
クリックよろしくです。
≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁≁

少し前の朝日新聞の日曜版で見つけた本。
すぐ購入した、大好きな久世光彦さんの本なので・・もちろん私が買いました。
「触れもせで」と「夢あたたかき」にいづれも向田邦子との二十年という副題が付いていた。それを一つのにした本なのだ。
久世光彦といえば、やはり「演出家」の顔のほうが広く知られているだろう。しかし この人のエッセイは美しい日本語の美しい文章で、昭和という時代や優れた文学や映画について知ることができる、そしてあまりにも綺麗な流れるような文章に心が洗われる。
私はこれらの本は永久保存したい本のうちに入る。
で、このエッセイは
物知りで、古い言葉をこよなく愛し、他人の持ち物や面白い話を自分のものにしたがり、自分のことを棚に上げつつ楽しい嘘をつく…。
そんな向田邦子とともに仕事をし、彼女の話を聞き、一緒に語り、何かと持ち物をあげてしまい、そしてその才能を妬ましくすら思ってしまった著者。そんな著者が、自分より早くいなくなってしまった向田邦子について、書いたラブレターかな?と思う。
ただのちょと親しい 友人が亡くなって、その思い出を愛惜に満ち満ちた目で思い返す対象となる相手はそうざらにはいない。
そして恋人でもないのに亡くなった女性を、生き生きと魅力的に、これだけ読ませる文章で書ける男もそうはいないと思う。(強いてあげれば、遠藤周作と佐藤愛子の関係も私は好きで、憧れるのだけど・・)
向田邦子とのつきあいは、それだけ密度の濃い20年だったのだろうね。そして向田邦子もまるで弟のように可愛がったり、親身になったり、時に仕事の相談役として誰よりも大切にしていたのだろう。
下世話な私は この関係を 男と女という柵を、ひょいと飛び越えたところでつきあっていたのか、それとも男と女であり過ぎたのかどっちだったのか、それが知りたいと思った。
弟分にしてみれば、後者を期待するところだろうが、これは、きっと賢い姉がふたりの距離を上手にコントロールしていたのにちがいない、自分を制してと私は思う。
だから それは男と女のあいだに友情が成立するかというようなありきたりな命題にはおさまり切らない、もっと包括的な人の姿(師弟関係か)が、肌のぬくもりまで添えて伝わってくるのだと思う。
そんなわけで 全編に 久世さんの向田さんに対する羨望と信頼と尊敬の混じった愛情が感じられる文章なのだけど、太宰病に陥っていまだ抜け切れない久世さんに向田さんはこういった。「私は走れメロスは好きだけど、あまり好きでない。太宰は男の人を酔わせる人ね。」と・・
そうかなぁ、私は太宰は好きだけどね。
この本の「漱石」という章で、
向田さんの作品の中に半死後が次々に現れる。
<到来物> <冥利が悪い> <按配> <目論見>まだある。<気落ちする> <持ち重りのする> <了見> <昵懇>・・・
どれも他の言葉に置き換えにくい、暖かい人の体温のようなものを感じさせる言葉ばかりである。ちっとも古くないし、わかりにくくもない。日本語の優しさと暖かさが、春の水のようにゆったりと伝わってくる。どうか国語辞典を引いてそのぬくもりを感じてとってほしい。というところがある。
そういえば久世さんの本にも「ニホンゴキトク」というのがあって、「瀕死の日本語」がたくさん出てくるけれど、
そういうコトバにこそ、いい言葉だなぁ、と思うものが多い。「うすなさけ」とか「ねんごろ」とか。
向田邦子も、そういう言葉を使う名手だった、と書いてある。「きまりがわるい」とか「時分どき」とか。
あえて、そういう言葉を使っているところもあった、と。
少し話がとぶけど、私も古典を読んでると時々、あ、と思うコトバに出会うことがある。
「よるべない」とか、「ほだされる」とか、「ないまぜ」とか、「なかんずく」とか、「益体もない」とか、「剣呑」とか、「怯懦」とか。
日頃、使いそうで、使わないコトバ。もしかすると近い内に、忘れさってしまいそうなコトバ。
そういうコトバに出会ったら、とりあえず手帳に書き留めておく。
あ、と思ったときに、そこに書き足して、またしまっておくだけ。ただ書くだけなのですぐに忘れてしまうけど、そうやって書き留めておくと、自然描写の表し方に気持ちに添う言葉がみつからないような時に、ひっぱり出して眺めてみる。
そうそう、これこれ こんな言葉があったっけ、と、使ってみる。使っているうちに、少しずつ使えるようになってくる。「のっぴきならない」とか、「ためつすがめつ」とか。そして少し偉くなったような気になる。作家と変わらないような言葉を使えてうれしくなる、まったく単純ですが・・
話は戻るけど 結局久世さんって こういう本を書いたということは、なにもかもあえて個人的なことは聞かない、知らんぷりでも深い絆で結ばれていた という二人だけの素晴らしい秘密の関係を、ずっとずっと長らくひっそりと胸に抱いて愛でていたのに、老年になって、もういいかぁ、10年も経ったのだし、一人の胸に収めておくのが苦しくて ちょっと放ってしまったのではないか。
こういうところが なんともかわいい弟分なんだよなぁ。姉貴分としてはおおいに喜んでいると思う。
いいよね、ここういう二人の関係、お互い夫婦でも恋人でもないのに、節度を守り、空気のようでそれでいて もの言わなくてもすべて通じる、お互いがお互いのプラスになっている関係。
考えてみたら贅沢だと思う。だって久世さんには奥様が、向田さんには 好きな方がいたのだから・・