ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

再掲、4・24阪神教育闘争70周年記念集会とパレード

2020-04-24 18:44:51 | 火曜日





4.24教育闘争の日から70年が過ぎました、しかし朝鮮学校への差別と弾圧は
とどまることを知らず、日に日に陰険になって来ています。誰が考えても理不尽極まりない民族教育への弾圧は、全世界の良心の前で恥すら忘れたように執拗に続けられています。



正午前、既に多くの参加者たちが大阪城公園内 教育塔の前に三々五々集まり始めました、予報通り11時ごろから雨は本降りになってきましたが、、、







































































今日のれぽーたーは春母(ハルモニ)会の長老である横道昭子さんです。写真撮影はパレード含めほとんど松尾和子さんです。よろしくお願いいたします。


正午きっかり長崎由美子さんの司会で集会が始まりました。

☆長崎さん


私たちは今日、民族教育と朝鮮学校を守るために、ここに集まりました。


70年前、祖国解放を迎え、自分達の民族の誇りを取り戻すために始まった民族教育に対し、大弾圧がありました。
その時、金太一少年が警官の銃弾の犠牲になりました。


又、今日は、朝鮮学校差別に反対し「高校無償化制度」の即時適用と、大阪府・大阪市の「補助金」即時再開求め、府庁前で毎週火曜日に行っている火曜行動は、291回目になります。
もう6年が経過しました。


6年経っても、否70年経っても変わらない日本社会が、変わらなくてはならない時に来ています。
南北首脳会談が始まります。
東北アジアが大きく変わろうとしているのです。


今日の行動には、東大阪朝鮮中級学校と大阪朝鮮高級学校から生徒さんと先生が、オモニ会、アボジ会の保護者の方々、同胞の方々、日本人支援者の方々がたくさん集まってくださいました。

雨に負けず、雨を吹き飛ばす元気なパレードしましょう!






服部良一さんの姿も見えます。









アピールが始まりました。最初は弁護団を代表して任弁護士のアピールです。

☆任真赫弁護士

みなさん こんにちは。
私は若輩ものですが、今日は弁護団を代表してまいりました。


70年前、朝鮮学校閉鎖令という超法規的な弾圧がありました。
70年経った今も弾圧が続いていると思わざるを得ません。
その根底には、民族差別政策と同化政策があるのです。


大阪では4月27日に「無償化」裁判控訴審3回目弁論があります。
名古屋では「無償化」裁判の判決を迎えます。


70年前に果敢に闘われた一世、二世の先輩が今もって闘っておられる。
わたし達は負けるわけにはいきません。
力を結集して一丸となって闘いましょう!














この写真覚えていらっしゃるでしょう、そうです、昨年7月28日、無償化闘争勝訴の日勝利宣言の幕を泣きながら持っていたあの新人弁護士です。





アピール





オモニ会を代表して福島初級オモニ会長リ・ヨングムさんのアピールです。


☆李ヨングムさん(福島初級 オモニ会会長)

1948年4月24日から70年が経った今日という日に、ここ大阪府庁前に私自身が立つ意味をかみしめています。

4.24は祖国解放後、在日同胞の民族教育権利闘争史上、最大規模の事件の一つだったそうです。
私は、先日あった大阪府オモニ連絡会主催の4.24記念民族教育セミナーに参加してたくさんのことを学びました。

まさに4月24日は、民族教育を守る不屈の魂と、輝く伝統を受け継ぐ「永遠の勝利記念日」、ウリマルとウリハッキョを守るために決死の覚悟で闘った「闘争記念日」、「学校記念日」だということでした。

4・24教育闘争では犠牲者も多く、当時16歳だった金太一(キムテイル)少年の命も奪われました。
私のこどもが今16歳で、大切な息子を失った金太一少年のオモニのことを思うと胸が張り裂けそうになり、ウリハッキョは二度と奪われてはいけない大切な民族権利だということを深く刻みました。

今、日本政府と地方自治体がウリハッキョを奪おうと躍起になっています。
ご存じのように去る3月20日、大阪地裁は大阪府、大阪市補助金裁判控訴審において、行政の違法行為を黙認し子どもたちの学ぶ権利を認めず、不当な判決を言い渡しました。本当に怒りを禁じえません。

 大阪府、大阪市はいわゆる「四要件」を提示し、2011年度から今日まで朝鮮学校にだけ補助金を全面カットしました。これは明らかに民族教育の権利を否定する民族差別です。

 保護者であるオモニたちはこの間、昨年の不当判決を乗り越え歯を食いしばり闘ってきました。そして迎えた7月28日、無償化裁判で民族教育を権利として認め、国が朝鮮高級学校を「高校無償化」制度から排除することを違法とする画期的判決を勝ち取りました。
ウリハッキョは七十年もの間、在日の子どもたちに母国語をはじめ民族の歴史や文化を教え、民族的アイデンティティーを胸に、祖国と同胞社会に貢献するりっぱな人材を育てるため、誇り高く民族教育を実施してきました。

