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ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

(48)「マリアビートル」伊坂幸太郎著(角川文庫)・・・11/17日読了

2010年11月18日 | 本の事
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 勿論、私が選んだ本ではない。
トンボから三冊借りた最後の一冊

うーーん 伊坂幸太郎ファンにはたまらない小説かもしれないが、私は最初から、なかなか物語に入り込めなくて困った。
そして週刊誌の書評によると、2004年に発表した「グラスホッパー」の続編らしいのだ。それを読んでいないから余計に物語に入り込めなかったのだろうか。それとも年をとって新種のサスペンスを理解できなくなったのか、いずれにしても面白くなったのは終わりにり近づいたころだった。
ノリノリでなかった前置きが長くなってすいません。

作品紹介によると元殺し屋の「木村」は、幼い息子に重傷を負わせた相手に復讐するため、東京発盛岡行きの東北新幹線「はや」に乗り込む。狡猾な中学生「王子」。腕利きの二人組「蜜柑」&「檸檬」。ツキのない殺し屋「七尾」。彼らもそれぞれの思惑のもとに同じ新幹線に乗り込み―物騒な奴らが再びやって来た。『グラスホッパー』に続く、殺し屋たちの狂想曲。3年ぶりの書き下ろし長編。」とありました。

ただこの物語はテンポがいい。
この小説に与えられた時間は二時間半。
それは、東北新幹線「はやて」が東京駅を出発してから盛岡に到着するまでの時間であり、おもに殺し屋からなる登場人物達が列車内を舞台に、それぞれの事情と運命をからめ、進めていきのだ。
もと殺し屋木村、木村の子供に重傷を負わせた王子、二人組の殺し屋蜜柑と檸檬。檸檬がトーマス好きなのには笑ってしまった。やる事なすことすべてツキに見放された七尾。

悪魔のような怜悧さと狡猾さを併せ持つ中学生の「王子」の存在が、この物語をさらに面白くしていたような気がする。
生意気なんだけど、なんか憎めないんですよね。

お暇な方と伊坂さんファンの方はどうぞ、という感じです。

雲りのち雨 午後晴れ 一晩中冷たい雨だった。14℃  

(47)「二人静」 盛田隆二著 (光文社)・・11/12日読了

2010年11月16日 | 本の事
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 連日ブックレビューばかりで本嫌いの方はすいません。「もう今年はこれで終わりだよ」とトンボさんが3冊見せてくれたのです。(後一冊です。)
早く読まなくちゃ、私も仕事以外にも忙しいし、読んだ端から書かなくちゃ忘れるし・・・
いやはやなんとも、困ったものです。

・・・・・・・・・・・・

 で、この本は・・

32歳サラリーマン周吾。母は亡くなり71歳の父と暮らす。認知症が進んだ父を介護老人施設に預かってもらうことになった。父に振り回され仕事に邁進できない。32歳介護士のあかり。離婚して小学校4年生の娘と二人暮らし。娘は場面寡黙症で、学校でほとんど喋る事ができない。過去の恋愛から新しい恋に踏み出せない周吾。元夫によるDV体験から新しい恋から逃避するあかり。もどかしい二人の恋の行方は・・・

いやぁー読み始めたらなんとやめられなくなり、一気に読んでしまった。
冒頭、父親の介護のかなりリアルな場面が続いていて、まさかこの内容は最初から終わりまで丸ごと介護小説なんじゃと思って読み続けていたら、もどかしいというか、今時珍しいくらい純粋な恋愛小説で、タイトル通り『二人とも静』な大人の物語なのでした。

生き方がうまくなく、とんとん拍子に生きられなくて、なにもかも壁にぶち当たってしまう。人の本当の宿命とか、幸せとか、もっとうまく生きろよ、と読みながら はがゆく感じるのけど、往々にして世の中はそうそう うまくいかないもの。どこで満足するのか、日々迷いながら生きていると思う。
そんなこと考えさせてくれる物語でした。

この本で場面寡黙症という病気を初めて知ったのですが、調べてみました。
『緘黙症の1つです。
選択性緘黙、部分緘黙とも呼ばれます。
言語能力に特に問題が無い人(主に小児)でありながら、
長期間(1ヶ月以上)沈黙が続くというのが、特徴です。
全く喋れなくなる場合は、全緘黙、
喋れる時と喋れない時があれば、場面緘黙となります。』
色々な病気があるのですね。

