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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

一年で最も憂鬱な時季

2011年01月11日 | 四方山話

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 グリンモール(市内のスーパー)の屋上から見た、江津市内です。

さぁ、成人式の日も済んだ。
お正月気分はもう捨てなくちゃ・・・

三月まで、忙しい。
確定申告の準備。これが一番嫌だ。儲かってもいないのに、申告しなければならない。専門家の税務署職員なら、パッと見ただけで、あ!この店は儲かっていないから今年は申告はいいです、という具合にならないかしらね。
それと言うもの、毎年この時期になると、心身ともに、一気に気分がダウンしてしまう。でも、こんなふうにウダウダしたままじゃ先に進めない、春は来ない、うん、これじゃイカン、と一念発起して、帳簿の整理から始めようか・・・。

愚かなトンボが言うには「この店は青色申告じゃなくて、赤色申告だろう。」
全くその通りですが、それが何か?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて。話はがらっと変わりますが・・・

今や古い話になるのかな。暮れの紅白歌合戦、ホント久しぶりに見ました。
(ところどころ眠ってしまい飛んではいたけど、80パーセントは見ました。一番感動したのはクミコでした。)
母は「最近の紅白は団体ばかりで面白くない。」とブツブツ文句を言っていました。が、そんなことはどうでもいいのです。なぜ今それを書くのかというと、紅白のゲスト審査員に選ばれていた北大路欣也が、答えにタメを取り過ぎて、司会の松下奈緒に飛ばされていたのを思い出したからなのです。
なぜ思い出しなのかと言うと、(話はドンドン飛ぶ)今年の大河ドラマ「江」で徳川家康を演じていたから。
因みに織田信長が豊川悦司、秀吉が岸谷五郎、なのになぜ一番年上の北大路欣也が家康なのだろう、ミスキャストでは??(私は北大路欣也嫌いな俳優じゃないのですが、年齢的に無理がある。この三人の中では一番若くないとおかしいと思いませんか。)

お市の鈴木保奈美 綺麗ですね。
それにしても浅井長政って、素敵な男性ですよね。すっかり生き方のファンになりました。

今度の「江」も面白そうです。楽しみ・・・

そうそう、明智光秀の市村正親っていうキャスティング、これはすごいなぁと。
本能寺の変、今から楽しみです。

雲り 6℃


gooブログの編集画面変更につき実験

2011年01月06日 | 四方山話

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 『現在ご利用の記事投稿画面は、2011年2月末日に「ベータバージョン」へと自動的に切り替わります。
より使いやすく、「自動バックアップ」などの機能を備えたベータバージョンをぜひご利用ください。 』

 ブログの記事の編集画面にこのようなお知らせが、昨年末あたりから書いてあるのを目にするようになった。

なになに!!もう今までのやり方ではブログのアップができない?
2004年の12月からこのgooブログを初めて、なにもわからなまま試行錯誤しながらホント苦労してやっと、短時間で写真もリンクも出来るようになったというのに、また一からやり直しとは、ナンタルチア。
しかしgooさんも、相談くらいしてくれてらいいのにね。どちらがいいのか選択させてくれたらいいのにね。

頭に来たからお引っ越しでもと思ったけど、その意欲も活力もなし、仕方なしに練習してみました。

まず、文字は太くも大きくもなり、これは前より楽。
次に写真のアップ、これは以前の方が楽だなぁ・・・
クリックして大きくなるのが、一応できはしたがどうしたのかまだよく理解できてない。数をこなせば手早くできるだろうか?

それにしても使いにくい。
一度書いた記事が消えないと書いてあるけど、失敗した記事も消えないのは、どうすれば消去できるのだろう。ううーん、悔しい。(プレビューに残っている。)


年を取ると新しいことに挑戦するというのは、大変な労力がいるということわかっているのでしょうかgooさんは?

