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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

「雪冤」・・大門剛明著(角川書店)他一冊を読む 8/11読了

2009年08月14日 | 本の事
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 私が愛してやまない太宰治の「走れメロス」の話を土台にしてあったので、とくに入り込みやすかったということもあるが、面白かったと思う。
勿論甘納豆で読ませてもらったのだけど、久々の社会派ミステリーかな。

「雪冤」とは無実の罪をすすぎ晴らすことだそうです。こんな言葉初めて知りました。
まさしく冤罪のことなのです。

推理小説の醍醐味(だいごみ)はトリックをどう楽しむかにある。謎を仕掛ける作家に対し、その手のうちをどこまで読めるかは読書の楽しみであり、スリルを味わうことでもある。だが、物語が予想通りの展開になると、読者はがっかりする。読み手をどこまで騙(だま)せるかは作品の成否を握る鍵で、作家は読者の心理を予見し、その推理を出し抜かないといけない。かといって、彼らの「やる気」を挫(くじ)いてはならない。不即不離の状態が望ましいが、読者をその気にさせるのは簡単なことではない。その点で、この小説は成功している。毎日新聞書評に書いてあった。

ううむ、この若かりし頃はサスペンスおたくだった、経験豊富なおその姐さんをも騙すとは、新人ながらあっぱれ!といいたい。(少々偉そう?)どんでん返しがこの小説を最後まで、飽きさせなかった。

そうは言うもののこの本の真のテーマは死刑は是か、非かということで、その論争がこの本の中で展開されるけれど、それが一番読み応えのある部分でありまた著者の訴えたかった事なのではないかと思う。
そして、裁判員制度の導入によって、現在司法の問題が広く注目を集めているが、書名が示す通り、この小説は冤罪問題を題材にしている。

無実の罪で逮捕された息子の死刑が確定された後も、息子の無実を信じ再審を求める父親を軸に書かれているのだけど、無残にも最愛の息子の死刑が執行されてしまう。その苦しみに耐えながら、父親は真相解明に立ち上がったのだ。
手の込んだミステリを通じて死刑制度に疑問を投げかける。死刑賛成派・反対派の意見をふんだんに織り込んでいてミステリとしても二転三転する真犯人に何度も騙されてしまう。
ただ読んだあと、あまりに凝った作りのため、ここまで混ぜくらなくてもとの読みづらさの印象も拭えませんが・・・。

でもう一冊。
リビドヲ・・弐藤水流著(光文社)
この小説正直言って あまり好みではない。
そう言ったら「あんたの好みで本を買っているのではない。」といわれましたけど。
そんなわけで斜め読みしました。

残虐連続殺人事件が発生。凶器、被害者同士の関連、不明。妻を残し失踪した男が捜査線に浮上するが、彼には人を殺す理由がない。失踪した男の妻。男の旧友の元精神科医。覇気のない年下の相棒に苛立ちながら捜査する刑事。それぞれが探るうちに、男は失踪直前、未完成のままお蔵入りした昭和30年代の映画を観ていたことが判明。映画黄金時代の撮影現場で何が起こったのか?バブル期の東京で、誰が、何の目的で、殺人を続けるのか?―しかし、これらは恐怖の幕開けに過ぎなかった。この物語の結末を見届けるのは誰だ。(「 BOOK」データベースより)

作中の未完成映画は阿部定事件を扱ったものらしく、主役の男優が次第に憑かれたような感じになって行くのが印象的だった。


久々の晴れ 30℃

「最も遠い銀河」・・白川道著・・幻冬舎(7/30日読了)

2009年08月02日 | 本の事
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 物語の中に滑り込む というような感じ。
というか、物語の奔流が読んでいることを忘れさせるほどのすごさで襲う。物語の世界をじかに体験させられた、そしてそういうエンターテイメントな本にはめったに出会えなくなった昨今。
天国の階段から8年ぶりの書下ろし、行間からほとばしる白川道の熱情がひしひしと伝わるような一冊だった。いやぁ~面白かったです。

 上下2巻原稿用紙にすれば2500枚の力作を 持病の睡眠病を抱えているのに、寝る間も惜しんで一気に読み終えた4日間。
このうえなく「懐かしさ」に満たされた4日間でもあった。
そして、愛も、恋も、ロマンもすべて枯れ果ててしまったこの私の心の泉に、ふつふつと熱い感情が湧きでてきたのです。私はいくつになっても純愛に弱いんだなぁ、あらためて思い知った数日間。読み終わるのが惜しい。ラストで胸が熱く焦げてしまった。
バカバカバカ、桐生のバカ、でも好き、好き、好き、桐生大好き・・・しばらく本を胸に抱いていました。

