ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

日記詩 キムチ(バイリンガル)

2020-04-27 07:15:37 | 詩・コラム






日記詩
   
    「キムチ」
         

思いがけず届いたキムチ
東京の先輩が送ってくれた

甘酢っぱい香りが
思い出させてくれた 遠い昔を

初級学校5年生の時
彼女の姉が音楽の先生だったとき
先生の家で初めて会った彼女

食事を待っているあいだ
ふと卓上に目が留まった
白い原稿用紙にびっしり書かれた文字

北海道が舞台の小説
すずらんの花が今も忘れられない
勝手に人の物を見たと彼女は怒り
二十歳になるまで会う事はなかった

再び巡り会って40数年
辛口な彼女にいつも叱咤されながら
大人になったような気がする

彼女の家に泊まるたび
出してくれる手作りのキムチ
サラダのようにパクパク食べる私
目を細め微笑む彼女…

彼女がまたキムチを送ってくれた
寒さに負けるなと!自分に負けるなと!

*感謝を込めて (2012・2・6 作)


일기시

  「김치」

        
뜻밖에 보내온 김치
도꾜에 사는 선배가 보내주었네

달콤세큼한 향기가
떠올려주었네 아득히 먼 나날을 

초급부 5학년때
선배의 언니가 음악선생님 하셨을 때
선생님집에서 처음 만난 선배

식사를 기다리는동안
문득 탁상에 시선이 갔었지
하얀 원고용지에 빽빽이 메워진 글자

혹가이도가 무대인 소설
은방울꽃이 지금도 잊혀지지 않네
제멋대로 남의 글 보았다고 선배는 성내고
스무살이 될 때까지 만날 일은 없었지

또다시 만난 후로 어언 40여년
쌉살한 선배한테서 질타격려 받으며
난 어른이 된것 같구나

선배집에서 묵을 때마다
밥상에 올려주는 선배손맛이 깃든 김치
쌀라다처럼 덥석덥석 먹는 나를 
살뜰한 미소로 지켜보던 선배…

선배가 또다시 김치를 보내주었네
강추위를 이겨내라고!자신에게 지지말라고!

*감사를 담아(2012년2월6일 씀)
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余日花先生がお亡くなりになって6年の歳月が流れました。

2020-04-25 21:13:00 | 詩・コラム
 4・24教育闘争の生き証人であられる余日花先生が、4・24の前日である2014年4月23日、午後10時45分ごろお亡くなりになられたそうです。

 先生のご冥福を心からお祈りし、1996年3月退職された日に先生に贈らせていただいた詩を再掲いたします。






  「赤チョゴリの先生」
              

50年前 解放の喜びで沸き立った運動会の日
生まれて初めて赤チョゴリを身にまとった貴女は
運動場の真ん中で 疾風の如く走り
人々を驚かせました

アボジの顔も知らない 遺復女 娘1人を
愛之重之育ててくださったオモニとハルモニが
生絹をゆがき 真っ赤に染めて
夜を明かし縫って下さったチョゴリなんです

その日からいつしか過ぎ去った50年の歳月
貴女は今日も変わりなく
あの日の あの 赤チョゴリを
心の中にまとって歩いておられます

1946年4月 教壇に初めて立った日
足は震え 言葉はどもり
何度も折れてしまった真っ白なチョークが
今日もありありと目に浮かぶと仰る 先生

ひとつのコッペパンを 分け合って食べながら
冷たい風が入り込む教室で
ア、ヤ、オ、ヨ 教えるとき
キラキラ輝いていた瞳が力をくれたそうです

神聖な私たちの学び舎を守ろうと
弾圧者たちに立ち向かい闘った日々にも
鉄格子の中で送り迎えた試練の日々にも
先生は赤チョゴリを脱ぎませんでした

一生涯を専従として捧げられた御主人と共に
民族愛の道一筋を歩んでこられた道程で
ひどい風が吹き荒れたことでしょう
冷たい雨が降りしきったことでしょう

畳 九枚の ふた間だけの部屋で
3代家族が手足も伸ばせず暮らしながらも
息子に娘 4人の子供を 立派に育て
代を担うように導かれた先生

ミルクも買えなくて
子供たちを重湯で育てながらも
いったい何が最後まで貴女を
教壇に立たせたのでしょう

私たちは忘れることができません
勤続30年の年に祖国を訪問されたとき
夢にもお会いしたかった主席の懐に抱かれ
子供のように泣きじゃくられた先生の真心を!

