温泉クンの旅日記

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読んだ本 2020年6月

2020-06-28 | 雑読録
  <読んだ本 2020年6月>

(なんかちょっとでも腹に入れとこうかな・・・)
 旅先の見知らぬ酒場、それも呑めればとりあえずどこでもいいやと、思い切りハードルのズボンを足元まで引き落とすのだから、空きっ腹ではいかにも不用心、丸腰の無鉄砲である。

 

 立ち食いで、ちょいと冷やしたぬき蕎麦でも食いたいところだが、それは無い物ねだりというものだ。

 

 レトロな喫茶店をみつけて入る。名古屋圏なのでさすがに期待通り、昼下がりでもモーニングセットがあったので注文する。この店、きっと一日中モーニングがあるのだろう。

 

 さて酒場探しだ。喫茶店付近の飲み屋通りは開店前のすっぴん状態、薄化粧してくれる夕闇を待ってまどろんでいるようだ。

 

 表通りにあった酒場に決めた。入ったカウンター席に、現役引退してヒマを持て余している浪人といった年配の数名の先客をみて、きっと明朗会計だろうとなんとなく安心する。

「いらっしゃい! あれっ? どうしたの?」
 常連らしい年配客が店の入口で、立ちどまったまま入ってこない。呑んでいた先客たちもわたしも、つい気になってグラス片手にいっせいに振り返って注視してしまう。
 店の引き違い戸を閉めて手近なカウンター席に座りながら「珍しいねぇ! チンドン屋がこっちに来るよ。とりあえず生ビールね」と大将に声をかける。

 

 チンドン屋か・・・そういえば最近は見ないぞ。懐かしいな。
 わたしの生まれた町には、賑わう長いアーケード商店街があった。そして代謝するように新装開店が度々あり、よくチンドン屋をみかけた。
 遠くからチンドン屋の鉦と太鼓の音が聞こえてくると、血が騒ぎ、矢も楯もたまらずといった感じで子どもたちは一散に走り出したものだ。
 男は、歳を重ねても肩書きも関係なし、いつまでぇーも童心をこっそり持っている。つまり、ガキ・・・はいいすぎか、子どもっぽいのだ。

 いよいよ、チンドンの音が大きくなって、さきほどの常連客がいそいそと観に行った。
「オッ、珍しい! 可愛いネエチャンばかりのチンドン屋だぞ!」
 その声に、現役引退浪人たちもわたしも、あろうことか厨房の大将までも入口に殺到してしまう。

  

 通りに出て隊列を迎える、酒場の客たちと店の大将の顔と目はきらきら輝いていたが、果たして、チンドン屋を純粋に懐かしんだのかは微妙であった。

 さて6月に読んだ本ですが、まあまあの7冊、年間累計で33冊でした。

 1. ○祇園白川小堀商店レシピ買います     柏井壽 新潮文庫
 2. ○虎の尾を踏む 新・古着屋総兵衛十三   佐伯泰英 新潮文庫
 3. ○にらみ 新・古着屋総兵衛十四 佐伯泰英 新潮文庫
 4. ○慈雨                  柚木裕子 集英社
 5. ○旅仕舞 新・酔いどれ小籐次十四     佐伯泰英 新潮文庫
 6. △ジャッジメント             小林由香 双葉文庫
 7. ◎侠飯(おとこめし)           福澤徹三 文春文庫

 たしかそんなテレビ番組やっていたなあ、と軽い感じで借りた「侠飯(おとこめし)。軽妙、テンポのある文体でとても読みやすく、意外や意外、面白かった。
 
 就活に苦労する大学生の主人公「若水」はヤクザの抗争に巻き込まれ、暴力団組長「柳刃」を自分の部屋に匿い、そのままあろうことか居候になってしまう。柳刃は几帳面できれい好き、それに酒好きの料理好きで、料理以外のことには寡黙である。
 いつくたばるかもわからん、くたばらなくても長い懲役にいきゃあ、娑婆の飯は食えない。だから、いいかげんなものは食いたくないという。

 洗い物を増やしたくない若水はビールを缶のまま呑もうとすると、柳刃が言う。

  『「グラスに注げ。そのほうが旨い」
  「どうしてですか」
  「缶ビールはグラスに注ぐのを前提に作られてるから、そのまま呑むと炭酸がきつい。グラスに注ぐことで、
  泡が立って口あたりがよくなる。缶は金属の匂いがするし呑み口がちいさいから、ビールの旨さが
  じゅうぶんに味わえない」』


 これ、ビールはめったに呑まないわたしだが、まったく同意見である。暑い日、キンキンに冷やしたひと口ビアグラスで呑むビールは実に旨い。

  『「チャーハンは火力とスピードだ。家庭用のガスコンロじゃ火力が足りないが、中華鍋やフライパンを
  煙がでるくらい熱したら、なんとかなる。最初から最後まで強火だ」
  「そうやれば、ご飯がパラパラになるんですか」
  「パラパラにしたいだけなら、玉子かけご飯の要領で、最初に飯を玉子をぐちゃぐちゃに混ぜときゃいい。
  そいつを炒めりゃパラパラだ。しかし米がパサつくから、おれは好きじゃない」』


 こちらも諸手をあげて大賛成。第二章の章題「チャーハンはパラパラじゃないほうが旨い」の通りである。肝心の味を気にせぬ<パラパラ崇拝>は、ジツにくだらんしつまらん。

 ついでに、もう一丁。

 

  『「料理には家で作っても大差ないものと、玄人にしかできないものがある。
  蕎麦はちゃんとした店で食ったほうが旨い。
   天ぷらや鮨、鰻なんかもそうだ」』


 いいね、いいね。その通りですぞ。


  →「読んだ本 2020年4月と5月」の記事はこちら


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