最高の時間をくれたトンボさんに感謝です。
感謝の気持ちを素直に伝えたのに「喜んでくれてうれしいよ。いつも俺のこと軽い男だ、薄っぺらな男だ とののしるけど、薄っぺらなりに気に入ってもらえるような、いい本を探し当てたんだ。そりゃよかった。今から読むんだけ、あらすじを言うんじゃないけね。」とにべもない。このお方は人が下出にでると、高飛車にでる傾向があり、それを指摘すると、「人間なんてそんなものよ、長いものには巻かれろ的な 自分のそういう性格が大好きよ。」とバカなことを言う。
あぁ 超カッコいい桐生と大違い。
でも、でも 言いたい、言いたい、話したい、誰かにしゃべりたいそんな気分。困った、困った。
ブログに書くけぇ 読み終わるまで「ブレンド日記」開かんでね。

というわけなんですが・・
前作「天国への階段」でもそうだったが、またまた主人公たちが美男・美女だらけで、出来すぎ、誰もが振り向くようなハンサムってどんな顔と思ったけど、でも物語なんだから、いいか。、やはり主人公は綺麗である方が楽しめる、そう思いながら読み進む。アランドロン?なのか桐生のモデルは?。
物語の中で、「太陽がいっぱい」が出てくるのだ。うーん、日本人には桐生のようなハンサムはいないかも・・。

主人公は超ハンサム建築家桐生晴之。様々な過去を引きずって生きている。ストーリーは彼の妹として育った誰もがハッとするような美貌の美里の死の謎 そんな彼を追う元小樽署の刑事の執念 桐生の成り上がってゆく様 を中心に展開する。

その主人公の新進気鋭の建築家・桐生晴之は、新しい事務所の開設に向け、仕事の獲得に邁進していた。
桐生は小樽の貧しい家庭に生まれ、同じ境遇で妹のように面倒を見ていた美里とともに東京へ出てきた。
そして、チンピラ組織を束ね生活するようになっていた。
しかし、ある出来事をきっかけにこれまでの生活を改め、幼い頃からの夢だった建築家を目指すことにしたのだ。
桐生の大学の親友でライバルでもあった葛城が、高名な建築の賞を獲得した。
葛城は裕福な家庭に生まれ、縁故も多彩でいい仕事が舞い込んでくる。
桐生はもって生まれた美貌を生かし、女を利用してまでして仕事を取っているというのに。
しかしこの葛城にも恵まれたが故に悩みがあるのだ。
桐生はどんな手段を使ってでも、一流の建築家になって見せると自らの命を金に換えてまで学費の捻出をしてくれた、死んだ美里に誓うのだった。

そんな折、桐生は立ち寄った画廊で美里と瓜二つの女性を見かける。(これが出来すぎでも小説だからいいのだ)
その女性は、建設業界の大手・サンライズ実業の会長の孫・清家茜だった・・・
運命が仕組んだ見えない糸に操られながら迎えるラストには、深い哀愁が漂い満ちる。

うーん、読み出したらやめられない、大長編メロドラマである。
貧しい家庭に生まれ、努力してのし上がる美貌の主人公。
裕福な家庭に生まれたライバル。
大企業の会長の孫娘。
そして、執拗に主人公を追う老いた元刑事。

なんかこのあらすじどこかで読んだことがありそうで(飢餓海峡や砂の器、太陽がいっぱいも・・)でも、微妙に違うのは、以前読んだ「天国の階段」と同じように白川道らしいし、しつこいほど丁寧に描く人物描写もそして、なかなか進まないストーリーにイライラもするが、(生い立ちや、やくざ生活など何度も同じことが書かれている。)この作品は、細かい人の心の機微を堪能しないと理解できないんだと思うと我慢できる。そんなわけで少々中だるみしながらも、最後はしっかり着地していた。本当はみんないいやつなんだ、そう思える。

朝は平等にみなにやって来る。でも日が昇ってから不平等が、不公平がみなを襲う。でもまた明日の朝はみなに平等にやって来る。を読んでぐっと来た。日が当たる所に落ちた種子(生まれながらにして金持ちに生まれ苦労をせずにすむ子)がいて日が当たらない所に落ちた種子がいる。