「功勲教員」の栄誉を受けられた日
主席の恩恵を受け 誠の人生を探し
祖国のお陰で教育者に育った自分が
過分な勲章を頂いたと胸詰まらせた先生

人より仕事が少ないことを
誰よりも寂しがり
人よりたくさん働いて初めて
やっと胸を撫で下ろされた先生

若い先生たちにひけを取るものかと
風をかきわけ自転車をこいでおられた姿
顔のしわも教壇に立てばパァッと延び
珠玉のような筆致は まさに我らの誇りでした

あるときは母のように優しく抱いてくださり
あるときは父のように厳格に叱ってくださり
あるときは学生たちと気さくに交わり
競って上り下りされたあの階段

先生の情熱にあふれた授業と
骨折り作られた数知れない教材は
民族愛の種になり
後代の心の中に花を咲かせることでしょう

民族教育50年の歴史と共に
祖国の未来を背負っていく
21世紀の主人たちを育てる道に
一生を捧げられた先生

50年前 先生が初めて身にまとわれた
赤い そのチョゴリは
民族愛一筋を変わりなく歩んでこられた
もえたぎる 先生の心です
もえたぎる 先生の誓いです

(1996年3月退職の日に,2012・2.12 訳)

* 尊敬する余日花先生に



    「빨간 저고리 선생님」
            
              

쉰해전 해방의 기쁨으로 들끓던 운동회날
난생처음 빨간 저고리 입은 그대는
운동장 한복판을 질풍같이 달려
사람들을 놀라게 하였습니다

아버지의 얼굴도 모른 유복녀 딸 하나를
애지중지 키워주신 어머님과 할머님께서
생명주를 삶아 빨간 물을 들여
밤새워 지워주신 저고리랍니다

그때로부터 어느덧 흘러간 50년세월
그대는 오늘도 변함없이
그날의 그 빨간 저고리를 
마음속에 입고 걸어가십니다

1946년 4월 교단에 처음 선 날
발은 떨리고 말은 더듬거려
자꾸만 꺾어지던 새하얀 백묵이
오늘도 눈앞에 삼삼하다는 선생님

한개의 곱빼빵을 나누어먹으며
찬바람 스며드는 교실에서
아,야,어,여 배워줄 때면
반짝반짝 빛나는 눈동자가 힘을 주었답니다

신성한 우리의 배움터를 지키려고
원쑤들을 맞받아 싸우던 나날에도
철창속에서 맞고보낸 시련의 나날에도
선생님은 빨간 저고리를 벗지 않으셨습니다

한생을 전임으로 바치신 남편과 함께
애국의 한길을 걸어오실제
칼바람인들 불지 않았습니까
찬비인들 맞지 않았습니까

다다미 아홉장의 두칸방에서
3대가족이 다리 한번 못편채 살면서도
아들딸 네남매를 어엿하게 키워
애국의 대를 잇게 하신 선생님

미르크도 살수 없어 
아들딸을 미음으로 키우면서도
그 무엇이 끝내 그대에게 
교단을 지켜내게 하였습니까

우리는 잊지 못합니다
근속 30년상의 영예로 조국을 찾으셨을 때
꿈결에도 뵙고싶던 주석님의 품에 안겨
어린애마냥 흐느껴 울던 선생님의 진정을!