 
ウリハッキョは、過去の奪われた民族的尊厳を取り戻すために、一世の同胞たちが苦難を乗り越え創設し、二世・三世が発展させてきた命のように大切な場であり、こどもたちは朝鮮と日本の友好の懸け橋となる、私たちのかけがえのない大切な未来です。

わたしたちはこれからも、弁護団の先生方、多くの日本人の方々、韓国の支援者の方々とともに手を取り、このたびの不当判決にひるむことなく、子どもたちの平等な学習権、民族教育を守るため全力を注いでいきます。

1948年4月24日の阪神教育闘争から70年目の今日、私たちは脈々と受け継がれてきた4.24の精神をこれからも受け継ぎ、大阪府・大阪市の補助金支給再開と高校無償化が実現するその日まで、最後まで闘い抜きます。
  
(ヨングムさんから原稿をいただて転載させていただきました)






青年代表は黄さんです。


☆留学同 黄貴勲さん

70年前の4月26日、金太一少年は銃によって虐殺されました。
弾に当たったなどではなく、虐殺です。


あの弾圧はアメリカ軍(GHQ)が指示していました。
70年後も変わることなく弾圧している。


あの時、立ち上がり果敢に闘った人たちと、同じ覚悟もって闘えるか、わたし達は問われているのです。
人間の尊厳をかけて朝鮮学校を守り抜いた、輝かしい歴史に学び、わたし達も闘えるか問われているのです。


南北朝鮮に平和が訪れようとしている今、自分達がこの地で朝鮮学校を守っていけるか、そのことにかかっています。


大阪府知事や市長を話し合いの場に引き出して、話し合いに応じさせる。
そんな覚悟で闘いたい。
どんなことがあっても、朝鮮学校を共に守っていきたい。









続いてのアピールは高校生時代から火曜行動への参加を続けている申さん。


申リョンスルさんのアピール

70年前の今日、ここ大阪で16歳の少年が命を失いました。
彼は異国の地で民族を守るために叫び、闘いました。
70年が経った今、私は彼のように声を上げているのか、戦っているのか。
もう一度、民族教育権擁護闘争最大規模である4,24(サイサ)を私たち青年が中心となり繰り広げて行かなければいけません。

私は高校まで朝鮮学校で祖国を学び、民族を学びました。
自身が在日朝鮮人であることを知り、民族の歴史を自身の歴史として学びました。
朝鮮学校で民族的アイデンティティを養ったから、今の私がいます。
しかし、私が朝鮮学校に通っていた15年間、いや、70年前から今日まで民族教育権だけでなく、在日朝鮮人の権利は保証されていません。

昨年7月28日の大阪地裁での「無償化」判決は、司法に正義があることを示しました。
「無償化」制度の趣旨に反する政策は不当である。無償化は平等に学ぶことができるための法律で、排除は主旨に反すると裁判長おっしゃいました。真っ当なことです。朝鮮が植民地にされた歴史的経緯からすれば、民族団体が民族学校に関わるのは当然であり、自国の指導者について学ぶのは当然であるという判決です。

無償化裁判は大阪地裁で勝訴しましたが、国による差別はまだ解消されていません。

朝鮮学校では人間としての自尊心、誇りを持っていけるような教育がなされていますが、日本社会では守られるべきものが切り捨てられています。
朝鮮学校をいじめてもいい対象として、自分の鬱屈を向けようとするのは、社会のゆがみの現れです。

道を歩く日本の方々に問います。
そして、朝鮮学校を悪く言う同じ在日コリアンの方々にも問います。
1つでも朝鮮学校について知ろうとしましたか?
一歩でも朝鮮学校に歩み寄ろうとしましたか?
無知が差別を生み、無関心が差別を作ります。

朝鮮学校を知らない人が差別をし、権利を奪うのです。

みなさんにも、気づいて頂きたい。
朝鮮学校の置かれている問題が特別なものでなく、大人が奪ってはならない希望そして将来の夢、そして自分やどの国の人も持っている当たり前の、
子どもの権利条約にもある、子どもが学ぶ権利、
言葉や文化を誇りを持って学ぶ民族教育権、
これが奪われているということに気づいて頂きたい。

そして、「これは自分たちに関係のないこと」
この無関心の中で、
過去の歴史がなかったことにされていくことに、
そして今子どもたちの学ぶ権利が奪われようとしていることに、
まったく知られないまま、関心を持たないまま過ぎようとしていることに対して、
関心を持っていただきたい、そしてこれは日本社会の問題だということを知り、一緒に考えていただきたいです。
そして、一緒にこの社会を変えていきたい。