この言葉がこの小説のテーマであると思う。

愛に飢えカサカサした日々を過ごしている寂しい方は、是非にも暇を見つけて読んでみてください。
青春時代に忘れてきたものが見つかるかもです。

「神去なあなあ」・・三浦しをん著 (徳間書店)・・7/20読了

2009年07月24日 | 本の事
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  ここのところ少々引きこもり状態になっている。
いえ、私のことではありません、トンボさんなのです。
『甘納豆のおじちゃんは?』とマゴが木馬に来て姿が見えないので心配していたよ。」といったら「俺も会いたかったよ、あんたんとこの孫くらいだけ、おじちゃん大好きといってくれるのは、でもあんたんとこの孫に会うために、生活パターンは代えられん。俺も暇そうに見えて忙しいんじゃけんね。」と最後には広島弁で口をゆがめて言ってましたが・・・
それもこれも「IQ84」パラレルワールドにはまり込んでいるかららしい。

村上春樹はあまり好きじゃないとかなんとかブツブツ言っていたが、私が「面白いから、騙されたと思って読んでみて。」と強要したのだ。
それがなんと読み出したら止まらなくなったらしい。(ほら言わんこっちゃない。)
図書館の返却日は24日なのでそれまでに読み終えなくてはならないと、頑張っているみたい。(ホント愉快。)
「いまどこまで読んだ?青豆は生きてるかね。」来るたびに聞いてやる。(なんか優越感)
「だけあんたに先に見せるの嫌なんよ、あんたには絶対に言わん、すぐ結末を言うけぇ、それより三浦しをんを早よ読みんさいよ。」
(ふふふ、だから言わないこっちゃない。)

話がそれてごめんなさい。
で、IQ84を読んだあと この本を(神去なあなあ)読み始めたら、なんか心ここに非ず状態で、俄かに入り込めなかったのだけど・・・一応読みました。

物語は・・
語り手の「俺」は平野勇気という高校を出たての若者(多分に少年ぽい)。横浜育ちなのに母親と担任教師の陰謀によって、知らぬ間に「緑の雇用制度」に応募させられていて、三重県の神去村(架空の地名)なる大山奥に追いやられる。つまり林業に就職させられてしまう。
最初はいつ逃げ出そうかと思っているが、次第次第に、神去村の住民との生活や、自然やその山と一緒に生きる喜び、楽しみを覚えていき、住みついていくという物語。

林業を生業にしている人を知らないけど、ここは山だらけだから、山に関しての知識は多少あるつもり。

日本の山持ちの8割以上が20ヘクタール以下の山林しか持ってないから、山を買うときは斜面の下を誰が持っているかよく調べてから買ったほうがいいという。
なぜなら、三郎じいさんの言葉を借りると、「性根の悪いもんだと、下の土地を通るのを許してくれんのや。そうすると、せっかく切った木を運び下ろせんやろ」
ということになるかららしい。 
そして、樹齢が20年を超えた森はだいたい5年おきに間伐し、良質の材になりそうな木だけを残していかなければならない。間伐しないと木が密集しすぎて、生育の妨げになるからだ。
しかし、間伐しすぎてもよくない。特にヒノキは、日当たりがよすぎると枯れてしまうらしい。それに30年生ともなれば、間伐した木も材木として出荷される。
そういうことが次々に出てくる。
山での出来事は神様の領域なので、お邪魔しているだけの人間はよけいなことに首を突っ込まない、ということも語られる。

山火事や祭りの場面は、よくぞここまで調べたなと思うくらい、ハラハラドキドキものでしたが、やはり村上春樹を読む前に読んだ方が余計入りこめたかもです。

とは言うものの 神々しいまでの大自然、逞しい男たち、そして時間の流れがゆったりしていて、何か別の世界にいるような気にさせてくれる小説でもありました。

夏にお勧めと書評に書いてあったのも頷けます・・・

雲り時々小雨  午後大雨 29℃

「LQ84」・・村上春樹著 (新潮社)・・7/15読了

2009年07月19日 | 本の事
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 寝る間も惜しんで読み終えた「IQ84」。
パラレルワールドに酔いしれた4日間だった。

