<京都・東山、東福寺(1)>
藤原氏の嫡流である関白「九条道家」は、嘉禎2年(1236年)、法性寺の寺域に新たな寺院の建立を発願し、静岡茶の始祖としても知られる聖一国師「円爾弁円(えんにべんねん)」を開山として、建長7年(1256)に寺院を完成させた。
そして、「東大寺」と「興福寺」を範にとって一文字ずつもらい「東福寺」と名付けたのである。
(東福寺にも、こんな立派な『三門』があったとは・・・)
京都で、立派な山門といえば、まずは知恩院と南禅寺だろうと思っていたのだ。
なんてこったい! 東福寺には何度も来ていたのに・・・まるで覚えていなかったと軽いショックを受ける。自分は記憶力のいいほうだと秘かに思っていたのにと、なんとも情けなくなる。もっとも、経験上、<コイツの記憶力はほどほどだな>と思わせたほうが、世渡りがけっこう万事うまくいく秘訣なのだが。
東福寺の見どころの目玉である<通天橋>の拝観時間前に着いてしまい、時間潰しにぶらぶらしていたのだった。
いままで三門を知らなかったのは、ひょっとしたら拝観時間のせいで<通天橋>を最優先してしまうせいかも知れない。
とにかく、遠くて不便な「六波羅門」から入るならともかく、通常に使われる「日下門(にっかもん)」から入ると、通天橋は左、三門は右と、まったくの逆方向になるのだ。
寺院はもともと山に建てられることが多く、「山号」を付けて呼んだ名残で、平地にあっても『山門』と呼ぶ。山門とは、寺院の「正門」や寺院にある「門」すべてを指す。
「三門」とは<三解脱門>の略で、人間は悟りの境地に達するために三つの関門を越えなければならないという禅宗の思想を、目に見える巨大な門の形で表したものである。
<三解脱>とは、「空(とらわれない)」、「無相(執着しない)」、「無作(または無願=ほしがらない)」と言い、東福寺の三門は悟りの境地に至った人しかくぐることができない門である。
室町時代、足利4代将軍の義持によって再建された「三門」は、禅宗様と和様と大仏様が混ざった様式であり、禅宗三門としては日本最古で最大の門である。
高さ約22メートルあり、市内を一望できる楼上には「宝冠釈迦如来」像や「十六羅漢」像を安置し、画僧「明兆(兆殿司)」らにより極彩色の飛龍や天女などが描かれた荘厳な空間が広がっている。(一般客が観られるのは特別公開時のみ)
五間三戸(の門)で重層入母屋造りの建物で、両側に屋根付きの階段が付設されている。
屋根の四隅を支える柱は、天正大地震による傷みを天正13年に豊臣秀吉が補修した際に、補充した柱であり、「太閤柱」と呼ばれている。
「法堂(はっとう)」と「仏殿」を兼ねている東福寺「本堂」は、かすかに記憶にあった。もっとも、建物の外観だけだが。
「法堂」には創建当時、約15メートルの「釈迦如来」像が鎮座していたと伝わるが、明治14年(1881年)の戦火で、「法堂」、「仏殿」とともに焼失した。
再建された本堂は総高26メートル、間口は41メートル、奥行30メートルの入母屋造、本瓦葺きの木造建築で、九條道家による京都最大の伽藍造営となっている。
内部は通常非公開だが、外から鑑賞すると、本尊の釈迦如来像とともに「蒼龍図(雲龍図)」の天井画を垣間見られる。
さて、そろそろ・・・<通天橋>の拝観受付のオープン時間を過ぎたぞ。よし、混む前に急ぐとしよう。
― 続く ―
藤原氏の嫡流である関白「九条道家」は、嘉禎2年(1236年)、法性寺の寺域に新たな寺院の建立を発願し、静岡茶の始祖としても知られる聖一国師「円爾弁円(えんにべんねん)」を開山として、建長7年(1256)に寺院を完成させた。
そして、「東大寺」と「興福寺」を範にとって一文字ずつもらい「東福寺」と名付けたのである。
(東福寺にも、こんな立派な『三門』があったとは・・・)
京都で、立派な山門といえば、まずは知恩院と南禅寺だろうと思っていたのだ。
なんてこったい! 東福寺には何度も来ていたのに・・・まるで覚えていなかったと軽いショックを受ける。自分は記憶力のいいほうだと秘かに思っていたのにと、なんとも情けなくなる。もっとも、経験上、<コイツの記憶力はほどほどだな>と思わせたほうが、世渡りがけっこう万事うまくいく秘訣なのだが。
東福寺の見どころの目玉である<通天橋>の拝観時間前に着いてしまい、時間潰しにぶらぶらしていたのだった。
いままで三門を知らなかったのは、ひょっとしたら拝観時間のせいで<通天橋>を最優先してしまうせいかも知れない。
とにかく、遠くて不便な「六波羅門」から入るならともかく、通常に使われる「日下門(にっかもん)」から入ると、通天橋は左、三門は右と、まったくの逆方向になるのだ。
寺院はもともと山に建てられることが多く、「山号」を付けて呼んだ名残で、平地にあっても『山門』と呼ぶ。山門とは、寺院の「正門」や寺院にある「門」すべてを指す。
「三門」とは<三解脱門>の略で、人間は悟りの境地に達するために三つの関門を越えなければならないという禅宗の思想を、目に見える巨大な門の形で表したものである。
<三解脱>とは、「空(とらわれない)」、「無相(執着しない)」、「無作(または無願=ほしがらない)」と言い、東福寺の三門は悟りの境地に至った人しかくぐることができない門である。
室町時代、足利4代将軍の義持によって再建された「三門」は、禅宗様と和様と大仏様が混ざった様式であり、禅宗三門としては日本最古で最大の門である。
高さ約22メートルあり、市内を一望できる楼上には「宝冠釈迦如来」像や「十六羅漢」像を安置し、画僧「明兆(兆殿司)」らにより極彩色の飛龍や天女などが描かれた荘厳な空間が広がっている。(一般客が観られるのは特別公開時のみ)
五間三戸(の門)で重層入母屋造りの建物で、両側に屋根付きの階段が付設されている。
屋根の四隅を支える柱は、天正大地震による傷みを天正13年に豊臣秀吉が補修した際に、補充した柱であり、「太閤柱」と呼ばれている。
「法堂(はっとう)」と「仏殿」を兼ねている東福寺「本堂」は、かすかに記憶にあった。もっとも、建物の外観だけだが。
「法堂」には創建当時、約15メートルの「釈迦如来」像が鎮座していたと伝わるが、明治14年(1881年)の戦火で、「法堂」、「仏殿」とともに焼失した。
再建された本堂は総高26メートル、間口は41メートル、奥行30メートルの入母屋造、本瓦葺きの木造建築で、九條道家による京都最大の伽藍造営となっている。
内部は通常非公開だが、外から鑑賞すると、本尊の釈迦如来像とともに「蒼龍図(雲龍図)」の天井画を垣間見られる。
さて、そろそろ・・・<通天橋>の拝観受付のオープン時間を過ぎたぞ。よし、混む前に急ぐとしよう。
― 続く ―
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