そしてこの本の中で、ラタトューユ という料理も初めて知り、作って見ました。
冷蔵庫の残り野菜で作れて、でもとても美味しく、簡単にできて、なんかはまりそううです。
冷蔵庫を覗いたら、ピーマンとトマトがありました。それで作ることに・・・
これらを食べやすい大きさに切り、ニンニクをオリーブオイルでいため、そこにトマト、ピーマン、を入れて炒め、その中にツナ缶をオイルごと入れ、一緒にくつくつと炒め煮にする。塩コショウで味付けて出来上がり。バルメザンチーズをトッピングしてみました。
トーストと一緒に食べたら、本当によくあいます。

盛田さん有難うです。

晴れ 久々のすっきり晴れ 15-4℃ 放射冷却で朝冷えた。

(46)「三千枚の金貨」宮本輝著(光文社)・・11/6日読了

2010年11月14日 | 本の事
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 桜の満開の時分にそこに立つと、背後から昇ってきた日の出によって長く伸びた自分の影が、正面の低い山のふもとにあたった一本きりの桜の木を覆う。
そこから桜の木までの距離は約700メートル。あいだには滅多に車の通らない県道と畑と田圃しかない。
溜息をついてあ然と見ほれるほどに美しい花を咲かせるその桜の根元にメープルリーフ金貨を埋めた。1/4オンス、1/2オンス、1オンス、合わせて三千枚。
場所は和歌山県、見つけたらあげるよ。

の書き出しで、始まる紫綬褒章受賞の宮本輝の新刊です。図書館で借りました。
受賞にあたり、「世の中はすぐに結果を求める風潮になっているが、若い人は20年先30年先に花を咲かせようという気概をもち、時間に挑戦してほしい」と週刊誌で語っていました。
宮本輝は文章の密度が濃いのがいいし、この作家の世界観は深い。読後感がとても爽やかで、そして底が見えない。しんしんと心が温まる。
大好きな作家です。

四十代の男たちの物語なのだけど、一言でいえば大人の童話かな?
いじわるとか、心の曲がった人は一人も出てこない。マミヤ文房具店の同僚も皆それぞれ相手を思いやる心を持ち合わせていて、会話だけでニンマリしてしまう。
素敵な大人の銀座のバーのママと、同僚3人の夢を追う物語。
みんな人生を焦らない。じっくりと夢を見て生きていく。

そんな、四十代の男のあらゆる問題、中間管理職とか、曲がり角の体調、仕事の重み、部下や後輩との距離感、親や親類の高齢化、ゴルフがなかなか上達しないという現象、書画骨董への近接、子供の成長、浮気心、そうした日々のもどかしさがぎゅぎゅっと詰め込まれていて、大きな物語です。

世知がない世の中、なのに人間関係がホントはいからで、カッコいい。
あくせくしてなくて、それでいて夢がある。

宮本輝ファンにはたまらない小説だと思います。

雲り 黄砂 19℃

(45)「灰色の虹」貫井徳郎著(新潮社)・・11/2日読了

2010年11月09日 | 本の事
 いつものように自分で選んだ本ではない。
トンボさんの購入本を横取りして読んだ本。
そのような方法にて、この貫井徳郎の本は数冊読んだ気がするが、どれもサスペンスとして斬新で面白かった記憶があるので、楽しみにしてページを開いた。
うん、なんとなしにはまって読んでしまった。

<身に覚えのない殺人の罪で、職場も家族も日常も失った男は、復讐を決意した。刑事、検事、弁護士――。七年前、無自覚に冤罪を作り出した者たちが次々に殺されていく。だが男の行方は杳として知れず、宙に消えたかのように犯行現場から逃れる。彼が求めたものは何か。次の標的は誰か。あまりに悲しく予想外の結末とは。>BOOKレビューより。

身に覚えのない殺人の罪を着せられ服役した江木雅史の人生の暗転、すなわち綺麗な未来に向かってかかる虹が瞬く間に灰色の変わってしまうのだ。

やってもいない殺人事件の犯人に仕立て上げられるべく、恫喝を繰り返し、ついに自白に追い込んだ刑事、その刑事の書いたストーリを丸呑みにするだけだった冷淡な検事、無実と訴えても信じてくれなかった弁護士。
読みながらなんともやるせない、まったく突然身に降りかかった災難としか言いようがない。そんな思いでいっぱいになる
会社を首になり、最愛の恋人も失い、家族もばらばらになった主人公は、自分をこんな目にあわせたものたちに死を持って償わせようとする。