結論から言うと、ベストセラーは裏切らなかった。それほど面白かったのだけど、う~ん、上巻は正直にいうとわくわくしてページを閉じるのが惜しい様な気がした。でもでも下巻は少し息切れ?のような(不完全燃焼感が残る。)・・・
とはいうものの村上春樹はこの7年きっと、取材したり勉強した事を全部この小説の中に投入して、筋を練ったんだろうとも思う。

またまた偉そうな文芸評論家ですが、村上春樹の小説は、文章の流れがきれいで語彙もほれぼれするような、そして自然描写が素晴らしいといった類の小説ではなく、それより物語が(ストーリー)が斬新で面白く新鮮で 読む者をまるでゲームの世界に引き込む様な、そして次から次へと展開が早いので読む者を飽きさせないような小説だと思う。
言ってみれば、精緻に作られた言語小説だから、その巧みな言葉の音楽についつい耳を傾けたくなる、そんな気がするのだ。
だからかっぱえびせん状態、やめられない止まらないになるのだと思う。

物語の舞台は、1984年の東京。
「青豆」と「天吾」という人物の話が交互に入れ替わる。
「青豆」は専門的な技能と訓練が必要とされる職業についている。(必殺仕掛人の梅安と同じ職業)
「天吾」は文章技術は高いが、書いても売れず、予備校の数学教師をしている。
「天吾」は時々仕事を回してくれる知り合いの編集者から文章は稚拙だが、どこか光るものがある十七歳の美少女「ふかえり」の書いた不思議な小説「空気なぎさ」の改稿を頼まれる。
はじめのうちは別々の物語のように進行する。二つの話はどこで混じり合い、どこでこの主人公たちは出会うのか、上巻ではまったく別の二冊の物語を読んでいるのかと思った。
ところが、密教系カルト「さきがけ」を軸に次第に繋がっていくのだ。けど、結局二人は合わないんですけどね。

そして、そのふたりが暮らしているのは1984年なのだけど、それが何かの拍子で1Q84年という世界に入り込んでしまう。このあたりが村上ワールドね。

普通ではないことが次々と起こり、1Q84年の中へ、深く深く入り込んでしまう。
そしてもう、その世界から抜けられない。入り口はひとつ。出口はない…。
後戻りのできない1Q84年に引きずり込まれた二人は、それぞれの役目を全うするしかない。自分に与えられた任務をこなすしかないのだ・・

読み終えて、この小説のテーマは「先のことは誰にもわからない」だと思う。
そして冒頭にタクシーの運転手が青豆に忠告した「見かけに騙されないように、現実というのは常に一つきりです。」意味深なことば・・

村上春樹の文章はとても読みやすく読者を引き込み、スラスラとページをめくらせるけど、内容はけっこう難解ですが・・
でもとても面白く、お勧めです。

”IQ84”が届いた。

2009年07月13日 | 本の事
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 さてもさても、ここにきて・・・
忙しい、時間がいくらあっても足りない。こんなことは初めてだ。
仕事が忙しいんじゃない、読まなくちゃならない本が、たまっているのだ。
どうしよう、真剣に悩んでいる。

夢にまで見た村上春樹の新刊”IQ84”がようやく手元に届いた。図書館から回ってきたのだ。

その前にトンボに最近本がないね、甘納豆は切らしてないのに、と嫌味を言ったら「神去 なあなあ」という本を貸してくれた。
読みはじめてというか、第一章を読んだところで、図書館から電話があり、予約の順番が回って来たとのこと。
期日はあるし、後も閊えているし、三浦しをんも面白いし・・これも売れ先が決まっているらしいし。重なる時は重なるもので、そのあとすぐ「最も遠い銀河」が届く。
これも上下でおまけに小さい字で二段になっている。でも面白そう・・
う~ん 真剣に悩む。
今度の連休は尼崎のマゴマゴが帰省するから、読めないしね。
テレビドラマなら、半分見てまた来週ということもあるのだけど、本はそうはいかない。興味のある新刊書を読めるチャンスなんて そうは巡ってこないし、どうしよう、・・・

どれから読んだらいい?とトンボに意見を求めたら 「IQ84から読みんさい、俺のはあとでいいから・・」とのこと。
珍しく寛大な答えに思わずサンキュ!!!

