<読んだ本 2024年9月と10月>
親族の病気平癒を願って、願掛けで禁酒をしている。(もちろん、温泉も絶っている)
願掛けは「断ち物」といって、自分の好きなものを絶つことにより<願い>がより強力となるという。

人生でいままでに禁酒したのは、人間ドックの肝機能の数値が悪くて、入院か禁酒かの選択を緊急に迫られてのものが1回だけ、期間はわずか1ヶ月だった。
そんなわたしが、昨年は禁酒期間6ヶ月を既に達成していて、今年もそれ以上を目指している。自分のための願掛けと違い、他人のためなので、禁酒の意思は不思議と滅法固いのだ。

ところで、他人の<酔態>は容易にわかるが、さて自分のはどうかというと、これが難しい。信頼できる飲み仲間の言に、たよらざるを得ない。
曰く、日本酒を飲むと豹変する、オマエはしつこくてくどくなる、という。
そういえば、新潟の酒場でたっぷり飲んで、いざ勘定を払おうとしたら、先ほど頂きましたと言われたことがある。
「いやいや、払ってないから払う」、「いえ確かにもらっています」の不毛の応酬が繰り返され、ふと、そう言えば飲んだのは日本酒だったなと気づいて、わたしはポキンと折れたものだ。
<酔態>もだが、<酔顔>も、自分じゃさらにわからんもんである。ていうか、酔うことで“いぶし銀”の仮面が勝手に剥がれ、正体がバレバレになっているかも知れないから、これは追求しないほうが良さそうだ。
「なんか、飲み過ぎて『ゴブリン』みたいな眼になってますよ!」
歓送迎会みたいな大勢の飲み会で、前に座った同僚女性に突然ズバリ指摘されて面食らう。
「エッ?」

ゴブリン・・・て、「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」のあの妖魔みたいなヤツかよ! いまのオレの顔が妖怪みたいってこと? 言ってくれちゃうねえー。
「『ゴブ・・・なんちゃら』ってなあに?」
「いえ、あの、いいんです。気にしないでください!」
このときは、『ゴブリン』という言葉がわからないという小芝居で徹底的に誤魔化すことにしたら、相手も口が滑ったことにすぐに気がついたらしく、慌てまくって収拾を図る。(オマエはマッチポンプか!)
ああ、早く願掛けが叶って、またゴブリンになりたいものである。
さて、9月と10月に読んだ本ですが、毎度毎度の7冊、累積で35冊。
1. ○神の呪われた子 IWGP XIX 石田衣良 文芸春秋
2. ○夢巻 田丸雅智 双葉文庫
3.○短劇 坂本司 光文社文庫
4.◎なぜ「星図」が開いていたか 松本清張 新潮文庫
5.○破れ星、流れた 倉本聰 幻冬舎
6.○おれの足音 上 池波正太郎 文春文庫
7.○おれの足音 下 池波正太郎 文春文庫
赤穂藩の筆頭家老<大石内蔵助>を描いた、「おれの足音」の上下巻を読んでいたら、なんとなく気になる箇所があった。
『人は、自分で自分のことはわからぬ、といわれる。
けれども、相手の人に映る自分の姿は、その相手の人を通じて、おのれにはね返ってくるのである。
男にせよ女にせよ、相対する人の顔、声、挙動は、そのまま、おのれの<鏡>であるともいえよう。』
文春文庫 池波正太郎著「おれの足音 上巻」より

『自分のことは、自分でわからぬ。
他人のすることは、わかるけれども、自分のすることの正体を見きわめてくれるものは、
あくまでも<他人の眼>なのであった。』
文春文庫 池波正太郎著「おれの足音 下巻」より
一生懸命に“いぶし銀”を装っていても、他人の眼で、その正体を“ゴブリン”だと見きわめられてしまったわたしには、ジツに耳が痛い文章である。
ただ、「それって、酔っているときだけだよね」と秘かに訊いてみたいものだ。
→「読んだ本 2024年7月と8月」の記事はこちら
親族の病気平癒を願って、願掛けで禁酒をしている。(もちろん、温泉も絶っている)
願掛けは「断ち物」といって、自分の好きなものを絶つことにより<願い>がより強力となるという。

