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温泉クンの旅日記

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浜離宮庭園から浅草へ(2)

2015-11-25 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <浜離宮庭園から浅草へ(2)>

 浜離宮を離れた水上バスはいったん日の出桟橋に進み、大勢の客を乗降のあと浅草を目指して出航した。
 水上バスでは酒もビールも販売しているのだが、船が苦手なので自重してコーラを買い求めた。
 右手には巨大なレインボーブリッジがみえる。



 水上バスは橋巡りの小旅でもある。
 まずは隅田川の最下流に架かる「勝鬨橋」だ。



 築地と月島を結び、大型船の通過の際には橋が割れて跳ねあがる可動橋だが、1980年に可動部はロックされてしまって現在に至っている。



 佃大橋、中央大橋を抜け、にょきにょきと建つタワーマンション群をあとにすれば、東京駅から門仲まで地下鉄を使わずに歩いていたころ毎日渡っていた「永代橋」である。



 永代橋は江戸時代に三番目(元禄六年1693年)の「新大橋」に続き、元禄十一年(1698年)、四番目に五代将軍綱吉の五十歳を祝して架橋された。春秋二回、終身刑の囚人が伊豆七島に送られる発着所もあった。
 歩き慣れた永代橋まできて、船嫌いのわたしにも浅草までの距離感がわかり俄然元気になってきた。
 墨田川大橋の下を潜れば、次は「清洲橋」だ。勝鬨橋、永代橋とともに重要文化財に指定されている。



 新大橋の次は「両国橋」である。大川(隅田川)が下総国と武蔵国の国境に跨ったためこう名づけられた。



 江戸東京博物館の手前、国技館の屋根がみえた。

 隅田川に架けられた最初の橋は、家康の命を受けて文禄三年(1594年)に建造された「千住大橋」で、幕府は江戸の防備のため他の架橋を認めなかった。
 明暦三年(1657年)、振袖火事と呼ばれる大火災が起きた。十万八千人の死者を出したといい、とくに両国あたりで大火に追われた人たちが隅田川に行く手を阻まれ多くの死者を出した。このため幕府は防火・防災のために架橋を決断し、万治二年(1659年)に「両国橋」が建造された。
 その後、震災や大戦などを契機にして隅田川には橋が架けられていったのである。



 轟音に振り返ると長い総武線が隅田川を渡っていた。
 黄色い「蔵前橋」。もう、浅草は近いぞ。



 緑色の「厩橋」、青色の「駒形橋」を抜け、最後の赤色の橋「吾妻橋」を潜る。浅草に到着である。



 船着き場をいったん通り越し、向きを変えるために広い川のなかでゆっくりUターンする。
 船から見るスカイツリーは初めてだ。



 船着き場に到着、久しぶりの浅草である。煙草が吸いたい。



 なんとも懐かしい浜離宮からの水上バス旅だった。それにしても乗船料、たったの七百四十円でたっぷり楽しめた。面白かった。



  →「浜離宮庭園から浅草へ(1)」の記事はこちら
  →「朝ウォーキングと深川焼きたてパン」の記事はこちら
  →「江戸東京博物館(1)」の記事はこちら
  


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