<京都・宇治、異国情緒の「萬福寺」(2)>
天王殿の前で、すこしだけ思案する。
(ここからは、回廊を右回りに進むとするか・・・)

萬福寺は、七堂伽藍である諸堂が明朝様式で配置され、中国風の建築様式が特徴である。伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で「口の字」状に結ばれており、雨天の際でも問題なく<法式>を執り行うことができるようになっているのだ。

ところで、京都などを寺社巡りする際にきっと役立ちそうなので、長くなるが書いておく。
日本の「禅宗」は三つに分類される。
「栄西禅師」が開いた<臨済宗(りんざいしゅう)>、「道元禅師」と「瑩山(けいざん)禅師」の両禅師が開いた<曹洞宗(そうとうしゅう)>、「隠元禅師」が開いた<黄檗宗(おうばくしゅう)>である。
臨済宗の信者数は約100万人、妙心寺派や建長寺派など14の宗派に分かれているため“本山”が、京都(妙心寺、天龍寺、南禅寺、東福寺、大徳寺、建仁寺、相国寺)、鎌倉(建長寺、円覚寺)の他、山梨・静岡・滋賀・富山・広島に存在する。
京都旅で、東福寺、南禅寺と臨済宗の“本山”を続けて訪れても、そうだ臨済宗は京都だけで“本山”が7つもあるのだったと、知っておけば悩まずに済む。
曹洞宗の信者数は約351万人、両祖がいるため、“大本山”は道元が開祖の「永平寺(福井)」と、瑩山が開祖の「總持寺(神奈川)」の二つだ。
黄檗宗の信者数は約7万人、“大本山”はここ「萬福寺」だ。信者数こそ少ないが、日本の伝統仏教十三宗の一角を占めており、大宗派である臨済宗や曹洞宗とは法統の上でも親類関係にあり、関係は良好だそうである。

回廊の南、真っ直ぐ先の突きあたりにあるのは、寛政元年(1789年)創建、昭和47年(1972年)に再建された「聯燈堂(れんとうどう)」である。
過去七佛より西天東土の歴代祖師と黄檗宗派の僧侶、近世においては、黄檗宗の流れを受け継いだ末寺の和尚や檀信徒篤志者も祀られている。


「伽藍堂」は、萬福寺の伽藍を守護する「伽藍神」が祀られている。
(うわぁー、いかにも中国っぽい雰囲気だ!)

堂内には「華光大帝(かこうたいてい)」の像があり、両脇に三面大黒天、弁財天が祀られていた。

回廊を進むと、目の前に青銅製の「雲版(うんぱん)」が吊られていた
雲板とは雲のような形をした鳴物で、時を知らせたり、堂への出頭を促す合図を送るときなどに打ち鳴らすものだ。

その先の回廊にも、大きな魚の形をした「開梛(かいぱん)」が吊されていた。魚の形をしている法器なので「魚梆」、「魚鼓」とも呼ばれる。
雲版、開梛とも、本山僧衆の食堂である「斎堂」の前にあるので、どちらかは食事時間を知らせ、どちらかが行事や儀式の刻限を打ち鳴らすのだろう。
因みに僧たちの食事だが、朝はお粥、昼と夜は一汁一菜が基本献立である。
ところで萬福寺の名物に「普茶料理(ふちゃりょうり)」がある。隠元は宗教ばかりではなく、インゲン豆やスイカ、蓮根、孟宗竹などの食材を広めたり、日本に煎茶道をもたらして、日本における「煎茶道の祖」とも呼ばれている。
開祖「隠元禅師」が中国から伝えた精進料理の、「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味から生まれた言葉だそうだが、なに早い話が一種の中華料理だ。
萬福寺門前に佇む「白雲庵」で食べられるが、昼食のみの一人前税抜き5,050円からという料金で、完全予約制(前日まで)である。提供される献立は、二汁六菜を基本とし胡麻豆腐や吉野煮、季節の菜味、味付天麩羅等、吟味された素材で調理されているとのこと。
予約もしていないし、料理を残さずに食するのが<普茶の作法>ということでは、好き嫌いが激しいわたしには到底無理だ。
― 続く ―
→「京都・宇治、異国情緒の「萬福寺」(1)」の記事はこちら
天王殿の前で、すこしだけ思案する。
(ここからは、回廊を右回りに進むとするか・・・)

