社会にはいろいろ問題と言うものがある。当たり前。
それに対してああすれば良い、こうすれば良いと言う人もたくさんいる。いや、山ほどいる。特にその筋の専門家の人なんかがこれはこうすべき!と言うと皆さんはそうだそうだ!と持ち上げる。でも、それでその言葉通りにできるようになる事なんかまず無いのが事実。
でも、皆さん、そんな良い意見があるのになぜ変えられないと言う。そして政府が率先してやらせないとか制度を変えないとか言う不満が蔓延する。でも、問題は政府が関わるものばかりじゃない。民間や任意団体とか、それらがずっと運営してきたイベントとかも同じ事で、問題は認識されていて批判が出ているにも関わらず変えられない。
どうしてそうなってしまうかと言うと、そもそもそれは、問題の認識自体に誤りがある。実は、上のような事って、社会問題だけじゃなくて、日常、仕事でも同じ事が毎日のように起きている。変えなきゃいけないはずの事が変えられない。
問題の認識と言うのは、多くの皆さんは実は「原理主義」で「アウトプット主義」だという事を全然自覚していない。そこに全ての問題がある。
どう言う事かと言うと、この問題に対して「こうこう、こうすればできる」と言う解決の原理がまず思いついてしまう。ほとんどの人はそこで終わり。必ず欠けているのが、「その問題の中にいる人はなぜ自分自身で解決できないのか?」「なぜ不便を放置し続けているのか?」だいたいにおいて、その人達は私が良いと思ったアイデアを出せないほど劣っている?そんなわけない。その人達だって同じ事はたぶん考えられる。でも、実現しない。つまり、それだけ考えても問題はそんな事じゃないのは容易に想像できる。例えばその人達は一線でやってるにも関わらずその事自体を変える権限を与えられていない、発言を許されていない、またはその事を変える自体が職能と考えられていないかもしれない。
まあ、もっと細かく言えばまだまだあるけど、問題と解決方法を考えるって意味では、そんな原理ばかり言っていてはダメってのはもうずっと前からやってきたから本当はわかってないといけない。こうやればできるとかって、つまりマスコミに専門家とか識者が書いて儲ける為の事でしかない。一般人もやるけど、誰にも注目されはしない。
だから、視点を移さないといけない。誰がやるかとかいつやるかとかどんなふうにとか、問題と解決方法を取り巻くマネージする部分にもっと注目していかないと、結局はいつまでも原理ばかり振り回す事になるし、それができないとデタラメな方法で出てくるアウトプットを見て仕方ないと言い続ける事になる。
残念だけどもうそうなってて抜け出せ無いかも。