ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

お見舞い。

2009年08月20日 | 木馬の事
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              江津済生会病院

  

 いやはや何とも・・

4月に事故のことをテレビニュースで知り、お見舞いに行かなくちゃ・・・・と思いながらズルズルとこの4ヶ月、毎日毎日Sさんのことを心配していた。
だって面会謝絶の札がかかり、集中治療室でずーっと生死の間を彷徨っておられたということで、それがやっと行くことが出来てほっとした。
(4月のある日、浅利の国道9号線で交通事故されたので、江津済生会病院に運び込まれた。)

Sさんは亡くなった主人の友達で、顔には元気印と書いてあるような方なのだ。
声がバカでかく、面倒見がよく、主人ばかりか私まですっかり頼り切っていた。
そんなSさんが、しぼんでしまってベットに横たわっている そんな姿を想像しただけで気持ちがなえてしまうのだ。

Sさんは、金融関係に勤めておられて、主人が独立の話を持ちかけた時も大賛成してくれて、設計事務所を開所したときもすんなり資金調達をしてくれた。
そして私に喫茶店をするように勧めてくれたものSさんだった。
「奥さんは絶対に喫茶店という商売に向く、技術屋の旦那は営業が下手で、設計事務所にそうそう仕事が舞い込んでくるというわけにはいかないだろう。そんなとき経済的なこと考えずに仕事に没頭できるように、奥さんがサイドビジネスに喫茶店をしたらきっとうまくいく。彼には生活のために自分の仕事の信念を曲げてもらいたくない。いつも学生時代に熱く語っていた夢を追いかける仕事をしてほしいから。」そう言って強力に押してくれたのもSさんだった。当時はまだまだ喫茶店が上向き職種だったし、脱サラにはあこがれの商売のダントツ一位だった。
この私が一国一城のあるじ?、自分の店?え?凄い、私がオーナー、この私が・・
ものすごく気持が揺らいだ。
無謀にも手持ち金0のスタート、テナントでの木馬オープン、30歳の11月だった。

後日談として、Sさんは 上にお伺いを立てずに、勝手に設計事務所の独立資金を調達したものだから、返済が滞ったら自分の不正貸し付けになる恐れがある。それで、奥さんにサイドビジネスとして喫茶店を薦めた、と笑いながらおっしゃっていたけど、今木馬が建っている場所が売りに出ていた時「あの場所、すごくいい。買いだ!」といってややこしい手続きは全部自分がしてくれて、繋ぎ資金もすぐに調達してくれたのだ。
ニュー木馬が新築されてオープンしたのは、私が32歳の6月だった。

Sさんはその後 世話好きが功を奏して、浜田市の市会議員になり、まだまだ地方を活性化させるべく頑張っておられたその矢先の交通事故だった。

「乗り掛かった船、木馬を生まれさせた超本人が、くたばってもらったら私が路頭に迷います。これから先どうすればいいのか、これからももっともっと、最後まで見届けてくれなくちゃ、ずーっと相談に乗ってもらわなくちゃ。」そう言っておいとましたのだけど、「大丈夫、体は動かなくても、有り難いことに口と頭が大丈夫そうだから、いつでも店の寝せ起こせのときには相談に乗りますよ。」
いかにも世話好きなSさんらしい反応を見せて答えてくれたけど、Sさんは脊髄損傷で、腰から下が麻痺しているのと、手が自由に動かないのだ。
たとえ奇跡が起きて手が動くようになっても、車いす生活は否めないらしい。
もうじき行われる統一地方選挙の立候補を、志、半ばで断念したことを、とても寂しそうに 残念無念という顔で笑っておられたのを見て、胸が締め付けられるようだった。
私はそのうち絶対に市長になられる方だと信じていたので、余計にそんな思いがした。

ガンと戦っている義理の従兄弟といい、このSさんといい、私の最も頼りにしている、ブレーンが次から次へと元気がなくなるのが自分の身を切られるようで、そして大げさでなく勢力範囲が狭まっていくようで本当に辛い。
いままで ずーっと人に頼りっぱなしで、何をするにも一人で出来なかったけど、神様に「もういい加減に自分の足で立ちなさい」と言われているような気がした。

 

病室のある5階から日本海を望む。↑

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晴れ 33℃

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4 コメント

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週刊誌ネタだけど (フル次郎)
2009-08-20 17:37:58
珍しく買って読んだんです。 中で東大大学院教授だという女性の記事があった。

「おひとり様万歳」というタイトルだったような・・
 娘からの「母さん 一緒に暮らそうよ」というのは「愛の踏み絵」だとも書いてありました。 それを断ったのだそうです。それも母と娘の愛情のせめぎあいだったのでしょう。
ひとはそれぞれですから、この人のように強い人間ばかりではない。経済的に余裕があるというだけで随分違ってくる。 いや、決定的かもしれません。 でも、そのさん  「気持ち」で老けないでくださいネ。 お客さんだって毎日のように来てくださっているんです。
私は誰とも話をしない日が多いのです。
 そのさんに「元気でしぶとく生きてて欲しい」と思っている人はきっと多いはず。
 93歳のばあちゃん  すごいお手本デスネ^^ 町の哲学者みたいです(笑)  
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フル次郎さん (その)
2009-08-20 20:13:49
いつもありがとうございます。
いつも一人だからついつい 弱腰になってしまうのです。

>「気持ち」で老けないでくださいネ。
ホントですね、気持ちから老けたら、見かけも老けますよね。

頑張ります。
返信する
をいをい! (フル次郎(しつこい))
2009-08-20 23:18:04
その最後のポツン・・とした「頑張ります。」がやけに淋しく見えたので、今頃はてごろなロープでも探してるんじゃないか!?と心配になりました(笑)。 私ごとですが、多分そのちゃんの数倍気弱な私は今のビョウキになってから死にたくなり、海岸端で1時間考えていたことがあります。 その前は高校卒業後、一ヶ月でウツになり、離人感(医学用語)に悩まされ町をさ迷っていた頃もあります。希望がなかったからだったようです。 でもやはり死ねずに今日を迎えました。 死ぬには淋し過ぎると感じたような記憶があります。
 死ぬ時くらい淋しくないタイミングがあるはずだ、と強引にこじつけたんだと思います。
 落語の大家。。どなただったか忘れましたが「いよいよという死の床のそばに弟子達が集まっている。 師匠の呼吸が止まったかに思えて、みんなが『師匠!・・師匠!!」と叫び始める。  すると、ポツン・・と彼が『・・まだだよ・・』」 

 おあとが十分によろしいようで。。へい! おじゃまさま!
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フル次郎さん (その)
2009-08-21 10:56:16
まさか!
イザというときは 吹き抜けの店内でこと足りますよ。

大丈夫です、楽しい話題を見つけて明るく頑張ります。

心配してくださりありがとうございます。
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