萬福寺は、七堂伽藍である諸堂が明朝様式で配置され、中国風の建築様式が特徴である。伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で「口の字」状に結ばれており、雨天の際でも問題なく<法式>を執り行うことができるようになっているのだ。

ところで、京都などを寺社巡りする際にきっと役立ちそうなので、長くなるが書いておく。
日本の「禅宗」は三つに分類される。
「栄西禅師」が開いた<臨済宗(りんざいしゅう)>、「道元禅師」と「瑩山(けいざん)禅師」の両禅師が開いた<曹洞宗(そうとうしゅう)>、「隠元禅師」が開いた<黄檗宗(おうばくしゅう)>である。
臨済宗の信者数は約100万人、妙心寺派や建長寺派など14の宗派に分かれているため“本山”が、京都(妙心寺、天龍寺、南禅寺、東福寺、大徳寺、建仁寺、相国寺)、鎌倉(建長寺、円覚寺)の他、山梨・静岡・滋賀・富山・広島に存在する。
京都旅で、東福寺、南禅寺と臨済宗の“本山”を続けて訪れても、そうだ臨済宗は京都だけで“本山”が7つもあるのだったと、知っておけば悩まずに済む。
曹洞宗の信者数は約351万人、両祖がいるため、“大本山”は道元が開祖の「永平寺(福井)」と、瑩山が開祖の「總持寺(神奈川)」の二つだ。
黄檗宗の信者数は約7万人、“大本山”はここ「萬福寺」だ。信者数こそ少ないが、日本の伝統仏教十三宗の一角を占めており、大宗派である臨済宗や曹洞宗とは法統の上でも親類関係にあり、関係は良好だそうである。

回廊の南、真っ直ぐ先の突きあたりにあるのは、寛政元年(1789年)創建、昭和47年(1972年)に再建された「聯燈堂(れんとうどう)」である。
過去七佛より西天東土の歴代祖師と黄檗宗派の僧侶、近世においては、黄檗宗の流れを受け継いだ末寺の和尚や檀信徒篤志者も祀られている。


「伽藍堂」は、萬福寺の伽藍を守護する「伽藍神」が祀られている。
(うわぁー、いかにも中国っぽい雰囲気だ!)

堂内には「華光大帝(かこうたいてい)」の像があり、両脇に三面大黒天、弁財天が祀られていた。

回廊を進むと、目の前に青銅製の「雲版(うんぱん)」が吊られていた
雲板とは雲のような形をした鳴物で、時を知らせたり、堂への出頭を促す合図を送るときなどに打ち鳴らすものだ。

その先の回廊にも、大きな魚の形をした「開梛(かいぱん)」が吊されていた。魚の形をしている法器なので「魚梆」、「魚鼓」とも呼ばれる。
雲版、開梛とも、本山僧衆の食堂である「斎堂」の前にあるので、どちらかは食事時間を知らせ、どちらかが行事や儀式の刻限を打ち鳴らすのだろう。
因みに僧たちの食事だが、朝はお粥、昼と夜は一汁一菜が基本献立である。
ところで萬福寺の名物に「普茶料理(ふちゃりょうり)」がある。隠元は宗教ばかりではなく、インゲン豆やスイカ、蓮根、孟宗竹などの食材を広めたり、日本に煎茶道をもたらして、日本における「煎茶道の祖」とも呼ばれている。
開祖「隠元禅師」が中国から伝えた精進料理の、「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味から生まれた言葉だそうだが、なに早い話が一種の中華料理だ。
萬福寺門前に佇む「白雲庵」で食べられるが、昼食のみの一人前税抜き5,050円からという料金で、完全予約制(前日まで)である。提供される献立は、二汁六菜を基本とし胡麻豆腐や吉野煮、季節の菜味、味付天麩羅等、吟味された素材で調理されているとのこと。
予約もしていないし、料理を残さずに食するのが<普茶の作法>ということでは、好き嫌いが激しいわたしには到底無理だ。
― 続く ―
→「京都・宇治、異国情緒の「萬福寺」(1)」の記事はこちら
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