その村上春樹は、最近 最も好きな作家の内にはいる。
そんなわけで わくわくしながら本を開く、読みはじめる、まるで眠りにストンと落ちるように入りこんでしまう。本当にこの人の本を読むとその「落ちる」瞬間を、時々実感するのだ。
なにも耳にも目にも入らずに、主人公になり変ってその世界で夢見ているように動いている私。
それというのも、村上春樹の小説は、パラレルワールドといって、日本訳は「並行世界」我々が生きる世界とは別に存在する世界を描いているからなのだ。
ドアーの音に突然我に帰り、「あ!お客さんだ。」と現実に気付く。
困ったものだ。私は本屋の店員には絶対になれない。

で、新聞や週刊誌の書評を読むと、地下鉄サリン事件あり、サスペンスあり、SFあり、恋愛、観念小説、いろいろな要素が詰まった作品とある。

地下鉄サリン事件といえば村上春樹は著書「アンダーグラウンド」でこの事件の被害者たちにインタビューしてこの小説を書いている。

そしてこの作品「アンダーグラウンド」は、村上春樹にとって「東京の地下でほんとうに何が起こったのか?」と疑問を抱いた地下鉄サリン事件を、さまざまな角度からリサーチして確認していく作業だったに違いない。
これを、いつか作品にしたいと思っていたと何かの本か、インタビューで読んだことがある。

話は戻るけど、「1Q84」は面白い。まだ171頁しか読んでいないけれど、すっとその世界に入り込めて、とにかく読みやすい。
想像していたよりずっと現実に近い物語だけれど、でも既にどこか微妙にズレはじめていてパラレルワールドに誘い込まれたような、ここからどこへどう向かっていくのか。青豆と天吾はどこで出会うのか・・ううむ。
しばらくは、現実ではない、もうひとつの世界を漂う日々になりそう。これぞ活字中毒にとって、至福の時。

あぁ 夜がなけりゃいいのに、暗くなると反射的に すぐ眠たくなるのでね、わたしゃ・・

雲り時々薄晴れ 31℃

「弩」・・・下川博著 小学館 を読む。(7/8読了)

2009年07月10日 | 本の事
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 少し前まで、ホント小説はあまり読まなかった。
若い頃、30歳くらいまでは熱心に読んでいたけど、生活に追われて年々読む回数が減っていた。
ここにきて一日24時間が全部自分の時間になったのと、トンボが毎月5,6冊読んでいるので、それをうまくだまして、見せてもらうようになって読む回数が増えた。

でも私に言わせれば 昔のベストセラ―のほうが感動が大きかった様な気がするが、それも年齢からくるものなのかもしれない。
なにしろ当時は本を閉じるのが勿体ないような、そんな本ばかりだったもの。

そんな中、久々に読み終わるのが勿体ない様な本に出会った。

そしてそしてなにより、私の大、大、大好きな『黒澤明監督「七人の侍」から55年―――。こんどは、百姓が武器を取った!』と帯には書いてあるではないか・・

調べていくうち これは、鳥取県智頭地方で、鎌倉時代末期、農民たちが武士を雇い、悪党の襲撃から村を守ったという言い伝えを基にしていてそう、黒澤明の『七人の侍』にヒントを与えた話である。ということ。

黒澤監督や橋本忍らの証言によれば、『七人の侍』は、当初は武士の一日を描くものだった。だが、当時武士の生活は、二食だったのか三食だったのかすらも分からず、ほとんど実態は不明で脚本にできなかった。
そこで、歴代の名剣豪の逸話を集めることになり、それをまとめてシナリオができたんだとか・・・

勿論 期待して読んだ、読みすすむうち、う~ん、「七人の侍」にはやはり及ばなかったものの、でも面白かった。

物語は・・
14世紀半ば、山間にある因幡の国(今の鳥取県)智土師郷は年貢の取り立てにあえいでいた。主人公吾輔は、山国の村の唯一の特産である渋柿を輸出して、海辺の村から塩を入手し村を豊かにしたいと思う。

この地域の領主となった称名寺の雑掌(ざっしょう)(領主の代官で、ようするに 現地責任者だ)の代理となった光信が善意のかたまりで、税を免除するだけでなく 持っているものを全部与えてしまう、そして最後の財産である朝鮮ニンジンを吾輔の差出し商売の元手にするように言うのだ。
吾輔、澄の親子が、義平太、小萩の兄妹と、山の中で会うシーンなどまるで映画を見ているようだった。で、のちこの物語の大切な役をになう義平太、そして小萩は五輔の奥さんになるのだけど。此処までが前半かな。
次々と物語の展開がはやく、飽きさせない。早く読みたくなる。