人生でいままでに禁酒したのは、人間ドックの肝機能の数値が悪くて、入院か禁酒かの選択を緊急に迫られてのものが1回だけ、期間はわずか1ヶ月だった。
そんなわたしが、昨年は禁酒期間6ヶ月を既に達成していて、今年もそれ以上を目指している。自分のための願掛けと違い、他人のためなので、禁酒の意思は不思議と滅法固いのだ。

ところで、他人の<酔態>は容易にわかるが、さて自分のはどうかというと、これが難しい。信頼できる飲み仲間の言に、たよらざるを得ない。
曰く、日本酒を飲むと豹変する、オマエはしつこくてくどくなる、という。
そういえば、新潟の酒場でたっぷり飲んで、いざ勘定を払おうとしたら、先ほど頂きましたと言われたことがある。
「いやいや、払ってないから払う」、「いえ確かにもらっています」の不毛の応酬が繰り返され、ふと、そう言えば飲んだのは日本酒だったなと気づいて、わたしはポキンと折れたものだ。
<酔態>もだが、<酔顔>も、自分じゃさらにわからんもんである。ていうか、酔うことで“いぶし銀”の仮面が勝手に剥がれ、正体がバレバレになっているかも知れないから、これは追求しないほうが良さそうだ。
「なんか、飲み過ぎて『ゴブリン』みたいな眼になってますよ!」
歓送迎会みたいな大勢の飲み会で、前に座った同僚女性に突然ズバリ指摘されて面食らう。
「エッ?」

ゴブリン・・・て、「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」のあの妖魔みたいなヤツかよ! いまのオレの顔が妖怪みたいってこと? 言ってくれちゃうねえー。
「『ゴブ・・・なんちゃら』ってなあに?」
「いえ、あの、いいんです。気にしないでください!」
このときは、『ゴブリン』という言葉がわからないという小芝居で徹底的に誤魔化すことにしたら、相手も口が滑ったことにすぐに気がついたらしく、慌てまくって収拾を図る。(オマエはマッチポンプか!)
ああ、早く願掛けが叶って、またゴブリンになりたいものである。
さて、9月と10月に読んだ本ですが、毎度毎度の7冊、累積で35冊。
1. ○神の呪われた子 IWGP XIX 石田衣良 文芸春秋
2. ○夢巻 田丸雅智 双葉文庫
3.○短劇 坂本司 光文社文庫
4.◎なぜ「星図」が開いていたか 松本清張 新潮文庫
5.○破れ星、流れた 倉本聰 幻冬舎
6.○おれの足音 上 池波正太郎 文春文庫
7.○おれの足音 下 池波正太郎 文春文庫
赤穂藩の筆頭家老<大石内蔵助>を描いた、「おれの足音」の上下巻を読んでいたら、なんとなく気になる箇所があった。
『人は、自分で自分のことはわからぬ、といわれる。
けれども、相手の人に映る自分の姿は、その相手の人を通じて、おのれにはね返ってくるのである。
男にせよ女にせよ、相対する人の顔、声、挙動は、そのまま、おのれの<鏡>であるともいえよう。』
文春文庫 池波正太郎著「おれの足音 上巻」より

『自分のことは、自分でわからぬ。
他人のすることは、わかるけれども、自分のすることの正体を見きわめてくれるものは、
あくまでも<他人の眼>なのであった。』
文春文庫 池波正太郎著「おれの足音 下巻」より
一生懸命に“いぶし銀”を装っていても、他人の眼で、その正体を“ゴブリン”だと見きわめられてしまったわたしには、ジツに耳が痛い文章である。
ただ、「それって、酔っているときだけだよね」と秘かに訊いてみたいものだ。
→「読んだ本 2024年7月と8月」の記事はこちら
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