温泉クンの旅日記

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亀戸天満宮

2013-08-28 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <亀戸天満宮>

 現在の亀戸天神社は「亀戸天神」とか「亀戸天満宮」の通称で知られている。



 古くは九州の総本社の「太宰府天満宮」に対し、東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」、「本所大宰府天満宮」と称されていた。
 まるで関係ないが九州の太宰府天満宮裏の茶店の梅ヶ枝餅はわたしの好物である。

 ところで、各地に存在する天満宮についての謂れだが、誰もがよく知っているわけではあるまい。そこで、ばっちり要約したようなわかりやすい文章をみつけた。

  『大川(隅田川)を渡ったはるか向こう、亀戸に亀戸天満宮という神社がある。祭神
   は天神様こと菅原道真。道真は平安時代前期のすぐれた文人政治家だったのだが、
   道真のことを面白く思わない藤原時平の讒言により太宰権帥に左遷されて筑紫の
   大宰府に流され、配所で没した。

   死後、どういうわけか朝廷や藤原氏に不幸がつづく。道真の祟りに違いないと朝廷
   は畏怖し、道真の怨霊を慰めるべく、道真に正一位・太政大臣の位を遺贈し、
   天満天神の神号を奉った。おなじころ京の北野に道真を祀る北野天満宮が創建
   された。

   道真は学問に秀でていた。そのことはよく知られており、いつしか天神様は学問の
   神様として知られるようになって、天満宮は全国各地に勧請されていった。
   亀戸天満宮もその一つ。江戸では知られた神社だった。』

       講談社文庫 佐藤雅美著 「ご当家七代お祟り申す 半次捕物控」より

 さて、亀戸天神社だが、地形を初め社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋など、大宰府天満宮に倣って造営されている。
 大鳥居を過ぎて最初にある太鼓橋のへんからはスカイツリーがよく見える。



 心字池には、寺社の池にありがちだが亀がいっぱい棲息している。育ち過ぎて始末に困って捨てにくるひとも多いと聞く。



 最初の太鼓橋である男橋は「過去」を、平橋は「現在」を、本殿の手前にある太鼓橋である女橋は「未来」をあらわしている。
 江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、毎年四月末ごろから敷地内の藤棚が開花し、神社中が一面藤色に染まる。この太鼓橋から一面の藤棚を見下ろすことができる。





 亀戸天神では、例年一月下旬、縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与される。「去年の悪しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによるとのことである。



 天満宮では、触られすぎてピカピカになった牛をよく見かける。ここにもあった。



 神牛に触ることにより、病気を治し、知恵を得るといわれ、牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されている。菅原道真と牛との縁は深いようで、道真が京都から大宰府への途中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられている。

 亀戸天神の門前には料理茶屋が多く、鯉の料理が名物だったそうだ。



 鬼平こと長谷川平蔵も、亀戸天神のそんな料理茶屋を利用していたようである。

   『何事もなく、単身微行の見廻りをすませ、亀戸天神への参詣も終えて、玉屋方へ
    入った平蔵が、あるじの彦次郎夫婦やおきさの歓待を受け、おもわず長い時間を
    すごしたのも、
   (今夜はお熊婆のところへ泊ればよいのだから・・・・・・)
    その心づもりがあったからだろう。
     先ず、平蔵が大好物の酒の肴が出た。これは削ぎ取った鯉の皮を細く切って、
    素麺と合わせた酢の物と、雄の鯉の肝の煮つけである。』
      文春文庫 池波正太郎著 鬼平犯科帳18巻「蛇苺」より


 江戸時代から創業二百年を超える船橋屋本店・・・そのころの料理茶屋もこんな雰囲気の店構えだったのかもしれない。
 喉が渇いたので休んでいくことにした。



「食券を買ってください!」
 ずんずんと店の奥へ行こうするわたしに声がかかった。それにしても、こんな老舗でまずは食券を買えなどとはなんとも風情がない。
「メニューは?」
 さきほど声をかけたレジ横の男が、黙ってショーケースを指差した。なんともむかつく対応である。わらび餅とあんみつが名物らしいが涼しいものが欲しい。わらび餅だって、きっと美濃で食べたものにはかなわないだろう。
「ところてん、を」
 代金を払い、お釣りを受け取ろうと広げたわたしの掌に、上空から物乞いに施すように投げやがった。

 このォ、ぶ、無礼者めが、町人の分際でけしからん。手打ちにしてくれんと腰の物に手をやったが、今日は丸腰なのに気がついて、ぐっとこらえたのであった。



 ところてんは、まあまあの味であったし、レジ男以外の店員はきわめて丁寧で申し分ない応対だった。

 しかし、レジ男は老舗で現金の取扱いを任せられるのだから、直系のン代目なのかもしれないが、客あしらいのいろはをまるで知らぬあの男に九代目だか十代目だかの跡目を譲ったら、先祖伝来の味だけを守っていても、いずれ閑古鳥が鳴くようになるのではあるまいか。


   追伸:船橋屋の名物ですが「わらび餅」ではなく「くず餅」でした。甘味の知識が
      いまひとつアマイわたしに、記事を読んだ友人から連絡がありました。
      たいへん失礼をいたしました。お詫びいたします。


  →「梅ヶ枝餅」の記事はこちら
  →「北野天満宮」の記事はこちら
  →「卯建のある町のわらび餅」の記事はこちら

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