<공훈교원>의 영예 안으신 날
주석님의 은덕으로 참된 삶을 찾고
주석님의 덕분으로 교육일군으로 자란 몸이
너무나도 큰 훈장 받았다고 목메이시던 선생님

남보다 일을 적게 맡는것을 
누구보다 섭섭히 여기시고 
남보다 많이 일을 해야 
겨우 마음 놓으시던 선생님

젊은 교원들에게 뒤질세라 
바람을 헤치고 자전거를 몰던 모습
주름잡힌 얼굴도 교단에 서면 활짝!
주옥같은 글씨는 정녕 우리의 자랑이였습니다

때로는 어머니처럼 살뜰히 안아주시고
때로는 아버지처럼 엄하게 꾸중하시고
때로는 학생들과 허물없이 어울려
경쟁하여 오르내리던 그 계단을

선생님의 정열에 넘친 수업과
로고가 깃든 수많은 교편물들은
애국의 씨앗되여
후대들의 가슴속에 꽃으로 피여날것입니다

민족교육 반백년의 력사와 더불어
조국의 미래를 짊어지고나갈
21세기의 주인들을 키우는 길에서
한평생을 다 바쳐오신 선생님

쉰해전 선생님이 처음 입으신 
빨간 그 저고리는
애국의 한길을 변함없이 걸어오신
붉고붉은 선생님의 마음입니다
붉고붉은 신념의 맹세입니다

(1996년3월 퇴직하시는 날에)

*존경하는 여일화선생님께 드립니다.

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再掲、4・24阪神教育闘争70周年記念集会とパレード

2020-04-24 18:44:51 | 火曜日





4.24教育闘争の日から70年が過ぎました、しかし朝鮮学校への差別と弾圧は
とどまることを知らず、日に日に陰険になって来ています。誰が考えても理不尽極まりない民族教育への弾圧は、全世界の良心の前で恥すら忘れたように執拗に続けられています。



正午前、既に多くの参加者たちが大阪城公園内 教育塔の前に三々五々集まり始めました、予報通り11時ごろから雨は本降りになってきましたが、、、







































































今日のれぽーたーは春母(ハルモニ)会の長老である横道昭子さんです。写真撮影はパレード含めほとんど松尾和子さんです。よろしくお願いいたします。


正午きっかり長崎由美子さんの司会で集会が始まりました。

☆長崎さん


私たちは今日、民族教育と朝鮮学校を守るために、ここに集まりました。


70年前、祖国解放を迎え、自分達の民族の誇りを取り戻すために始まった民族教育に対し、大弾圧がありました。
その時、金太一少年が警官の銃弾の犠牲になりました。


又、今日は、朝鮮学校差別に反対し「高校無償化制度」の即時適用と、大阪府・大阪市の「補助金」即時再開求め、府庁前で毎週火曜日に行っている火曜行動は、291回目になります。
もう6年が経過しました。


6年経っても、否70年経っても変わらない日本社会が、変わらなくてはならない時に来ています。
南北首脳会談が始まります。
東北アジアが大きく変わろうとしているのです。


今日の行動には、東大阪朝鮮中級学校と大阪朝鮮高級学校から生徒さんと先生が、オモニ会、アボジ会の保護者の方々、同胞の方々、日本人支援者の方々がたくさん集まってくださいました。

雨に負けず、雨を吹き飛ばす元気なパレードしましょう!






服部良一さんの姿も見えます。









アピールが始まりました。最初は弁護団を代表して任弁護士のアピールです。

☆任真赫弁護士

みなさん こんにちは。
私は若輩ものですが、今日は弁護団を代表してまいりました。


70年前、朝鮮学校閉鎖令という超法規的な弾圧がありました。
70年経った今も弾圧が続いていると思わざるを得ません。
その根底には、民族差別政策と同化政策があるのです。


大阪では4月27日に「無償化」裁判控訴審3回目弁論があります。
名古屋では「無償化」裁判の判決を迎えます。


70年前に果敢に闘われた一世、二世の先輩が今もって闘っておられる。
わたし達は負けるわけにはいきません。
力を結集して一丸となって闘いましょう!