と言うわけで、今日のブログは新方式の実験です。

 雲り 7℃


目からうろこ

2011年01月04日 | 四方山話
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 お正月は孤軍奮闘に付き、掲載写真がありません。
よって苦肉のアップです。(アップアップ・・・)
菜の花は 千葉から届きました。春ですねぇ・・・

さぁ どうやってやっつけようか。白和え、お浸し、胡麻和え、からし和え、お漬物。
その前に十分楽しんで、と言うわけで、活けてみました。春の優しい香りが充満しています。

・・・・・・・・・・・・・

 そういえば 大みそか、木馬の掃除を終え、さぁ今度は我が家の掃除でもと思い、つり戸棚やレンジフードの掃除を始めた。
ところが高所恐怖症の私、震えながら足元の丸椅子の真中を踏まず端っこの方を踏んでしまい、スッテンコロリン!!思いっきり尾骶骨と後ろ頭を強打した。
けたたましい物音に母がびっくりして飛んできて、「もういいわね、掃除しなくても、汚れで死んだ者はおらん。」と叫ぶので止めました。

怪我の功名とでもいいましょうか、炬燵に横になりお尻をさすりながらテレビを見ていたら、なんと”京都2011顔見世大歌舞伎”なるものを放映していて・・・

自慢じゃないが私は歌舞伎と言うものをいまだかって鑑賞したことがない。一度じっくりと見てみたいと思いつつ 田舎に住んでいるということもあり そのチャンスが訪れなかったのだ。

演目は「伊賀越道中双六片岡仁左衛門、片岡秀太郎、片岡我當等々・・・出演でした。

もうすっかりテレビにくぎ付け状態。目からうろこ状態。
日本の伝統芸能と言うのは こんなにも人の心に泉のごとく感動を呼びおこし、それほど立派な文化遺産なのだと言うことがつくずくと理解できたのだった。どうして今まで見なかったのだろうと・・・勿体ない。
役者の芸の細かいことと言ったらない。体全体が、いや指の先まで、足の先まで、神経が生き届いた演技、もう涙ボロボロ。ふつふつと感動しました。

表現者たちは誰だって、想いとか感情とか、そういう「何か」を観客(あるいは視聴者)に伝えようと思うはずだ。でもなぜか、上手いなぁ、と思う表現者は、観客に向かって両手を広げ声高に訴える、というようなことをしない。
どちらかといえば、自分自身にに向かって納得するように、あるいは、自分の内側にある景色や感情を見つめるようにして、唄ったり、台詞を言ったりしている。
少なくとも観客の目からは、そう見えるのだ。
それが具体的にどんなものかというのは、うまく言えないのだけれども。

でもでも・・・一つ残念なことが。
それは、歌舞伎と言うのは視覚的に面白いのでスンナリと理解できるのだけど、音楽部分が、邦楽部分が難しいのでお手上げ状態なのだ。
義太夫と清元、長唄、常磐津うんぬんとなると全く分からない。
歌詞を妙に伸ばすので、その前の言葉をつい忘れてしまい、全体の意味がわかりにくいのだ。
もしかして、こういう悩みは私だけなのだろうか?

何度も場を踏み、何度も鑑賞すると自然に理解できるものなのだろうか?
もしかしたら視覚にばかり頼り、耳が退化したのかもしれない。

でもそれより何より、またチャンスがあれば テレビ鑑賞でもしたいと強く思ったのでした。 

雲り 7℃ 

うさぎ

2011年01月02日 | 四方山話
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みなさまは、どんなお正月をお過ごしでしょうか。
私はといいますと 今日から仕事です。
ひんやりした店に朝一番に入り、「今年も宜しく」と電気のスイッチ、エアコンのスイッチ、ガスコンロ、そうそうメダカにも餌をあげながら声を掛けました。
どうぞ 今年は右肩下がりをせめて平行線にとどめておいてくださりませ。

さて。
大荒れの元旦、枯れ草の空き地を滑り、となりの垣根を揺らし、窓から見える夾竹桃の葉っぱを右に左にゆらし続ける虎落笛に震えながら 母と二人のちんまりお正月を祝いました。
写真のお節は通販で購入した糖尿病性腎症用のたんぱく質塩分調整お節です。(お値段9000円也)
お神酒はなしで、お茶で挨拶をしました。
「今年も以前にまして お世話掛けると思いますが、よろしくお願いいたします。」
このように先に言われてしまうと、「わかりました、頑張りましょう」となりますよね。先手必勝でした。

