温泉クンの旅日記

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

奥州の薬湯、鎌先温泉(1)

2022-12-04 | 温泉エッセイ
  <奥州の薬湯、鎌先温泉(1) >

(オッ、あれは前に来た時に「白石うーめん」を食べた店だ!)

 

 白石駅の真正面、ちょい右手の角にある“白石うーめん”の店を目ざとくみつけてしまう。たしか、稲庭うどんによく似た、短くておいしい麺だったな・・・あのときはなにを食べたっけか・・・。
「本日のご宿泊予定の・・・様でございますか?」
 会釈をしながら近づいてきた宿の送迎車のドライバーに声を掛けられ、思考が中断する。連絡してあった到着予定時刻よりも前から待っていてくれたようである。

 白石駅から鎌先温泉までは約7キロ、車で15分と掛からなかった。途中に長い坂もあるから、歩いたら1時間半だなあ・・・助かるわい。

 

 南蔵王、不忘山の麓に位置する山あいに「鎌先温泉」はある。鄙びた小さな温泉地には5軒ほどの旅館が点在し、現在湯治を受け入れているのは1軒のみとなってしまったが、かつては湯治客も多かったそうだ。温泉街でもない温泉町でもない、温泉村といった感じの規模だ。

 

「すゞき(すずき)や旅館」の前にある広場の共同駐車場を見た瞬間に、立ち寄り湯でこの地を訪れた記憶が甦った。(もっとも、いまは昼食付きの日帰りプランが多いようだ)
 送ってくれたドライバーにお礼をいい、玄関入ってすぐのフロントでチェックイン手続きをする。旅館は間口の広い建物で、フロントの左側は細長いロビースペースとなっていた。

 

 仲居に連れられ二階の部屋に案内され、仲居が去るやいなや着替えにかかった。駐車場で記憶が戻ったが、さすがに温泉の記憶までは戻らなかった。温泉に急ごう。
 二階の部屋のすぐそばにある、まずは大浴場からだ。この宿には、石風呂、黄金風呂、露天風呂と3種類の風呂がある。
 まずは「石風呂」である。
 浴槽には青御影、赤御影、黒御影、すべて御影石を使ってある。たっぷりの掛け湯をしてから湯に身体を沈める。匂いは感じられない柔らかい温泉だ。

 

 鎌先温泉の発見は正長元年(1428年)、この地の里人が草刈りの最中、鎌の先で温泉を掘り当てたと伝えられている。温泉名もこれに由来している。また、農夫が水を求めて土を堀起こしたら湯が噴き上がったという説もある。
 それ以来600年の歴史を誇っている。

 

 古くから傷に効くとして、東北の人たちに「キズの鎌先」と親しまれてきた奥羽の薬湯で、あの伊達政宗も入湯した記録が残っているそうだ。薬湯は傷や火傷に効くほか、肌が綺麗になるとも言われている。
 江戸時代には「諸国温泉番付」の東の前頭として紹介された。
 湯口からはさすがに自家源泉と自慢するだけあって、ふんだんに温泉が注ぎこまれている。

 

 たしか「日本三大薬湯」として名高いのは、群馬県の「草津温泉」、兵庫県の「有馬温泉」、新潟県の「松之山温泉」である。
 戦国時代の武将といえば、合戦の度に負う傷が絶えない。前田利家はじめ歴戦の勇士が愛した“草津”、豊臣秀吉が頻繁に通った“有馬”、上杉謙信の隠し湯の“松之山”というわけだ。その伝でいくと、伊達正宗も軍師の片倉小十郎(白石城主)も訪れたのが鎌先温泉なのだ。

 上階にある人気の「檜の露天風呂」にももちろん抜け目なく入ったのだが、先客がばっちりいたので、こちらはいずれ後ほど画像とともに書くこととしたい。
 脱衣籠に浴衣がなかったので、時間からいって昼食付きの日帰りプランの客たちだったのかもしれない。

 

 部屋は清潔で新しく、“B&B泊”なのであらかじめ布団が敷かれていた。嬉しいことに、窓際のテーブルの上には、久しぶりの灰皿も置かれている。
 そうだ。思いだせなかった「白石うーめん」を調べてみるとするか。パソコンならブログ内検索で簡単だが、慣れぬスマホだと今のところグーグル頼りで、「ブログ名プラス白石」を打ちこみ検索する。
 検索した記事によると、店の名は「元祖白石うーめん なかじま」、そのとき食べたのが「冷やとろうーめん」とわかり、やっとスッキリした。
 では、ここらで乾杯とするか。

  ― 続く ―


   →「白石城界隈(1)」の記事はこちら
   →「白石城界隈(2)」の記事はこちら


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都で湯豆腐 | トップ | 奥州の薬湯、鎌先温泉(2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

温泉エッセイ」カテゴリの最新記事