この写真覚えていらっしゃるでしょう、そうです、昨年7月28日、無償化闘争勝訴の日勝利宣言の幕を泣きながら持っていたあの新人弁護士です。





アピール





オモニ会を代表して福島初級オモニ会長リ・ヨングムさんのアピールです。


☆李ヨングムさん(福島初級 オモニ会会長)

1948年4月24日から70年が経った今日という日に、ここ大阪府庁前に私自身が立つ意味をかみしめています。

4.24は祖国解放後、在日同胞の民族教育権利闘争史上、最大規模の事件の一つだったそうです。
私は、先日あった大阪府オモニ連絡会主催の4.24記念民族教育セミナーに参加してたくさんのことを学びました。

まさに4月24日は、民族教育を守る不屈の魂と、輝く伝統を受け継ぐ「永遠の勝利記念日」、ウリマルとウリハッキョを守るために決死の覚悟で闘った「闘争記念日」、「学校記念日」だということでした。

4・24教育闘争では犠牲者も多く、当時16歳だった金太一(キムテイル)少年の命も奪われました。
私のこどもが今16歳で、大切な息子を失った金太一少年のオモニのことを思うと胸が張り裂けそうになり、ウリハッキョは二度と奪われてはいけない大切な民族権利だということを深く刻みました。

今、日本政府と地方自治体がウリハッキョを奪おうと躍起になっています。
ご存じのように去る3月20日、大阪地裁は大阪府、大阪市補助金裁判控訴審において、行政の違法行為を黙認し子どもたちの学ぶ権利を認めず、不当な判決を言い渡しました。本当に怒りを禁じえません。

 大阪府、大阪市はいわゆる「四要件」を提示し、2011年度から今日まで朝鮮学校にだけ補助金を全面カットしました。これは明らかに民族教育の権利を否定する民族差別です。

 保護者であるオモニたちはこの間、昨年の不当判決を乗り越え歯を食いしばり闘ってきました。そして迎えた7月28日、無償化裁判で民族教育を権利として認め、国が朝鮮高級学校を「高校無償化」制度から排除することを違法とする画期的判決を勝ち取りました。
ウリハッキョは七十年もの間、在日の子どもたちに母国語をはじめ民族の歴史や文化を教え、民族的アイデンティティーを胸に、祖国と同胞社会に貢献するりっぱな人材を育てるため、誇り高く民族教育を実施してきました。

 
ウリハッキョは、過去の奪われた民族的尊厳を取り戻すために、一世の同胞たちが苦難を乗り越え創設し、二世・三世が発展させてきた命のように大切な場であり、こどもたちは朝鮮と日本の友好の懸け橋となる、私たちのかけがえのない大切な未来です。

わたしたちはこれからも、弁護団の先生方、多くの日本人の方々、韓国の支援者の方々とともに手を取り、このたびの不当判決にひるむことなく、子どもたちの平等な学習権、民族教育を守るため全力を注いでいきます。

1948年4月24日の阪神教育闘争から70年目の今日、私たちは脈々と受け継がれてきた4.24の精神をこれからも受け継ぎ、大阪府・大阪市の補助金支給再開と高校無償化が実現するその日まで、最後まで闘い抜きます。
  
(ヨングムさんから原稿をいただて転載させていただきました)






青年代表は黄さんです。


☆留学同 黄貴勲さん

70年前の4月26日、金太一少年は銃によって虐殺されました。
弾に当たったなどではなく、虐殺です。


あの弾圧はアメリカ軍(GHQ)が指示していました。
70年後も変わることなく弾圧している。


あの時、立ち上がり果敢に闘った人たちと、同じ覚悟もって闘えるか、わたし達は問われているのです。
人間の尊厳をかけて朝鮮学校を守り抜いた、輝かしい歴史に学び、わたし達も闘えるか問われているのです。