しかし、冤罪とはこのようにして起きるのか、なら真犯人はどうしているのか。
冤罪とは、一人の人間の一生を台無しにする。
そんな思いがよぎるが、この物語の後半は、復讐される側の日常のドラマが書かれている。

一度しかない人生 幸せの絶頂だった人生、それを台無しにされて復習したくなる気持ちがわからなくもない物語だった。

社会派サスペンスで、とても面白かったです。

雲り時々雨  12℃ 風強し もう突風です。怖い・・・

(44)「孤舟」渡辺淳一著(集英社)・・10/27日読了

2010年11月01日 | 本の事
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 「この本読む?旦那のリタイア後の夫婦の在り方を描いたものだけど、あんたには縁がない内容だと思うよ。」
といいながらトンボが見せてくれた本。
どうでもいいけど さしあたり読む本がないから見せてもらうことに・・・

この本を出版した渡辺先生の談話が新聞に出ていた。
『いま、日本は長寿社会で60歳以上は人口のおよそ25%、4分の1を占めているでしょう。この年齢層のほとんどは今、社会で活躍の場がないというか、無視されているのが現実。朝から晩までテレビをみている人も少なくない。その一方で、団塊世代は若い頃から本を読んでいる一番安定した活字世代なんですよ。この世代に直接ぶつかって心の思い、夫婦、家族、親子の問題まで広げて一度書いてみたかったんです。』

 さて。
「光と影」「無影灯」ですっかり好きな作家になり 読みまくった渡辺淳一だけど、いつ頃からか読まなくなっていた。
久しぶりに読んだ渡辺先生。うん、なかなか面白かった。

主人公の大谷威一郎は大手広告会社で常務執行役員まで務めたが、出世競争に敗れ、きれいさっぱり60歳で定年退職した。左遷もどきの小さな会社の社長の席を断ったのだ。プライドが捨てきれなかったのだ。
綺麗さっぱり辞めたまではよかったが、思い描いていた自由でのんびりした生活などとんでもない、職を失った寂しさと虚しさ、そして予定のない空き時間の退屈さ。
あてが外れたばかりじゃなくて、妻との軋轢でぎくしゃくした日々がが始まるのだ。

渡辺先生お得意のドロドロはないのかと思ったら、少しありました。デートクラブに入会し、27歳年下の女性と恋のアバンチュールを・・・
しかし 俺も捨てたものではないとワクワクするのだけど、現実はそう甘くないのです。

そんなわけで 第二の人生をいかに迎えるか。
試行錯誤の末新しい一歩を踏み出そうとする主人公でした。

これサスペンスじゃないからネタばれも許していただけますよね。

雲り時々うす晴れ 夜中雨  17℃

(43)「流星たちの宴」白川道著(新潮文庫)・・10/24日読了

2010年10月28日 | 本の事
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時はバブル期。三十七歳の梨田雅之は、投資顧問会社社長の見崎に見込まれて『兜研』に彷徨い込むが、仕手戦に出た恩師・見崎を土壇場で裏切る。手にした大金を浪費した後、自ら仕手集団『群青』を率いて再び相場の世界に戻った梨田は、知人からの極秘情報を元に、一か八かの大勝負に乗り出した…。危ない夢を追い求めて流星のように輝く男達を描いたハードボイルド傑作長編。「BOOKデータベース」より

好きな作家のうちに入る白川道。(これ とうると読むのですよ。)
そのデビュー作らしい。
私がこの作家が好きになったのは「天国の階段」なのだけど、色々とほかの作品も読むうち 男の生き方がもの凄くかっこいいから読後感が爽やかなのだ。

私は経済にも弱いから、株なんて全然わからない。
それでも、「流星たちの宴」は非常に面白かった。おそらく株をやったことがある人が読めば、面白さは倍増するだろなぁ。そう思った。