うさぎ年・・・
そういえば、うさぎは確か「1羽2羽」と数えるのですよね。
うさぎは「動物」なのに、なぜ「鳥」のように1羽2羽と数えるのか。
いつか調べようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
丁度いいチャンス、というわけで、PCで「うさぎの数え方」と調べてみる。あちこちのサイトを開いてみると、一番多い答えが、『仏教の掟として動物の肉を食べてはいけないとされていた』為だという。
うさぎを「動物」ではなく「鳥」とみなして食していたのだ。
だから、鳥と同じように1羽2羽と数えていた。
そして、その後。
徳川綱吉が「生類哀れみの令」を発したときのこと。
「獣の肉」を食してはならぬ、というお達しにより、人々はうさぎを獲れなくなった。
が、とある町の知恵者が2匹のウサギを獲り、「これはウとサギの二羽の鳥だ」と称して食べたのだという。つまり、1匹は鵜で、もう1匹が鷺、なのだと。
それ以降、うさぎは、
2匹(番:つがい)単位で数えることとなったのだ。
2匹でヒトミミ(一耳)。
だから、うさぎ1匹のときは「片耳」というのだとか。

ふーうん、そうなんだ。知らなかったわ。
つがいで一単位。
人が二人で一人でなくてよかった。
だってもしそうなら、江津市は人口が一万人そこらだよ。

雲り 時々雨 7℃

2010年を振り返ってみますれば・・・

2010年12月29日 | 四方山話
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年取ったせいか、月日のたつのの早いこと早いこと。
今年も日めくりカレンダーがあと二枚となった。
まるで両手ですくいあげた砂がさらさらと指の間から滑り落ちるようだ。なんでこんなに早いのだろう。
それは前にも書いたと思うが、脳のしわざらしいのだ。
目に映ったものが既に知っているものなのか、初めてのものなのかを、脳は瞬時に判断し、初めてのものは、その都度、新しい情報として整理しつつ、逐一インプットしていくのだそう。

初めての場所にドライブで行ったりすると、そこに辿り着くまで、ずいぶん遠いなぁと思うことがある。
なのに、帰りはさほどでもない。超方向音痴の私でさえそ思うのだ。
覚えのある道を逆戻りしていくと、あっという間に我が家までたどり着いてしまう。
あれ? と驚いてしまったりする。こんなに近かったっけ? と。

月日の経過もそれと同じで、子供のころは、クリスマスからお正月まで本当に長かった。
子供のころは初めてのことの繰り返しだから長く感じたのだと思う。
大人になるにつれ、年を重ねるにつれ、「初めて」のことは少なくなる。ほとんどが経験済みのことばかりだから、一日があっという間に過ぎていく。
その日を振り返っても、特別に変わったことしたということもなく、いつもと同じような一日だったとしか思えない。同じことの繰り返しの日々。
だから大人の一日は、あまりにも短い。

前置きがまた長くなったけど、今年一年を振り返ってみると、政治の世界は 小沢で始まり小沢で終わったように思う。いつまでこんなことやっているんだ、と我々国民はみな 呆れるとともに情けなく思っているはず。
権力を握るということに快感を覚える政治家なのか、我が国をどうしようとしているのか、権力を握るためにカネを集め、選挙に勝つただそれだけのことのように思える。本当にいい加減にしてほしい。

今年を笑って終えることができたのは、亀田三兄弟でしょうね。
WBA世界バンタム級王座決定戦で、とっくに峠は越えているといはいえムニュオス選手に勝ち 日本人初の三階級制覇を成し遂げた。
おまけに3兄弟全員勝ったんですもの、歴史に残るでしょうね。

でもでも、私の若いころのファイテイング原田のほうがすごかったような。
二階級制覇して、三階級制覇を目指し、対戦相手のオーストラリアに乗り込んでの試合。
相手を三度もダウンさせ誰の目にも勝ちと見えたのに、相手の判定勝ちだった。
当時八階級しかない時代、その時代の原田のフライ、バンタム級制覇は今より数倍の値打ちがあったと思う。

それにしても年を取ると愚痴っぽくなって。

雲り   7℃

週刊文春の2010文春ミステリーから。

2010年12月27日 | 四方山話
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                            日曜日の星高山