南北朝鮮に平和が訪れようとしている今、自分達がこの地で朝鮮学校を守っていけるか、そのことにかかっています。


大阪府知事や市長を話し合いの場に引き出して、話し合いに応じさせる。
そんな覚悟で闘いたい。
どんなことがあっても、朝鮮学校を共に守っていきたい。









続いてのアピールは高校生時代から火曜行動への参加を続けている申さん。


申リョンスルさんのアピール

70年前の今日、ここ大阪で16歳の少年が命を失いました。
彼は異国の地で民族を守るために叫び、闘いました。
70年が経った今、私は彼のように声を上げているのか、戦っているのか。
もう一度、民族教育権擁護闘争最大規模である4,24(サイサ)を私たち青年が中心となり繰り広げて行かなければいけません。

私は高校まで朝鮮学校で祖国を学び、民族を学びました。
自身が在日朝鮮人であることを知り、民族の歴史を自身の歴史として学びました。
朝鮮学校で民族的アイデンティティを養ったから、今の私がいます。
しかし、私が朝鮮学校に通っていた15年間、いや、70年前から今日まで民族教育権だけでなく、在日朝鮮人の権利は保証されていません。

昨年7月28日の大阪地裁での「無償化」判決は、司法に正義があることを示しました。
「無償化」制度の趣旨に反する政策は不当である。無償化は平等に学ぶことができるための法律で、排除は主旨に反すると裁判長おっしゃいました。真っ当なことです。朝鮮が植民地にされた歴史的経緯からすれば、民族団体が民族学校に関わるのは当然であり、自国の指導者について学ぶのは当然であるという判決です。

無償化裁判は大阪地裁で勝訴しましたが、国による差別はまだ解消されていません。

朝鮮学校では人間としての自尊心、誇りを持っていけるような教育がなされていますが、日本社会では守られるべきものが切り捨てられています。
朝鮮学校をいじめてもいい対象として、自分の鬱屈を向けようとするのは、社会のゆがみの現れです。

道を歩く日本の方々に問います。
そして、朝鮮学校を悪く言う同じ在日コリアンの方々にも問います。
1つでも朝鮮学校について知ろうとしましたか?
一歩でも朝鮮学校に歩み寄ろうとしましたか?
無知が差別を生み、無関心が差別を作ります。

朝鮮学校を知らない人が差別をし、権利を奪うのです。

みなさんにも、気づいて頂きたい。
朝鮮学校の置かれている問題が特別なものでなく、大人が奪ってはならない希望そして将来の夢、そして自分やどの国の人も持っている当たり前の、
子どもの権利条約にもある、子どもが学ぶ権利、
言葉や文化を誇りを持って学ぶ民族教育権、
これが奪われているということに気づいて頂きたい。

そして、「これは自分たちに関係のないこと」
この無関心の中で、
過去の歴史がなかったことにされていくことに、
そして今子どもたちの学ぶ権利が奪われようとしていることに、
まったく知られないまま、関心を持たないまま過ぎようとしていることに対して、
関心を持っていただきたい、そしてこれは日本社会の問題だということを知り、一緒に考えていただきたいです。
そして、一緒にこの社会を変えていきたい。

国や行政が守らなければならないのは、
誰にとっても公平であることです。
それが憲法を守るということです。

一日も早く、日本の子どもたち、朝鮮学校の子どもたちすべての子どもたちが同じ温かい愛情に包まれることを私は願っているし、そのために戦います。

70年前の今日、16歳の少年ははどのような信念を持って叫んだのか、どれだけ強い覚悟を持って闘ったのか。
彼の信念、覚悟を私たち青年が受け継ぎ、青年である私たちが中心となり、在日朝鮮人の権利のために、よりよい日本社会のために闘い続けます。
みなさん、共に闘いましょう。





服部良一さんのアピール

☆服部良一さん(元衆議院議員)

こんにちは。
社民党の服部です。国際問題を担当しております。

阪神教育闘争から70年目のふし目ということで、感慨をもって参加しております。
改めて、闘いの歴史に心から敬意を表したいと思います。

民族の言葉、歴史、文化を学ぶことは、至極当然の権利です。

日本の侵略、強制連行、植民地支配の過酷な歴史の中で、解放後もそのまま日本に残らざるを得なかった方々もたくさんおられます。
民族教育の保障は日本政府に責任と義務があるのです。