経済小説でありながらラブストーリーでもあるこの物語は、世の中の裏も表も見てきた大人の男が、背伸びしている感じの歳の離れた女の子と、ともに暮らしていく。

この女の子は理子というのだけど、なんと実在の人物だと白川自身があとがきに書いてあり、え???俄然知りたくなった。調べた。それは横森理香という作家らしい。へぇ・・・そうなんだぁ・・・私は知らないし、読んだこともない。

結局物語では、二人は別れるのだけど雅之のもとを去っていった理子は、手紙を残していく。
そこにはこんなことが書いてある。

― 私は母から言われ、子供の頃から日記をつけてきた。
貴方と別れることを考えていて、ふと思い立ち、
貴方と出会ってからの日記を読んでみた。

何不自由ない生活から失われていったもの、それは社会に対する認識、友人関係、人生の目的、そうした諸々の物です。
そして貧しさなんか恥じることはない、貧しさを恥じる気持ち それを恥じればいい。といった言葉が忘れられない。

なんとなしに、確かに胸にズーン、と来るのだ。
日記というのは、「自分を主人公とした大河小説」だと思う。

彼女は彼との別れを、自分の日記を読み返すことで決意できたのだろう。
このままではいけない、自分が自分でなくなる、と気付いたのだろう。

でもでも・・・ 素敵なラブストーリーでした。

雲り 15℃ 

(42)「白砂」鏑木 蓮 著(双葉社)を読む。10/16日読了

2010年10月21日 | 本の事
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相変わらず羊羹と引き換えにトンボさんに見せてもらっている本です。

大学を目指し、働きながら予備校に通う20歳の女性、高村小夜が一人暮らしのアパートで何者かによって殺害された。下谷署の目黒は相棒・山名と一緒に捜査にあたる。小夜のアパートには頻繁に出入りする中年男性の姿が目撃されており、口座には何回かにわけた計100万近くの振込があることから援助交際の相手かとも推察された。しかし、対象者の性格、心の動きに捜査の主眼を置く目黒は、小夜の身辺を調べるにつれ、そのいまどきの若者には珍しい清廉潔白な有りようと性的なにおいを結びつけられずにいた。そこに、小夜が趣味としていた短歌でとある賞を受賞した、その記念パーティーの席上で、小夜に接近した男性の存在が浮上。鍵は小夜が歌に詠んだ故郷にあるとして、目黒と山名は京都府の山村に急行した。小夜は父母をすでに亡くしていたが、父方の祖母が存命だった。しかし、祖母は現地の駐在を前にしても、頑なに小夜の存在を否定する。過去にこの村でなにかがあったのだ。小夜に近づいていた男とこの山村の関係は? その男が殺したのか? 殺害現場に唯一残されていた装飾品のペンダントは、遺骨を中に混ぜた、メモリアルオブジェクトだった。その特殊な残留品からも、真相へつながる糸をたぐっていく。 (BOOKデーターベースより)

お骨の散骨、というプロローグ。
これからはこういう葬儀もいいかなと読みながら思う私。

そして物語の探偵役、目黒警部と娘がレストランで食事しているところにに、殺人事件の連絡がはいる。

働きながら予備校に通う高村小夜が殺害されたのだ。
現場に唯一残されていたペンダントは、遺骨を中に混ぜた、メモリアルオブジェクトなのだ。
小夜に近づいている中年男性、出身地の地域全体に蔓延する公害病をかかえた人、小夜の出身地の友人、小夜の母の骨を墓に入れることを拒み、さらに小夜のことは知らないとつっぱねるお祖母。次第にこういうことが分かってくる。
このあたりで犯人もなんとなくわかるのだけど、またネタばれで顰蹙を買うのでここまでしか書けません。
そんなわけで目黒警部がじっくりと、人にまつわる根底部分をじっくりともつれた糸を解きほぐしながら、真実に迫っていく。

どことなしに横溝正史賞がぴったりのような小説でした。

雲り 23℃

(41)「自転車ぎこぎこ」伊藤礼著(平凡社)を読む。・・10/7日読了

2010年10月12日 | 本の事
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 慧さんに勧めていただいた「こぐこぐ自転車」の続編。
やっと図書館から連絡をもらい、読むことができた本です。
前作ですっかり自転車に乗りたくなった私は、これを読んでさらにその気持が高ぶった。
こういうテンポのいい、ユーモアのある文章を読んで、自転車ライフに憧れないでいることのほうが難しいと思う。