だが、物語のメインは後半に用意された武士と農民の戦い。
これがけっこう迫力有り。さすがに「七人の侍」には及ばないが、様々な戦略を練った上で武士たちと戦うシーンや、そこで見えてくる人物像がうまく書かれてる。
ページの残りが少なくなる、なにか映画のワンシーンを見ているような文体がほほえましかった。

お勧めです。

そうそう、表題にもなっている「弩」とは、クロスボーのような武器。
これで矢を射ると鎧兜もあっけなく貫通するという破壊力の武器らしい。
弓等と違って扱いやすく命中率も高いらしいけど、連射性能が劣り、「道」を追求する武士には向かないため廃れたとのこと。
そして極めつけの廃れてしまった理由のひとつに、武士の誇りが武器としての弩の普及を許さなかったっていうんだから、武士道とは生半可じゃなくて凄いものだと思う。

雨 夜中大雨。午後晴れ 31℃

「一手千両なにわ堂島米合戦」・・岩井三四二著・文芸春秋社 (6/28読了)

2009年07月05日 | 本の事
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  一手千両なんて濡れ手に粟の本かいな、と思い読んだ本。

「最近 本がないね、甘納豆はいつも切らしてないのに・・」とトンボに催促したら、しぶしぶと「2日半で読みんさい。売れ口が決まっているから。」
と見せてくれた本です。

あーいやこーいうトンボだけど、いやぁー面白かった。読み出したら止まらなくて、半日余って2日で読んでしまった。

経済事情や株、先物取引などまったく疎くて、何がどうなっているのかさっぱりわからないけど、それなりに素人にもわかるように書いてあり、それより何より、殺人事件の犯人を捜しあてるという物語なのだ。

幼馴染みの変死に不信を抱いた吉之助が、事件を捜査する過程で堂島の“闇”を知るというミステリータッチでドキドキさせ、そして最後まで先の読めないスリリングな展開の上に、経済情報やビジネスマン向けの教訓を見事に融合してみせたのだから、経済小説でありながら、サスペンス小説でもあるというぜいたくな一冊。

犯人は十文字屋とわかっているのに、役者が一枚も二枚も上の悪玉、動機や証拠が見つからず、告発ができない。
そのため中盤までは、動機の解明や人を殺してまで犯人が守ろうとした陰謀のカラクリを解き明かすため 危ない橋も渡らざるを得ないのだが、う~ん、大丈夫なの、まだまだ売りなのと、いらいらしながら読む。
しかし事件の全体像が判明する後半になると、吉之助が、天才的な相場師でもある十文字屋を破滅させるため、市場で乾坤一擲の勝負に出るのだ。

私は経済にも、歴史も弱いので、商品先物市場(米市場)が作られた一八世紀の大坂堂島を舞台にした、江戸時代の壮絶なマネーゲームがどこまでが史実で、どこからが虚構か全く分からないが、濡れ手で粟”を夢見る人間の欲望がいつの時代も変わらないことだけは実感できる。

とても面白かったです、そして私は先物取引は絶対に無理だなと感じました。
私は 先を見る目がないし、少し上がったらきっと売ってしまって、元金だけは確保しようとするでしょうね。吝嗇家だから?
それもあるけど、お金がないからです。


『志ん朝の走馬灯』・・京須偕充著 (ちくま文庫)を読む。(6/15読了)

2009年06月25日 | 本の事
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 ある日 週刊誌の新刊紹介で見つけた。
大好きな志ん朝の本、勿論すぐ買った。

著者はなんでも志ん朝の落語の録音プロデューサーらしい。
志ん朝が好きで好きでたまらなかったんだろう。随所に 尊敬と敬愛を感じる。
そしてずうっと志ん朝を追いかけ、その高座をあまた見聞きしてきた著者だけに、志ん朝の芸の魅力を全方位的に紹介しているのだ。

たとえば「〈志ん朝七夜〉をめぐって」の稿で、こんなことが書いてあった。
古今亭志ん朝が高座へ出る。まずその姿勢がいい。着物が泣いて喜びそうなやや小太りの体型.目鼻立ちの整った容貌。
そして私もいつも思っていた、声が耳に心地よいのだ。