                     

すっぽりと寒気に覆われた週末、やってきました冬将軍。
冬来りなば春遠からじ・・・という言葉はまだ少し早いか。
でも寒いのはいや・・・

「12月の自分はいかにも生きている感じがする。年ごとの季節の感慨は失われて行くけど、12月に入った時だけは切実に年の暮れだという思いに襲われる。
人間の生活から滲みだす烈しいものが、本格的な冬の寒さに入ろうとする季節的条件と結びついて、この時期独特の感慨を人の心に強いる。
街を形成するあらゆるものが急にぴちぴちと生きた表情を持ってくるので、その中に身を置きたくなるのだ。・・・」
とまぁ古き良き時代の季節を書いているのですが 勿論私の思いではありません。
作家の井上靖が書いたものだと、土曜日の読売新聞に出てました。

当然この当時とは暮らしぶりも風景も変わってきているのだろうが、しかし今も昔も変わらないのは年の瀬に気忙しさだと思う。

その年の瀬って何だろう。
と思い調べてみました。
「瀬」とは、川の流れが速いこと。急流。あるいは、川の流れの浅いところ。
年末の慌ただしい時の流れを、川の流れに見立てたのが、年の瀬。
あるいは、浅瀬は向う岸に渡るところでもあるから、新しい年へ渡る時、という意味もあるらしい。

ここにきて何でも今年のベストテンが週刊誌を賑わしているが、その中で週刊文春の「ミステリー」部門・・
今年はなにやかや言ったけどトンボさんに見せてもらったお陰で、結構私も読んでるぞ。

① 悪の教典 
② 叫びと祈り
③ マリアビートル
④ 隻眼の少女
⑤ シューマンの指
⑥ 写楽 閉じられた国の幻
⑦ 小暮写真館
⑧ 綺想宮殺人事件
⑨ 死ねばいいのに
⑩ 謎解きはディナーの後で

以上でした。
因みに私は①、③、⑦、⑨ を読んでいました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記>

▼・ェ・▼さーん!

 これが私のブックカバーです。

松本清張のはトンボが昨年小倉にある『松本清張記念館』に行ったときに買ってきてくれたものです。
もうひとつのは、亡くなった主人が使っていたものです。最近になって使い方を教えていただいたので、志ん朝さんのシール(なんて言シールでしたっけ?)をはって使っています。


雲り時々雪 大風 それも台風並み・・・ 5℃ 寒い寒い。

美しい身のこなし方

2010年12月16日 | 四方山話
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 大好きな花 香はきわめて清々しく芳しい。梅の花の香にもまさると言われている蠟梅です。
え??もう??少し早いんじゃない?
梅の前に咲いて、「さぁ もうじき春が来ますよ。」と教えてくれる花だと思っていた。
そういえば、桜だって え、もう?というくらい今年は早く咲き、柊だってクリスマスまでに咲いて そして散ってしまうし・・・、

なんとなく、季節がどこかでずれているような。
花の世界の時空が、ちょっとねじれているような。

そんな気がする師走の寒い日です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて。
冬がやってきた。それも本格的な・・・
時折 窓外には粉雪が舞っています。
おーさぶぅ・・・   

そのさぶい中 市川海老蔵さん、新聞もテレビも 国を挙げての大騒ぎ?。 
個人的にはもっとほかに注目すべき事象が山積しているだろうに と思う今日この頃なのですが。
それにしてもまぁ、出てくるわ、出てくるわ、過去の夜遊びに酒癖の悪さ、女性スキャンダル。人はつくづく堕ちていく者に関心があるのだなぁと思う。

で、今週のサンデー毎日のグラビアにこんな写真が載っていて、思わず「わぁ 水の飲み方が綺麗。」と叫んだのです。
私なんか、自慢じゃないが女のくせに 片手でグラスを口までもっていき、ぐいぐい飲む。
でもこの所作美 素晴らしいと思いませんか?
やはりきちんと躾けられていないと、こんな仕草 とっさに出ませんよね。
この週刊誌を見て私が「流石だね」と感心したように言ったら、俄か躾け評論家のトンボが、「酒の呑み方は躾けてもらわんかったんだろうか?」 
偉そうに、ところかまわず転失気をぶちかます おっさんに言われたくないと思いますよ、海老蔵さんも・・・

雲り 時々粉雪 6℃                

広瀬中佐とは?