さて物語ですが・・・
伊藤先生御年七十六歳、ますます快調です。

『老人で時間があるから、ときどき自転車旅行をする。山形に行ったり、富山に行ったり、四国に行ったり、北海道にも行ったりした。静岡にも行ったし、千葉にも茨城にも栃木にも行った。福島にも行ったし秋田にも行った。いつの間にか行ったところが増えてきた。
こんなに出かけるのは年をとっているから、まもなく確実に死ぬと思うからだ。生きていてもヨボヨボになってしまう。今を逃したら自転車に跨がれなくなるからである。私は友人たちに今がいちばん若いんだぞと声をかける。そしてすこしでも若い今のうちに、行けるだけ行こうと誘う。』
まったく同感です。伊藤先生と・・・
「いずれヨボヨボになってしまう、今を逃したら自転車に跨れなくなくなる」と常に頭に思い浮かべながら、お友だちのヨコチ君などと連れだって、風吹きすさぶ茨城は大洗へ、タコを食べに早春の遠州三河へと自転車を走らせる。都心もビュンビュン走る。ヨコチ君なんていうと20代ぐらいの友人を思い浮かべるかもしれないが、むろんヨコチ君もまた伊藤先生と同じ年の老サイクリストである。

そしてこの本の終わりのロードサイクリングは、春爛漫山陰サイクリングなのだ。和が故郷。わくわくしながら読み進む。
「こぐこぐ~」から数年経ち、伊藤先生の自転車生活も進化して、ついに8台目に達した。
自転車旅行も、宅配便を利用したりと進化を遂げている。地図も国土地理院の地図からダイソーの100円マップになり、タムラ君(30代の若者)と一緒の山陰ツアーではiPhoneまで登場する。私も欲しい。方向音痴だから。

伊藤先生は、食べ物描写がとてもお上手。思わず笑ってしまうのだけど、今回はカツ丼です。
思いがけず入ったS町の食堂で、この世のものとも思えぬ不味いカツ丼と出会う。「このカツ丼は相当ひどく、その不味さのひき起こした絶望感を解脱するために、翌日もういちど別のH市でカツ丼を食べたほどである。最初のカツ丼の不味さが残りの人生に重い負担になりそうだったので口直しをしたのだ」というのだから、相当なものである。ここまで書かれてしまうと、逆にそれがどんなに不味かったかを確かめたくなってしまうほどである。
島根どこなのでしょう。私も一度味わってみたい。

そもそも、この作者、肝臓が悪くて、六十過ぎまで、いつも土気色の顔をして、ぐったり、寝込んだりしながら、なんとか生き抜いてきたのに、科学の進歩とは素晴らしいもので、その肝臓がよくなってしまった・・・処から、恐る恐る自転車に乗り始めたという。最初は、五、六キロがやっと、から初めて、今じゃ日本中走り回ってる。虚弱体質の癖に。
そしてB級グルメを紹介しているのだ。

と、まあ、そんなわけで、最近、私もまたちゃとび号に乗っているし、七十過ぎたら、軽量折りたたみ自転車を担いで、全国走りまわってもいいかな、なんて。

とても面白かったです。
慧さん、紹介くださり本当にありがとうございました。

晴れ 25℃

(39)「再会」横関大著(講談社)・・9/20日読了

2010年09月28日 | 本の事
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 やっぱり江戸川乱歩賞受賞作品だわ。
というわけで、面白かったです。
ネタばれのないように書かなくちゃ・・・おしかりをうけるから。

全てはタイムカプセルにとじ込めた――はずだった。
誰がうそをついている? 幼なじみの4人が校庭に埋めた拳銃は、23年の時を経て再び放たれた。それぞれの想い出が重なるとき、時を越えたさらなる真実(なぞ)が目を覚ます――!(帯紹介文より)

ヒロインを含む幼馴染の仲良し4人組のうちの一人の兄、だれからも嫌われていた男が、何者かに射殺された。凶器は23年前、ある事情からこの仲良し4人組の手に入り、卒業間際に小学校の校庭に埋めたタイムカプセルに入れて封印したはずだった、なのになぜ???