その声を魅力を見事に書き表している。例えばこんなふうに・・・

「高すぎず低すぎず、細めでも太めでもないその声。だが、中音中声に小さくまとまっているのではなく、実に伸びやかで、張らなくても通る。高声と低声--
甲(かん)と呂(りょ)の使い分けも巧みだから、ダイナミクスの幅は広く、声の色合いも変化に富んでいる。」と・・・そして

「声帯の発する音が口蓋、胸郭、そして体全体にうまく共鳴するようだ。だから無理な発声をする必要がなく、声の艶と若さが保たれる。
響きが豊かなのに少しも喧しくないのは、濁りや不純物が少ない声質だからなのだろう。」とも書いてあった。
偉そうだけどファンとしていわせてもらえば 何度聞いても飽きないということは言葉に艶があるからだと思う。

この本を読み そうか、井戸の茶碗の録音にはそのようないきさつがあったのか、とか、枕でお客が笑っているのはそういういきさつがあったのかと、今更ながら、高座を一度も直接見に行けなかったことを悔やむ。
「井戸の茶碗」の収録のとき枕で「風邪をひきまして・・・」といってたそうで このころから体調を崩していたんだとか。

話は少し飛ぶけど、この前 一人旅のとき帰りのバスでたまたま聞いたのは「お直し」
後ろの座席の親父が車の中でずーっといびきをかいていたので、ボリューウムを目いっぱい上げて聞いて帰ったのだけど・・
おなじみの郭噺ね、
牛太郎と花魁がいい中になり、本当はご法度の職場結婚を、お情けで所帯を持たせてもらうのだけど・・・

とにかく枕がいい。
「吉原は金のない若いもんでも行ったといいます。あのう、ひやかしですな、格子窓の間から、花魁が火をつけた煙草を一服すわせて、あがっておくれよ、なんて言います。若いもんは今度くるよ、本当だよ、といって煙草だけ吸って逃げます、いまでいうウインドショッピングですな。」

ま、それにしても今でもこういう本が出版されるとは やはり落語の天才だったのかもですね。

昨日のブログに書いた枕の噺ですが・・
「目病み女と風邪ひき男とよく申しますが・・」崇徳院です。

え?私が言わなくても皆さん知ってた?

どうもすいません。

晴れ 30℃

「レッドゾーン」・・・真山仁著 (講談社)を読む。(6/3読了)

2009年06月14日 | 本の事
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ここんところランキングが上がっていて、驚きとともに こりゃ一生懸命更新しなくちゃ そう思っている昨今です。
ただ自分が元気でいることを都会に出ている子供たちに伝える為、始めたブログ、それなのに こんなにも皆様に見ていただき感謝に堪えません。 これからも毎日更新頑張りますのでよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございます。

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 (ハゲタカ)シリーズの第三弾らしいけど、私は始めて読んだ。なんでもロングセラーになった本らしい。
あまり新しい小説を読まなかった私は知らなかった。
で、結論から言うと大変面白かったです。

「あんたはいつもどんぶり勘定で 経済に疎いから、こんな経済小説は好みじやないかも知れん。」と愚かなトンボが、私に見せ渋ったけど、どうしてどうして、とても面白く、上下二巻の分厚いのを一気に読んでしまった。

今経済はグローバル化していて、恐ろしい勢いで世界に広がっていくというのを実感しているので、そういう意味でフィクションというより ノンフィクション的な感覚で読んだのだけど・・
それというのも サブプライムローンから始まるアメリカ経済界の動揺、リーマンショック、ビック3が既得権益を守ろうとする経営者と労働組合に食い物にされている実態、中国やアラブ諸国が相次いで設立した国家ファンドの暗躍といった先端情報がきっちりと盛り込まれているのだ。

この物語は”ハゲタカ”VS”赤いハゲタカ”という戦いになるのだが、世界的な自動車メーカーであるアカマを巡っての買収劇が繰り広げられるのだ。

アカマ自動車とは、多分、トヨタ自動車を、モデルにしているのではないかと思うのだが・・。
経営者と社員が一枚岩になった磐石な経営と言われたアカマ、それが創業者一族の最高顧問、修平の死をきっかけに、取締役員の内部分裂が起こり、ほころびを見せ始めるのだ。
その僅かな隙を狙って、襲いかかるのが中国の赤いハゲタカ達の話には、つい二、三年前大騒ぎした ライブドア事件とダブル。
勝ち組 負け組ね、そして「村上ファンド」も。