2010年12月14日 | 四方山話
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 ♪広瀬はいずこ~ 広瀬は居ずや~

最近このメロディというかフレーズが頭から離れなくて、(ここだけなんだけど)一人で車に乗っているときとか、お風呂に入っているときとか浮かんできて、何の歌だろうと不思議で仕方がなかった。
けど思い出したんです。それは・・・
今 NHKで日曜日に放映されている『坂の上の雲』に出てくる広瀬中佐の歌でした。
きっと明治19年生まれの祖母が歌っていたのだと思う。

この歌を母に聞いたら知ってました。なんでも尋常高等小学校の唱歌だったと。
だからなんとなく知っていたんだぁ・・・
いくら私が人間シーラカンスと言われようとも 明治大正時代の教科書に載っていた唱歌なんて歌ったことないからね。

とまぁいつものように歴史に疎い私が龍馬伝に引き続き、今度は明治時代を勉強できると楽しみに見ているのです。

で、暇な木馬でこの物語の話になった。
そしたらトンボが、「俺はこの手の物語は嫌いだ、大体戦争を鼓吹して、美化している、この戦争でたまたま勝ってしまったから、坂道を転がり落ちるように我が日本は軍国主義に邁進してしまうんよ。俺は日教組いじゃないけどね。民主国家なる道を寄り道してしまったんよ。とはいうもののあの時負けていたら日本は米英の属国になっていただろうし、ま、簡単に結論は出ないよね。」だそうです。
確かに原作者の司馬遼太郎も生前、戦争礼麗と受け取られることを危惧して映像化を許可しなかったらしいが、私としてはそいうことではなくて ただ単に日本の歴史をきちんと見つめるのも大事なのではないですか、そんなうがった見方ばかりしているから、人生ウダツがあがらないんじゃ と言い返したのですが・・・

ところで物語で その広瀬中佐を演じている藤本隆宏っていう俳優、濃い顔の うん?どこかで見たことある?
そう思ってちょっと調べてみましたよ。(といってもまぁ、週刊誌に出ていただけのことなのですけど・・・)

ふーーうん、そうか、そうなんだ。

なにがそうなんだって。
やはり見たことある俳優でした。それは・・・
ソウルオリンピックと、バルセロナオリンピックの水泳の日本代表選手で、特にバルセロナの時は400メートル個人メドレーで8位に入賞していたんです。
オリンピック大好き人間で、4年に一度のこの手のイベントが終わった後 燃えつき症候群に陥る私のこと、しっかり覚えていました。

この顔です、この顔 →

水泳を引退後 劇団四季に入門し下積み生活を経て、今回このオーデションに合格したとのこと。
ロシアの女性との別れの場面 素敵でした。
第二の人生の道をしっかりと歩んでいて、俳優としても、人間としても素敵ですね。

雲り時々雨  14℃

郷土食

2010年12月09日 | 四方山話
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       もっそうの型枠

 
 
 むかーし食べた味を何かの拍子にふっと思い出すと 妙に懐かしくなることがある。

子どものころ母の実家の秋祭りには家族でよばれて行ってた。
当時は食生活も一汁一菜だったので、お腹いっぱい食べられる祭りが本当に楽しみだったのだ。
この 年に一度の秋祭りは お百姓さんにとって収穫祭でもあり、一年でいちばんご馳走が作られていた。
そのころの人たちは、普段食べ物は辛抱にして、秋祭りには思いっきり 散財していたのだと思う。
穫れたてのピカピカの新米も食べられたし、香りのいい新蕎麦だって食べさせてもらっていた。
その時のご馳走のメニューで、角ずしというのがあった。
一番好きだったのが海苔まき、次がいなり寿司、この角ずしは?
これが子供心に一番まずくて、お皿に盛ってあっても食べなかった。
海苔巻きや稲荷ずしは子供の口にも合ったのだろう、しかしこの角寿司ばかりはもてあまし気味。