国や行政が守らなければならないのは、
誰にとっても公平であることです。
それが憲法を守るということです。

一日も早く、日本の子どもたち、朝鮮学校の子どもたちすべての子どもたちが同じ温かい愛情に包まれることを私は願っているし、そのために戦います。

70年前の今日、16歳の少年ははどのような信念を持って叫んだのか、どれだけ強い覚悟を持って闘ったのか。
彼の信念、覚悟を私たち青年が受け継ぎ、青年である私たちが中心となり、在日朝鮮人の権利のために、よりよい日本社会のために闘い続けます。
みなさん、共に闘いましょう。





服部良一さんのアピール

☆服部良一さん(元衆議院議員)

こんにちは。
社民党の服部です。国際問題を担当しております。

阪神教育闘争から70年目のふし目ということで、感慨をもって参加しております。
改めて、闘いの歴史に心から敬意を表したいと思います。

民族の言葉、歴史、文化を学ぶことは、至極当然の権利です。

日本の侵略、強制連行、植民地支配の過酷な歴史の中で、解放後もそのまま日本に残らざるを得なかった方々もたくさんおられます。
民族教育の保障は日本政府に責任と義務があるのです。

わたしは議員時代にオモニ会のみなさんと、何度も文科省へ申し入れ行動に行きました。
先日、多文化共生の集会で、前文部科学事務次官の前川喜平さんの講演を聞きました。
素晴らしい講演ではありましたが、現役の時にもっと頑張ってほしかったな、と思ってしまいました。

北朝鮮と総連を敵視し、政治と教育をごちゃ混ぜにして、民族教育の権利を奪うことを許してはなりません。

東北アジアの平和への動きを後戻りさせてはなりません。
そして一日も早く、日本は共和国と国交を回復しなくてはなりません。

この脈絡の中で、朝鮮学校の闘いも必ず勝ちます。
がんばりましょう!









アピールの最後は大村和子さん。

☆大村和子さん

2012年4月17日、第一回火曜行動から夫と共に二人三脚でやってきました。

それから6年たちました。むしろ弾圧は酷くなっています。

初めての火曜行動の時、初級1年生だった子ども達は、この春中級生になりました。

この春、夫は亡くなりましたが、夫はしっかり前を向いて、ウリマルも日本語も堂々と学ぶ、ハッキョの子ども達を、本当に心から愛していました。
機会ある度に、朝鮮学校の子ども達を差別するな、いじめるな!と言っていました。

朝鮮学校の様々な困難は、日本社会の在り方、日本人の在り方が問われているのだ。
民族教育権を守る闘いは日本人の問題である、といつも言っていました。

夫は亡くなりましたが、これからも心は二人三脚で一緒に闘っていきます。
みなさん、元気にがんばりましょう!




☆長崎さん

アピールをしてくださった皆さん、ありがとうございました。

大村和子さんありがとうございました。

大村淳さんも、私たちと一緒に歩いてくださっていると思います。


パレードのシュプレヒコール紹介。
〇 子ども達の笑顔を奪うな!
〇 民族教育を守ろう!
〇 行政は朝鮮学校を差別するな!
〇 最後まで諦めずに闘うぞ!


デモパレードが出発です。


70年前、警官隊が撃った20発の銃弾の一つが頭を貫通し、無残な死を遂げた16歳の夢多き少年ー金太一少年の遺影を胸にしっかり抱きしめた玄理事長始め無償化連絡会代表たちを先頭にパレードが始まりました。
































子供たちも参加しています。





















































































赤ちゃんを抱っこしてパレードに参加した素晴らしいオンマ❣️








出発地点で演奏しながら激励していた火曜バンドもパレードしながら演奏します。





























































府庁正面玄関前です。この近くで右翼の人たちがヘイトスピーチを繰り返し妨害しました。


























































朝鮮学校の一部の生徒たちです。













シュプレヒコールをしながら歩く梁さん。











いつも火曜行動を行なっている府庁南館の前を通ります。



すでに2年が過ぎ去りましたが、4・24を心深くに刻むために再掲いたします。

















1時間、スピーカーを担いで行進してくださったのは、長崎さんです。












感謝してもしきれません。






通過しました。









パレードを全て撮影してくださったのは松尾和子さんです、本当にお疲れ様でした、松尾さんはこの後直ぐに辺野古に向かって機上の人となりました。










最後まで共に行動してくださった館山さん❣️本当にお疲れ様でした、歴史はきっと先生を記憶するはずです。

今日のパレードには600名近い方々が心を一つにし参加してくださいました。200回目のパレードの時の倍の方々です。お疲れさまでした。








ハルモニ会の皆さんと大阪城公園内を歩きながら帰路につきました。













雨も少し上がり公園内の木々はシャワーを浴びてとても美しかったです。

















70階段を下ります。





今朝の朝日新聞の朝刊です。記事を書いてくださった記者さんもお見えでした。ありがとうございます。

また新たなたたかいが始まります、4月27日には裁判がありますが、同時に祖国の板門店では歴史的な南北首脳会談が始まります。

今年の1月1日、新年の辞から始まった南北の雪解けはとどまることを知りません。春の花々のようにまた期待に胸膨らませましょう。









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