<新川雑草シリーズ>
よく見ると全く同じ形をしています。
左は小判草、右は姫小判草です。
「小判草」の名の由来は垂れ下がった穂の姿形を小判に見立て付けられたものらしいが、私はよく見るとゾウリムシのような気がするのだが。
でも名前がいいじゃないですか、なんだか縁起がよさそう。
そして振ってみると シャラシャラと乾いた音が微かに耳に聞こえる。暇な木馬ですがジャラジャラと小判でも舞い込むようにとの願いを込めて、一輪挿しに生けています。
右の姫小判草は、かんざしのように揺れるので、これもまた摘み取ってきて、カスミソウをあしらうように、他の花の引き立て役として小さな一輪挿しにいけたら、いいよ、可愛いししゃれてる。
さて。
縁起を担いだ、小判草の話のあとだが、また後ろ向きの話になる。
慧の映写会(リンクしてます、映画大好きのサイトです。是非にもクリックしてみてください。)の慧さんが、昨日このブログで書いた映画「最高の人生の見つけ方」を観て、終わった時にはすっかり身につまされてしまったと記事にされてたけど、やはり私は「最高の人生の終わり方」を考えてしまう。
昨日の事
とてもよく知っている方が癌になったと聞いた。
この前も友達が癌で手術されたばかり、いままだ治療中なのだ。
「癌ってそんな、そんな身近なものなの?何かの間違いじゃないの?」と必死で打ち消すものの全く自分の意見に自信がない。何しろ私と来たら、入院はおろか、歯医者以外は病院と名の付くものに足を踏み入れた事がないという人なのだ。
だから病気に関しては全く無知で 恐怖の何物でもないのだ。
そのようなわけで癌と聞いただけでやみくもに脅えあがって、その考えが頭の中で飛躍して不安がひたすら「死」に結びついてしまう。
木馬でも一人になるとこのような不安でいっぱいになる。そして「お願いですから、私と知り合いになった方々は、死に直結するような恐い病気にさせないでください。どうしてもというなら私がこの世からいなくなってからにして下さい。」と祈っている私です。
もうこの年になって悲しい目に遭うのは嫌だ。
この場末の木馬に関係した人たちはみーんな 健康でいてほしいと説に願う私です。勿論私も含めて。
もうお客さんの悪口は言いません、人が嫌がることもしません、『でもね』といって人の意見を覆す事もしません。
こんなことつぶやきながら 雨に煙る星高山に願いをかけています。いつになくしんみりしながら・・
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曇りのち雨 26℃ 蒸し暑い。
本当に色々な事がありますが、生きている限り、頑張らなければと自分に言い聞かせつつ頑張ります。
これからも1日、1日、大切にして、笑顔で過ごせる日の多いこと願ってます。我が家は今日からロシアの人のホームステイを3日間受けました。イルテイシュ号の関連でこられているようで、これも一つの小さな、友好かなと思いつつ、、「元気出して下さいね」