わたしは議員時代にオモニ会のみなさんと、何度も文科省へ申し入れ行動に行きました。
先日、多文化共生の集会で、前文部科学事務次官の前川喜平さんの講演を聞きました。
素晴らしい講演ではありましたが、現役の時にもっと頑張ってほしかったな、と思ってしまいました。

北朝鮮と総連を敵視し、政治と教育をごちゃ混ぜにして、民族教育の権利を奪うことを許してはなりません。

東北アジアの平和への動きを後戻りさせてはなりません。
そして一日も早く、日本は共和国と国交を回復しなくてはなりません。

この脈絡の中で、朝鮮学校の闘いも必ず勝ちます。
がんばりましょう!









アピールの最後は大村和子さん。

☆大村和子さん

2012年4月17日、第一回火曜行動から夫と共に二人三脚でやってきました。

それから6年たちました。むしろ弾圧は酷くなっています。

初めての火曜行動の時、初級1年生だった子ども達は、この春中級生になりました。

この春、夫は亡くなりましたが、夫はしっかり前を向いて、ウリマルも日本語も堂々と学ぶ、ハッキョの子ども達を、本当に心から愛していました。
機会ある度に、朝鮮学校の子ども達を差別するな、いじめるな!と言っていました。

朝鮮学校の様々な困難は、日本社会の在り方、日本人の在り方が問われているのだ。
民族教育権を守る闘いは日本人の問題である、といつも言っていました。

夫は亡くなりましたが、これからも心は二人三脚で一緒に闘っていきます。
みなさん、元気にがんばりましょう!




☆長崎さん

アピールをしてくださった皆さん、ありがとうございました。

大村和子さんありがとうございました。

大村淳さんも、私たちと一緒に歩いてくださっていると思います。


パレードのシュプレヒコール紹介。
〇 子ども達の笑顔を奪うな!
〇 民族教育を守ろう!
〇 行政は朝鮮学校を差別するな!
〇 最後まで諦めずに闘うぞ!


デモパレードが出発です。


70年前、警官隊が撃った20発の銃弾の一つが頭を貫通し、無残な死を遂げた16歳の夢多き少年ー金太一少年の遺影を胸にしっかり抱きしめた玄理事長始め無償化連絡会代表たちを先頭にパレードが始まりました。
































