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読み終わりました。やっと・・・5日もかかりました。(尤も600ページ、普通の2冊分です。)
思った通り、大変満足でした。いまだ心は違う世界を漂っています。まるで時差ボケのように・・(といっても海外に行ったことはないけど。)
村上春樹に限らないけど、好きな本は読み始めると、すとーんと眠りに落ちるようにその世界に嵌り込んでしまう。現実と空想の世界を行ったり来たりする。
これが楽しみであり読書の醍醐味なのだけど。
この本もそうだった。仕事の合間に読んでいると、すーっとこのパラレルワールドに堕ちてしまい、お客さんとの会話も、うわの空でちぐはぐ。
ハッツと我に返り「聞いてるん?」「何の話?」こんな塩梅
で、物語は?
青豆と天吾は1984の世界に、猫の町にと・・・
はいはい わかっています。
まだこれから読む人がたくさんのミリオンセラー本。ネタばれは顰蹙をかいますから書きません。
村上春樹はこの本を出版する少し前に、いつだか新聞にインタビュー記事が掲載されていた。うろ覚えなのだけど、物語について書いてあった。
そして「今長編を書いている、ものすごく長いのを、毎日5・6時間机に向かっている。
どんな長さになるのか自分でもわからないが、この物語の軸になっているのは、「恐怖」だ」と書いてあった。
あの今ノーベル文学賞に一番近いと言われている村上春樹が、練りに練って時間をかけて書き下ろした本。
楽しみに待っていたのがこの本なのだ。
いつも思うのだけど、村上作品はとても易しい言葉でさらりと書いてあるのだけれど、きちんと景色や人々の顔が見えてくる。人物描写もさることながら自然描写もすごい、読みながら登場人物がしっかり想像できて、例えば町で出会っても「あ!牛河だ!」とわかるほど。また、畳針を胸に刺したような痛みとか、レタスを冷凍して解凍したような頭の中身とか、すごくリアルに想像できる。
おまけに読みながら風や空気を感じられる。時々肩をすぼめたり腕をさすったりしている自分がいるもの。
しかも、その中に、「情報」もちゃんと織り込まれているのだ。
新興宗教がどうした、イスラエルが、テロが、と言っているけれど、みんな作者の術中に嵌っているではないか。
それらが自然に溶け合っているから、読んでいてつっかえることがない。頭で考えることなく、するするとからだの中に入ってくるのだと思う。
でも少しだけ私の感想。
すっきりの終わり方だった。こんな終わり方もあるんだ、そして随分長く様々な事件があったように感じただけど、1,2,3巻でたった8ヶ月の出来ごとなのだ。
最終巻は、今までの折り返し地点の復路かな、前巻までの物語を丁寧に書き改めている。今までのを読まなくてもちゃんと理解はできる仕組みになっている。けどやはり読んでからこれを読んだ方がさらに面白いと思うけど。
これくらいにしておきます。
『時は直線として考える。でも実際には時間は直線じゃない。どんなかっこうもしていない。それはあらゆる意味において形をもたないものだ。でも僕らは形のないものを頭に思い浮かべられないから、便宜的にそれを直線として認識する。そういう観念の置き換えが出来るのは今のところ人間だけだ。』
この一節に なーる程とうなってしまった。
そう、村上作品は観念を置き換えて読めば、すんなり理解できる。
ちょっと長くなりますが、先日の朝日新聞にこんなことが書いてあった。
”村上春樹の小説は、読み終えた後、何がしか語らずにはいられなくなる性質を持っている。「あの挿話はどう思う?」「こっちのこれはどういう意味なの?」等々・・
反対に太宰治は「私だけが彼の心の内を知っている。」と錯覚させる作家だが、村上春樹は「私だけが、彼の謎めいた小説世界を理解できる。」と思わせる作家なのだ。”
そう言えば、昨日ジンちゃんとこの物語について話した。
自然にこの話になったのだけど。
ジンちゃんは、「青豆には自殺した大塚環という親友がいたが、猫の町の天吾の父親が入院していた病院の看護婦安達クミ は 大塚環の生まれ変わり」だといった。
私は「え??」といったけど、読み進むうち「ありえる」と思えてきた。
そして 「必ず”BOOK4”もある」という。私は「これが完結だよ。」と言ったが、ネットで村上春樹を調べていたら
この小説は「青豆」の章と「天吾」の章が交互にでてくる形で構成されている。青豆が「さきがけ」の教祖を殺す話と、天吾がふかえりの小説を改作する話が交互に進行していく。Book 1 と book 2 がともに24章という構成はバッハの「平均率クラヴィーア曲集」第1巻と第2巻にならったのであろう。ちゃんと本文にある。「『平均率クラヴィーア曲集』は数学者にとって、まさに天上の音楽である。十二音階すべてを均等に使って、長調と短調でそれぞれに前奏曲とフーガが作られている。全部で二十四曲。第一巻と第二巻をあわせて四十八曲。完全なサイクルがそこに形成される。」 青豆と天吾で前奏曲とフーガを構成する。
と書いてあった。ということはいま前編で48章、後半BOOK3で24章ということは残りがあるということなのか・・
流石に村上研究しているジンちゃん、案外的を得てるかも・・
雲り 12℃