その赤いハゲタカグループの上海版ホリエモン、賀一華(ホーイーファ)が表舞台に登場し、派手なアクションで、アカマを揺さぶり続ける。

その時 主人公の鷲津は、賀一華を操っている何者かの不気味な存在に気付きます。鷲津を、ずっとマークしているのは、「ソブリン・ウエルス・ファンド(SWF)」と呼ばれる政府が出資する中国の投資ファンドだった。

で、その目的は中国は、世界に通用する自国ブランドの自動車の生産だったのだ。
その為には、日本のアカマの優れた技術と人材が必要というわけ。

読み進むうち、その日本の国益である、アカマを守る為に、鷲津は、「ホワイトナイト”白馬の騎士”」として名乗リをあげるのだ。
ここでまた思い出す。
ライブドア事件のホワイトナイトとして一躍有名になった北尾吉孝氏率いるSBIホールディングス・・もちろん名前は忘れていたから調べたのですけどね。

さて、主人公鷲津が、どのような手法でアカマを守り、日本の国益を守ったのか。

興味のあるかは是非読んでみてください。
読み出したら止まらないよ。

薄晴れ 霧 25℃

「利休にたずねよ」・・山本兼一著 PHP研究所 (5/21読了)

2009年06月02日 | 本の事
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  学生時代歴史の時間を よほどちゃんと聞いてなかったのだろう。
読み進むうち「へぇ そうなんだ、へぇ 知らなかった。」そんな思いにばかりになる本。

 わたしが選んだ本ではない。
長いこと茶の道を、研鑽しているトンボの娘さんのTちゃんのお勧めの本なのだ。

「見せていただきありがとうございました。心安らかに日々送ることができるような気がします。」というような言葉をそえてお返ししたくなるような そんな本だ。

<物語>
卓越した審美眼を持ち、刀の抜き身のごとき鋭さを感じさせる若者が恋に落ちた。堺の魚屋(ととや)の息子・千与四郎。後に茶の湯を大成した男・千利休である。女のものと思われる「緑釉の香合」を肌身離さず持つ利休は、己の美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、気に入られ、天下一の茶頭に昇り詰めていく。利休は一茶人にとどまらず、秀吉の参謀としてその力を如何なく発揮。秀吉の天下取りを強力に後押しした。しかし、その鋭さゆえに、やがて対立。秀吉に嫌われ、切腹を命ぜられる。(紹介文より・・)

読み始めは 秀吉に死を賜った利休。そして物語はその切腹の直前から始まる。
「美」に対して、どこまでも貪欲だった利休。それに対して、物事のすべてに貪欲だった秀吉。対照的でもある二人には、内側に秘めた燃えるような思いという共通点がったのだけど。
この本のテーマは、利休の「美」に対する探究心の源。これだと思う。
その「美」の探求の原点は 利休が19際のころ出会った、美しい高麗の女性。この女性との悲恋が、あの一畳半の茶室を生み、そして究極の「侘び」「寂」を生んだのではないかと思う。

しかし、人という生き物は頂点に立つと 人の持っている物何でも手にいれたくなるのか、それとも、つねに自分の地位に不安があるから何でも手に入れておかなければならないのか、私は頂点に立ったことないから理解できないけど、秀吉は自分は到底かなわないであろう、利休の「美」までこの世から消そうとしているのだ。
「美」とは主観の究極であるからして、それをどう受け止めるのか 形のあるものではないし。
関白からの寵愛が、激しい嫌悪感に転じたとき、決して折り合わぬ二人の運命に
ヒトとしての性(さが)というものは、古今ほとんど進歩がない、いや変わらないものだそんな感じを受けた。

生きることに必死で、侘び、寂の世界に踏み込んだこともない不調法な私にも、なんとなく、なるほど、そういうものなのか とわからせれくれるような本でした。

この本で印象に残った一節
人が必要以上に欲をもたず、つねに穏やかな平常心と、聡き心を持っていれば、世の中はどれほど住みやすいか。
人の世はむさぼり、いかり、おろかさの三毒の焔にみちあふれている。
志にまで高め 高きをめざしてむさぼり、凡ようであることに怒り、おろかなまではげめばいかがでございましょう・・・

つくづく そうだよねぇ と思ってしまう。

晴れ 夏日 28℃