですね」
「うん、そうなんだ。
だから僕と君の友情が色々役に立つ。
ワイン商の口から決して出ない退廃的な話が僕の口から聞けるから。
そうだね、例えば―――もしも総統閣下が亡くなった後どうするか、とか」
その言葉で周囲の気温が一気に低下するような感覚を辻は覚えた。
「……おやおや、総統閣下は最近藪医者を追い払ってからすこぶる健康だとお聞きしましたが?」
少し間を空けて辻が言葉を綴る。
口調は変わっていなかったが額には僅かに汗が出ており緊張を隠せない。
「それに親衛隊であろう人間から、
まさかそんな言葉を聴くなんて思いませんでしたよ」
「はは、たしかに忠誠を誓っている。
だけど僕は同時に機会主義者であり現実主義者でもある!
それにこれはあくまで仮定の話だよ、仮定の、極東の我が友人よ」
「仮定の話、ですか」
仮定、と言ったが。
軍によるヒトラー暗殺の可能性。
それをほめのかしたスコルツェニーの内容に辻は戦慄を覚えた。
もしもこれが本当ならばあり方が変わり、国際政治は大きく動くだろう。
(史実ではこの男はクーデターを鎮圧する側でしたが、まさかクーデター側に寝返った!?
私と彼の個人的な伝手を通じてドイツの考えを探るはずがまさかこんな重大な話を聞くなんて。
いや、待て。まだそう決まったわけではない、本当に虚言の可能性だってある、何せこれは言葉の戦争ですから)
辻は襟を正すと口を開いた。
「仮定ならより深く議論すべきだと思いますね。
ああ、それとそうですね、この議論にぜひフォン・シュタウフェンベルクを呼ぶべきですね」
「ほう、それは名案だ、実に名案だ。
しかし残念ながら彼は負傷の身ゆえにこの国まではこれない、実に残念だ」
聞かれた側は表向き平素な態度を保っていたが、
スコルツェニーが一瞬頬を引きつらせたのを辻は見逃さなかった。
(ここで敢えてカナリスの名を言わなかったのが効きましたね。
その反応、何故その男の名前を知っているという反応そのものでしたよ。
間違いない、彼はクーデター側の人間を知っている、だがどの程度関わっているのか分かりませんね…)
クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐。
史実ではクーデター計画「ワルキューレ」で悲壮な最期を迎えたため世界的有名人だが、
現在はただの負傷した参謀大佐にすぎず、普通ならば名前すら出てこないし、ましてやクーデターの首謀者とは思わない。
しかし、転生者である辻はそれを知っている。
そしてその未来を先取りした知識がこれまでの夢幻会を支えてきた。
「残念ですね、それは」
「まったく、その通りだ。
彼はリベラルな人間だから君とは良き友人となれるだろう」
口調はお互い穏やかであるが、
視線は険しく、体からは闘気が満ちている。
なぜならそこに暴力ではないが、言葉を使った戦争をしているのだから。
(それに、彼はクーデター側の人間と総統の二重スパイ。
という可能性もありますし…そう、例えば我が国とクーデター側の人間が接触を図った所を狙って、
反体制派を一網打尽にする……ふむ、ヒトラーというよりも黄金の獣殿が考えそうな策ですねこれは。
逆に彼がクーデター側の人間だとすれば、ドイツは体制を本気で変えることを考えているとの伝言になる、か)
喉を潤すべく再度珈琲を口に付けて思考を重ねる辻。
「では、その良き友人以外の良き友人を他にも紹介して頂けませんか?
私はこうして仲良く珈琲を飲む友人を増やしたと今考えているのですよ」
「…ふむ、それは今の所難しいな。
何せ我が祖国とこの国とは距離が離れすぎているのだから!
しかし、そうだな…君と共に珈琲を飲むことを希望する人間を探してみよう」
珈琲を持ち上げる動作しつつ、
「コネクションを増やしたい」という意思を伝える辻。
それに対してスコルツェニーが賛同するが、本気なのか模範解答的な返事なのか区別が付かなかった。
(ドイツは疲弊したとはいえ戦争に勝った。
目的であった生存権を確保し、一次大戦の屈辱を完全に晴らした。
普通ならここで内乱騒ぎなんて起こる余地がない気がしますが……。
いや、『目的を達したので成り上がりの伍長殿は用済み』と考える人間もいなくはない、か。
特に軍は『プロイセン軍人は反逆しない』と言いますが史実では反ヒトラー派は軍に大勢いましたし)
史実の知識を動員してさらに思考を重ねに重ねる辻。
(何にせよ今の段階で結論を出すのは危険ですね。
これは夢幻会に持ち帰って議論しなくてはなりません。
ですが、そうですね。嶋田さんのためにももう少し探って見てみますか)
そこまで考えた所で再度辻は口を開き、言葉の戦争に没頭した。