隠した場所とこれをあける為の、ダイヤル錠の暗証番号を知っているのはこの四人だけ。
そのうちの誰かが密かに掘り起こし、殺人に使ったとしか考えられない。

これで終わってしまったら面白くない。
余りにも簡単に犯人が分かってしまっては、でもこの物語はそうはいかず、23年前に起きた銀行強盗事件のなぞに迫るのだ。
4人組にはその事件の時、殉死した警官の息子もいて、おのおのにその忌まわしい事件を目撃したとして、トラウマの悪夢が付きまとっているのだった。

かかわった人物それぞれが隠し事をしていたことが明らかになり、次第次第に謎が解けていく。
 
うん、すんなり簡単なようで少し入り組んだ、それでも読みやすいサスペンスでした。

雲り 26℃

(40)「こぐこぐ自転車」伊藤礼著(平凡社)よ読む・・9/23日読了

2010年09月26日 | 本の事
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 この本はわたしが選んだ本ではない。
ブログお友達の本も映画も大好きな慧ーstyleの慧さんが勧めてくれた本なのだ。
いままでも映画や本を紹介してくれたけど、それがみな面白かったし私好みなので、さっそく 迷うことなく、図書館に電話を入れた。(田舎の図書館はインターネットの貸し出しはできない。)
「こぐこぐ自転車」と「自転車ぎこぎこ」はありますかと聞いたら、調べてみるから後ほど連絡します。とのこと。
待つこと30分、それによると、江津の図書館にはない、県立図書館にはあるので、取り寄せましょうか、とのこと。
勿論、お願いしました。ワクワクしながら待ちました。
そして、こぐこぐの方が先に来たので、読んだというわけです。

 で読んだ感想は?…
自転車が無性に欲しくなりました。私はロード用の自転車を絶対に購入いたします。
そして女性古希チャリダーになりたーい。

昭和8年生まれの伊藤さんが、70歳を目前に自転車に乗り始め、すっかりその楽しさにハマってしまい、3年のうちに6台の自転車を買い求め、あちらへこちらへとサイクリングに出かけ、ついには同年代の仲間たちと北海道を自転車で旅するという自転車エッセイなのだ。
 
伊藤さんは頑健なマッチョな肉体の持ち主でもなく、むしろどちらかといえば虚弱な方のようであるし、少し坂道を走ると脈拍があがり、タクシーで帰ったことも。
お尻が痛いとか、ひざが痛いとか、樹にぶつかって大怪我し入院したとか、弱音を吐きながらも、しかしこぐことをやめようとしない。それは
『人間はなぜ結局は真面目に自転車をこぐか、というと一度自転車にまたがって走り始めるたら、あとはこがないと自宅に帰れないからである』と本の中で伊藤先生も書いていましたけど。
どうして自転車にはまり込んだのか、その自転車の楽しさがいっぱいのこの本。
自転車に関するさまざまな見解」として、サイクルメーターに関する真面目な意見。
自転車に乗って知った世の荒波。また、自転車ヘルメットの効用に関する真面目な意見。などなど。
紀行文としては、房総サイクリング、碓氷峠など
でも圧巻はやはり、古希2人、還暦過ぎ2人での計4人のお爺さん北海道ツーリングの旅編。
霧の都、釧路でホタテを食べて下痢した話とか、丘の上のホテルで食べたカキフライ定食のまずかったこと。

『わずかばかりの不細工なキャベツの上に乗っていたカキ五つ、たった五つ
梅干しくらいに小さくちじんだカキフライ、あまりのまずさにキャベツの千切りでご飯をたべた、そうするとだんだん腹が立ってきた。帰り際千円に税金を払って会計のお姉さんに文句を言った。おねえさんが悪いわけではない。こんなメニューを考えるやつが悪いのだ。神田当りで、七、八百円で食べる舌の焼けそうに熱い味噌汁付きの、カリカリに揚がったジューシなカキフライ定食のことをおもいだして口惜しくなった。
北海道は天国ではないのだ、何がグルメだ、何が味覚ターミナルだ。』
 
文章も面白く、仲間の人物描写も素晴らしく、とても気持ちよく、笑いながら読めました。

で、この伊藤先生、調べてみたら、それもそのはず、戦後 「チャタレー夫人の恋人」を本訳されて出版し、のちにワイセツか、否かで、「チャタレー裁判」にまで発展した、あの著名な文学者「伊藤 整」さんの、ご子息でもあります。
知りませんでした。

なんか元気の出る本、次のぎこぎこが楽しみです。

晴れ 24℃