なにしろ寿司飯の中に五目寿司の具のような、人参や牛蒡、シイタケや干瓢等々を細かく刻み甘辛く煮たのが、まるでお餅のあんこのように入っているのだ。まだ五目寿司のほうが美味しいと思った。
当時 冷蔵庫なんてない時代、日持ちをさせる工夫なのだろう、寿司飯も酢がしっかりと効いていて、酸っぱさが半端でなく、子供の舌には合わなかったのだと思う。
この角ずしがこの石見地方の郷土食だと知ったのは、同じ島根でも大田以東の方が知らないといった時。
そうそう、この地方ではこのお寿司を”もっそう”とも言っていた。

子供のころ嫌いだったけど、今食べると懐かしいかもね、でもあれってどこにその寿司形が売っているんだろう、昔の人はどのようにして形よく作ったのか、聞こうにも祖母はもうこの世にはいないし、
と話していたら、お客さんが、邑智郡のある産業祭で見つけたと持ってきてくれた。

 

そんなわけで 昔食べたのを思い出しながら作ってみたのですが・・・。
冒頭の写真の形に ご飯を詰めて、ニンジン、ゴボウ、シイタケ、かまぼこなどの具を甘辛く煮たのを詰めて、またご飯を乗せてサンドにして蓋で押す。
これって結構 力が要るんですよ。
力いっぱい押しても、形よく出来ません。
最初はぼろぼろで失敗しました。

そうだそうだ、押さえておけばいいんだ。そう思い2キロの漬物石で1時間、押さえていました。
そして成功したのがこれです。

子供のころ 美味しくなかったのに、懐かしさもあったのか、とても美味しゅうございました。

雨大風 雷、 9℃ 寒い、寒い・・・

寒冷前線とツユムシ

2010年12月03日 | 四方山話
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 夜ではありません。
今朝の9時過ぎの木馬のカウンターから見えた風景です。

寒冷前線が日本上空にやってきて、朝から大荒れ。
真っ暗、篠突く雨が窓をたたき、風にゴミも枯れ葉も舞う。
雷ゴロゴロ・・・怖い怖い。
昨日NHKのお天気キャスター 半井さんが言ってましたが、本当に大荒れです。
なんか不気味・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて話は変わって・・・

 

地球儀にしがみついているのいではありません。
トンボが「重たい、重たい、首がだるくなったわ。」といいながらヘルメットに乗っているのバッタ(ツユムシ・・・キリギリスの仲間)を持ち込んだのです。が、よくとく見ると羽根をが病んでいる。
きっと肉食の昆虫か何かに羽根をかじられたのでしょうね。

なんかこのまま放すと、死んでしまいそうな気がして、ベランダの蘭の葉っぱの下に置いてあげました。

そうは言っても昆虫の大半は寿命が短い。
成虫になるためには脱皮を繰り返すが、成虫になると脱皮しなくなるので脱皮しなければ古い外骨格のままで基本的には細胞分裂はない
つまり羽化したときの細胞のままドンドン古くなり 傷つけば傷の修復はナシで 細胞の死亡がそのまま成虫の死亡となる。                 
昆虫の変態の最終点は成虫であり 成虫が脱皮をして長生きする余裕もなく 最後の細胞の命が尽きないうちに
アタフタと交尾相手を見つけて 交尾をし その時点でオスの役割は終わりで メスはそのあと産卵場所を探してサッサと産卵を済ませて死んでゆく。 
昆虫ばかりでなく鮎だって、一年で死んでいく。

昆虫や植物や、生物などは、種の保存や子孫を残すことが「生きる目的」には違いない。
でも、それにしたって、一生が短すぎる。
長生きが即幸せとは思わないけど、きっと短くてもちゃんと役目を果たせて、充実した一生なのでしょうね、昆虫や植物は・・・
それに比べて私など、なーんの目的もなくただ生きながらえているような気がする。情けない・・・

それにしても、昆虫の生態なんて 学校でちゃんと習ったはずなのに、いつの間にかすっかり忘れてしまっている。
知っているようでなんにも知らないのだ。

そんなわけで、ちょっとだけ調べてみたのでした。

暴風雨 雨風雷 15℃