子供たちも参加しています。





















































































赤ちゃんを抱っこしてパレードに参加した素晴らしいオンマ❣️








出発地点で演奏しながら激励していた火曜バンドもパレードしながら演奏します。





























































府庁正面玄関前です。この近くで右翼の人たちがヘイトスピーチを繰り返し妨害しました。


























































朝鮮学校の一部の生徒たちです。













シュプレヒコールをしながら歩く梁さん。











いつも火曜行動を行なっている府庁南館の前を通ります。



すでに2年が過ぎ去りましたが、4・24を心深くに刻むために再掲いたします。

















1時間、スピーカーを担いで行進してくださったのは、長崎さんです。












感謝してもしきれません。






通過しました。









パレードを全て撮影してくださったのは松尾和子さんです、本当にお疲れ様でした、松尾さんはこの後直ぐに辺野古に向かって機上の人となりました。










最後まで共に行動してくださった館山さん❣️本当にお疲れ様でした、歴史はきっと先生を記憶するはずです。

今日のパレードには600名近い方々が心を一つにし参加してくださいました。200回目のパレードの時の倍の方々です。お疲れさまでした。








ハルモニ会の皆さんと大阪城公園内を歩きながら帰路につきました。













雨も少し上がり公園内の木々はシャワーを浴びてとても美しかったです。

















70階段を下ります。





今朝の朝日新聞の朝刊です。記事を書いてくださった記者さんもお見えでした。ありがとうございます。

また新たなたたかいが始まります、4月27日には裁判がありますが、同時に祖国の板門店では歴史的な南北首脳会談が始まります。

今年の1月1日、新年の辞から始まった南北の雪解けはとどまることを知りません。春の花々のようにまた期待に胸膨らませましょう。









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春がいっぱい

2020-04-22 10:33:00 | 花たち
外出もままならず、ブログを見てくださっているあなたに送ります。
























ここまでは今朝のご近所の花























これは私が育てている花


グルメを少しだけ































コリアダイニング エフィのお鍋






















































































































コロナに負けないようにしっかり筋力つけて、しっかり食べて、前向きに生活しましょうね^_^

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再掲、100回目の「火曜日行動」です。

2020-04-14 13:34:20 | 火曜日
100回目の火曜行動と「火曜パレード」


 5月13日、今日は100回目の「火曜日行動」の日です。

 孫たちをスクールバスと保育園に送った後、家に戻り帽子を加工しアピールする言葉を貼り付けました。

 パレードをするというので、何かアピールしなければ!と思ったからです。


  即席ですが、何も持たずにはいけなかったのです。











  娘が「母の日」に100回目の火曜日行動の日に履いてとプレゼントしてくれたスニーカーを履いて自転車で出かけました。

  12時少し前に教育塔前に到着しましたが、すでに人がいっぱいでした。



  京都からこの間、講演会でお会いしたオモニムたちが来てくださっていました。3週間ぶりの再会です。嬉しくって、有難くって、飛んで行きました。ご挨拶に・・・



  パレードの前にいろんな方々が簡単にあいさつされました。

  

















  前衆議院議員の服部良一さんや無償化連絡会の藤永先生、われらがエミさんもマイクを握りました。





  大村さんはパレードの間、先頭で宣伝カーに乗ってマイクアピールをずうーっと続けてくださいました。



  東大阪中級部のトンムたちも駆けつけてくれていました。



















  パレードをしているとき2階の窓から手を振ってくださる方もいました。




  パレードは続きました。

  みんなそれぞれが考えたプラカードを掲げてのパレードです。



















  いつも行動をしている府庁横に到着です。

  館山さんがいつもの場所で1時間立ちつづけてくれていました。胸が熱くなりました。









  古賀さんと木村さんがいつものように1時間の間パレードしながら楽器演奏をしてくださいました。

  「われらの願い」という曲が聞こえたとき、アプロハムケの皆さんが熱唱してくださいました。またまたウルウルです。

  教育塔前に帰ってきました。







































  先頭でみんなを引っ張って下さっている長崎さんが力強い挨拶をされました。これかも頑張ろうとみんなが思ったはずです。


  解散に先立ち、京都からわざわざ来てくださったオモニムたちと記念写真を撮りました。本当にコマッスムニダ。又9月の講演会に行きますね。





 出口で東大阪の美人軍団のオモニたちとお会いし、冗談を交わしながら写真を撮りました。




  雨予報のため、交流会が中止になったのですが、せっかくだからうどんでも食べて帰ろうと、いつもの火曜行動の仲間とうどん屋に向かっているとき、木村さんが1000円でフランス料理のバイキングがあると教えてくれたので、急きょそのお店に向かって10人ぐらいで行きました。









  おなかが空いていたからか知らないけど、なんと美味しいことか!前菜からデザートまで食べ放題ですからみんな何回もお代わりしました。勿論私も!

  消費税が上がったので1、080円でしたが、みんな大満足で帰路に着きました。



 友人の朴正泰さんが「100回目の火曜日行動」を応援しに来てくださり、写真を写してくださいました。

 ご本人の許可を受け、ここに掲載させていただきます。朴さん、貴重な写真を有難うございました。

 朴さんは、私の朋友であった 故 高仁鳳さんの大切なお友達です。思想や所属団体を越え朋友になった、今は亡き高仁鳳さんが繋げてくださった方です。

 13枚の写真を掲載いたします。感謝を込めて!









































                              


  300人近くパレードに参加したと思います。

  元気が出たり、がっくり来たり、色々あった「火曜日行動」ですが、今日を節目にもっともっと研究して「行動」をつづけなければと新たな決意に燃えました。これからも頑張ります!!



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