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もんく [とある南端港街の住人になった人]

楽観的になったら悲観的なのだ

熊本で地震があったとニュースで読んだ。
被災地の多くの方々が助かることをお祈りしています。

ところで、それを受けて、日本の母に電話を入れてみた。
熊本に住んでいるわけではなくて、関東なのだけれど。
全く関係ないじゃないか?

いやいや、そうでは無いのです。
母は熊本の被災地と同じ活断層の上に住んでいるので。
その活断層、関東大震災のときに大きくてズレたらしい。
それで近くの山の中に小さな池みたいな水たまりを作った。
子供の頃に行って見た事があったけれど、
今でもあの水たまり、あるんだろうか?


最近は東海地震がそろそろ、関東でも近いうちに、
それから富士山だって噴火するかもしれないなどと
よく言われている。

そう言う意味では遠いところで起きた地震であるとは言え、
全く関係ないとは言えない。


母に聞いてみたところ、
緊急時に持ち出す荷物はまとめていないとの事。
想像通り。

母は関東大震災はもちろん経験していない。
その事は母の母から聞いているけれど、
やっぱり自分が経験していないからか、
臨場感はないのだ。


まあ、人間と言うのはそんなものなのだろう。
差し迫る危機に直面していても、
なぜか自分には関係ないだろうと、
楽観的に考えたがる。
決まって実際に危機に直面しているときほど
そう思いたがる性質を持っている。

これは母に限った事ではなくて、
実際に自分もそうした傾向がある事がわかっている。

ちょっと前に、工場でボヤ騒ぎがあった。
事務所にいたときに火災警報器が鳴った。

その時、自分が何を一番に思ったかと言うと、
警報器の誤動作じゃないか、と言う事。
これは恥ずかしながら本当にそう思った。
物事を楽観的に捉えたがる性質から来ている。

でも、実際には本当のボヤで、
誰かが非常ベルを鳴らしたものだった。


人間、大丈夫だろう、と思うのは、
実際には大丈夫じゃない可能性がいくらかでも
含まれているから、
そしてそれを心のどこかで知っているからだ。
本当の本当に大丈夫であれば、
そんな事気にしないから大丈夫でも何もないはず。

って事は、大丈夫と思ったら、
全然大丈夫じゃないと思った方が正解に近い。
気持ちが楽観的に傾いたら、
心の底は、きっと悲観的に違いない。


そしてきっと、
母は今日も…
非常時の持ち出し荷物をまとめたりはしなかったはずだ。
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