今日も引き続き浜田漁港の写真です。(写真をクリックしてくださいね。)
さて。
有難いことだ。
やはり素人に毛の生えたような、階段のペンキ塗りの仕上がりに、隣の親父さんが「わしに言ってくれたら、本職みたいに塗ってあげたのに。」と言ってくださったが、人に甘える生き方はもう卒業しました、自分で出来ることは頑張ります。お言葉だけ有難く頂戴いたします。本当に気にかけてくださり いつもありがとうございます。と心でお礼を言った。
「もうこの階段が今度錆びて落ちそうな時は、木馬はここにないでしょう。」
そういったら、丁度木馬に居合わせたジンちゃんが「あと10年は頑張ってよ、木馬がなくなったら行くところがなくなる。ここのようにお客がくつろげるお店はないよね。浜田のショールームの裏の喫茶店じゃくつろげん、マスターだからかな?やはり女性がいいよね、トンボちゃん?」
「そりゃ どこの店でも毎日行けば、ここ以上にくつろげますよ、ここみたいに客が店主の機嫌を取るお店も少ないんじゃないですか?ここのえっちゃんも戸籍は一応女性ですが、もう女は○○しているでしょう、マスターみたいなものですよ。」
と相変わらずにくたらしい、トンボです。本心は木馬がなくなれば困るお客の筆頭のくせに・・・
さてもさても 人の心とは妙なものである。
恥ずかしくて人に隠しておきたいと思いながら、それを明るみにして楽になりたいと思ってしまうものらしい。それというのも・・・
この間、お気に入りのシルバーのピアスをどこにやったのか、ぽっかり忘れてしまって、とても残念で残念で仕方がない。男に買ってもらったものじゃないけど、たまたまお店のショーウインドーで見つけて、「この手が欲しかったのよ、さりげなくて、上品で」と 大枚じゃないけど、ほんのウン百円だけど(金額の問題じゃないのです。)、購入してまだ一度しか付けてないのだ。ぼんやりしてどこにやったのか忘れたのならまだ許せる。なくしちゃいけない、覚えておかなければ、すぐなくすんだからと、ポーチに入れておいたものを、わざわざ取り出してどこか安全なところにと思って、ティッシュに包んで どこかに置いた、それがどこだかわからずに、いまだに行く方知れずなのだ。
ごみ箱まで全部あさったがとうとう出てこない。
あぁ 私の頭の脳のどこかにある「海馬」は本当に狂っているのだろうか?
昨日のこと、午後から買出しに出かけようと思ったら、車の鍵がないということに気付き、お客さんそっちのけで、鬼の形相で鍵の束を探した。(店の鍵、表裏、車の鍵、家の鍵等々)
車で店まで来て、裏口を開けた、それから表も開けた、そこまでは覚えているけど、鍵の束は今ない。
まるで神隠しにあったように、突然消えた。
人様のこと言えた義理じゃないけど、ラーフル夫人もよく小銭入れをなくす。しかも全部私の手作りの小銭入れを。でもなくした場所がわかっているから、小銭入れが自分で歩いて行くわけないんだからと、ドンと構えているとその内忘れた頃に出てくるものらしい。でも私の場合は急を要する。
今の所思い出すのが先きか、不意に出てくるのが先きか、神に祈りながらスペアで間に合わせている。
やはり人の脳をつかさどっている「海馬」系統が狂っているんだろう。
人は優しいから、それとも人事だからか、「そんなことないよ、それは海馬の問題ではなくて、年齢からくるもの、これくらいの年になり、色々と忙しいと 覚えるのに時間が掛かる、あらゆる手段を使って覚える努力をしなければならない。」などといってくれるが、鍵が出てこなければ慰めにも何もならない。
占い師か誰かに聞いてみたい。「私の鍵やピアスはどこに行ったのでしょう?」
占い師といえば 昔私が子供の頃 田中佐和子という占い少女がいたよね。
お願いすると両手を顔の前で合わせて、目を閉じる。しばらく沈黙の後、「お答えいたします、豚がひらひらと落ちてくるのが見えます。それは庭の植え込みの中に隠れています。」とか言ってた。
そうだ、植木鉢見てみようーと。
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晴れ 24℃ 暖かな一日だった。