<伊豆山温泉、あたみ桜と日の出(2)>
眼を覚ますと、部屋の灯をつけて携帯の電源を入れセットしたアラームを解除した。またもやアラームが鳴る前に目覚めてしまった。
身づくろいするとタオルを持ち大浴場に向かう。
昨日、女風呂だった浴室に入ると灯の電源を入れてから鍵をかける。
貸切風呂なのである。
温泉宿で徐々に広がっているサービスに貸切風呂の無料提供がある。この宿でも宿泊客は一回だけ貸切風呂を借りられる。わたしは遠慮して利用が少なそうな早朝を予約した。
もともとある貸切露天風呂が拡張工事中のため、大浴場で代用しているのだ。

浴槽に浸かっていつものように「はい終わり」では、与えられた貸切時間があまりにももったいないので、顎まで熱い湯に沈めてじっくり温めるとゆっくり髭を剃った。もう一度入浴してから洗髪までしてしまう。
(ここに変更して正解だったな・・・安かったし)
ジツの話、<ラビスタ伊豆山>に泊まる予定だったのだが「ラビスタ函館ベイがとても良かったので泊まったのですがガッカリしました」の口コミで急遽変更したのである。
部屋に戻ってしばらくすると、ゆっくり夜明けがやってきた。わたしにとっては、今年の初日の出である。
夜明けについてはたしか前に書いた筈だぞ、と記憶の棚をひっくり返すとみつけた。房総で書いた文章だったが、まあまあの出来なので引用させていただく。
『太古より、永遠の繰り返し。夕方になれば陽は沈み、また朝がくれば陽は昇る。
「薄明(はくめい)」といって、地平線や水平線から太陽が昇る前から、大気に浮遊する塵に無数の光が散乱して
明るくなりはじめる。夕方、陽が沈むときにも同じように薄明の状態が発生する。

江戸時代までは、朝の「薄明」が始まったときを「明け六つ」、夕方の「薄明」が終わったときを「暮れ六つ」として
時刻の基準とした。
明け六つ時を現在の二十四時間法でいうと、だいたい午前五時から七時くらいになる。
つまり、今だ。


「暁(あかつき)」という言葉は古くは空が明るくなる前の「未明」だったが、現代では「夜明け」や「明け方」まで
意味が広がった。

日の出を表す言葉には「黎明(れいめい)」、「払暁(払暁)」、「彼者誰(かわたれ)」、「明け」、「夜明け」、
「暁」、「東雲(しののめ)」、「曙」などがありいかにも美しい日本語である。

朝の「彼者誰=彼は誰」とまったく同じように、夕方に「黄昏(たそがれ)=誰そ彼」があるのが面白い。』
バイキングの朝食を食べ終えると、また大浴場にいった。


朝の陽光がいっぱいに差し込む浴槽で、思い切り身体を伸ばして最後の湯浴みをゆっくりと楽しんだ。

(ここで記事を終わりたいところだが、もうすこしだけおつき合いを願いたい)
チェックアウトすると、送迎車を待つ客が多かったので熱海まで歩くことにした。昨日の坂道ハアハアカップルは仲直りして送迎車に乗ったのだろうか・・・とふと思う。
見下ろす海原の水面は、中天からふりそそぐ陽射しにキラキラと煌めいて眩しすぎるほどだった。

東海道線のアクティーの時間までだいぶ時間があるので熱海駅近くで昼食をとることにした。石川屋に行くのも坂の往復が面倒である。
駅前の平和通り商店街と仲見世商店街では前に「混む、高い、マズイ」で懲りたことがあるので思い切り避ける。ルナを覗いたがいっぱいなので、県道沿いに歩いていると、田原本町交差点の向かいに「鯵たたき定食 九百八十円」の幟をみつけた。
店内に入ると、エレベーターで二階へ行けという。二階の生け簀を取り囲むような席に座り、メニューをみて眼を剥いた。最低が千六百円の定食からの品書きであった。
すこし考え、思い切って二千円の刺身定食を頼む。

量は多いが単調で寂しい色合いの刺身にご飯と味噌汁、茶碗蒸しが付いている、どうみても千五百円以下の定食である。鯵は三枚おろしのままで、良くいえばワイルド、単に手抜きだろう。
小田原まで出て「イソ○水産」あたりの千円以内の海鮮丼にすれば良かったようだ。
最近、観光客数が「V字回復」しているという熱海温泉だが、顔のような駅前付近の飲食店だけはあいかわらずの「リピーターなどワシいらんもんね」という昔スタイルの営業をしているようだ。
熱海の駅前にもココイチみたいなチェーン店でいいから、安価な飲食店の選択肢もあればと思うのはわたしだけなのだろうか。
→「伊豆山温泉、あたみ桜と日の出(1)」の記事はこちら
→「犬吠埼温泉(1)」の記事はこちら
→「ラビスタ函館ベイ(1)」の記事はこちら
→「来宮神社の大樟」の記事はこちら
→「たまの熱海で旅気分(1)」の記事はこちら
眼を覚ますと、部屋の灯をつけて携帯の電源を入れセットしたアラームを解除した。またもやアラームが鳴る前に目覚めてしまった。
身づくろいするとタオルを持ち大浴場に向かう。
昨日、女風呂だった浴室に入ると灯の電源を入れてから鍵をかける。
貸切風呂なのである。
温泉宿で徐々に広がっているサービスに貸切風呂の無料提供がある。この宿でも宿泊客は一回だけ貸切風呂を借りられる。わたしは遠慮して利用が少なそうな早朝を予約した。
もともとある貸切露天風呂が拡張工事中のため、大浴場で代用しているのだ。

浴槽に浸かっていつものように「はい終わり」では、与えられた貸切時間があまりにももったいないので、顎まで熱い湯に沈めてじっくり温めるとゆっくり髭を剃った。もう一度入浴してから洗髪までしてしまう。
(ここに変更して正解だったな・・・安かったし)
ジツの話、<ラビスタ伊豆山>に泊まる予定だったのだが「ラビスタ函館ベイがとても良かったので泊まったのですがガッカリしました」の口コミで急遽変更したのである。
部屋に戻ってしばらくすると、ゆっくり夜明けがやってきた。わたしにとっては、今年の初日の出である。
夜明けについてはたしか前に書いた筈だぞ、と記憶の棚をひっくり返すとみつけた。房総で書いた文章だったが、まあまあの出来なので引用させていただく。
『太古より、永遠の繰り返し。夕方になれば陽は沈み、また朝がくれば陽は昇る。
「薄明(はくめい)」といって、地平線や水平線から太陽が昇る前から、大気に浮遊する塵に無数の光が散乱して
明るくなりはじめる。夕方、陽が沈むときにも同じように薄明の状態が発生する。

江戸時代までは、朝の「薄明」が始まったときを「明け六つ」、夕方の「薄明」が終わったときを「暮れ六つ」として
時刻の基準とした。
明け六つ時を現在の二十四時間法でいうと、だいたい午前五時から七時くらいになる。
つまり、今だ。


「暁(あかつき)」という言葉は古くは空が明るくなる前の「未明」だったが、現代では「夜明け」や「明け方」まで
意味が広がった。

日の出を表す言葉には「黎明(れいめい)」、「払暁(払暁)」、「彼者誰(かわたれ)」、「明け」、「夜明け」、
「暁」、「東雲(しののめ)」、「曙」などがありいかにも美しい日本語である。

朝の「彼者誰=彼は誰」とまったく同じように、夕方に「黄昏(たそがれ)=誰そ彼」があるのが面白い。』
バイキングの朝食を食べ終えると、また大浴場にいった。


朝の陽光がいっぱいに差し込む浴槽で、思い切り身体を伸ばして最後の湯浴みをゆっくりと楽しんだ。

(ここで記事を終わりたいところだが、もうすこしだけおつき合いを願いたい)
チェックアウトすると、送迎車を待つ客が多かったので熱海まで歩くことにした。昨日の坂道ハアハアカップルは仲直りして送迎車に乗ったのだろうか・・・とふと思う。
見下ろす海原の水面は、中天からふりそそぐ陽射しにキラキラと煌めいて眩しすぎるほどだった。

東海道線のアクティーの時間までだいぶ時間があるので熱海駅近くで昼食をとることにした。石川屋に行くのも坂の往復が面倒である。
駅前の平和通り商店街と仲見世商店街では前に「混む、高い、マズイ」で懲りたことがあるので思い切り避ける。ルナを覗いたがいっぱいなので、県道沿いに歩いていると、田原本町交差点の向かいに「鯵たたき定食 九百八十円」の幟をみつけた。
店内に入ると、エレベーターで二階へ行けという。二階の生け簀を取り囲むような席に座り、メニューをみて眼を剥いた。最低が千六百円の定食からの品書きであった。
すこし考え、思い切って二千円の刺身定食を頼む。

量は多いが単調で寂しい色合いの刺身にご飯と味噌汁、茶碗蒸しが付いている、どうみても千五百円以下の定食である。鯵は三枚おろしのままで、良くいえばワイルド、単に手抜きだろう。
小田原まで出て「イソ○水産」あたりの千円以内の海鮮丼にすれば良かったようだ。
最近、観光客数が「V字回復」しているという熱海温泉だが、顔のような駅前付近の飲食店だけはあいかわらずの「リピーターなどワシいらんもんね」という昔スタイルの営業をしているようだ。
熱海の駅前にもココイチみたいなチェーン店でいいから、安価な飲食店の選択肢もあればと思うのはわたしだけなのだろうか。
→「伊豆山温泉、あたみ桜と日の出(1)」の記事はこちら
→「犬吠埼温泉(1)」の記事はこちら
→「ラビスタ函館ベイ(1)」の記事はこちら
→「来宮神社の大樟」の記事はこちら
→「たまの熱海で旅気分(1)」の記事はこちら
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