ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

1月24日、228回目の「火曜行動」です。

2017-01-24 16:41:40 | 火曜日
228回目の「火曜行動」です。
今年に入って最高の寒さだと思います。







今日のレポーターはハルモニ会の横道さんです。手が冷たいと思いますが,よろしくお願いいたします。写真は松尾和子さんが送ってくださっています。お疲れさまでした。




長崎さんの第一声が響きましたが、他の団体の方々も同時刻にアピールをされているので、スピーカー4つにはかないません。今日は、障がいのある人や難病を抱えいる人たちが、大阪府の医療助成制度改悪反対を訴えて、街宣されています。共に譲歩しながらアピールしあえたらよいなぁと思っています。

☆長崎さんのアピールから

「午後から雪の予報も出ている寒い中、228回目の火曜行動です。

2012年3月、当時の橋下大阪府知事が、朝鮮学校への補助金を停止して5年になります。
「北朝鮮の迎春公演に生徒が参加した」ことが直接の理由でした。
自分の祖国を訪れることがそんなに罪でしょうか?


補助金の支給停止は違法です。
全ての子どもは学ぶ権利があり、平等に生きる権利があります。
どの国で生まれようと、どの国に住もうと、自分のルーツを知る権利、言葉や文化を学ぶ権利があります。そして誇りに思う権利があります。
その権利を奪うことは国際人権規約に反しています。


補助金の支給停止で朝鮮学校は経済的に困窮状態になっています。
生活を維持する給料を払えなくて大好きな先生が辞めていかれる。
保護者の負担が大きくなって日本の学校に進学せざるえなくなり、友達と別れる。
子どもたちのこんな悲しい思いを知ってほしいと思います。


先日、在特ヘイト集団の攻撃に対し裁判に立ち上がり、勝利を勝ち取った、京都朝鮮初級学校のパクオモニのお話を聞きました。
なぜ立ち上がれたか。「傷付けたのも日本人だが、共に闘っている日本人や弁護士の方々に勇気をもらった」
もう一つは「大人が子どもに見せることが出来るのはただ一つ、諦めない勇気」と話されていました。

そして、なによりも嬉しかったのは、高裁判決が「民族教育が日本に存在する」ことを認めたことと話されました。


火曜行動も火曜バンドのみなさん始め多くの日本人が参加しています。
当事者だけの問題ではない。日本人の問題でもあるのです。

立ち上がった朝鮮学校と共に、お互いを大切にしたいという思いから、5年間共に闘ってきました。」

☆長崎さんのアピールから


「2012年9月朝鮮学校は大阪府・市の違法を裁判に訴えました。
その判決が今週1月26日にでます。
裁判での生徒や学生、アボジ、オモニ、ソンセンニムの証言から、ウリハッキョがいかに大切な、かけがえのない学びの場であるかが伝わってきました。


補助金裁判は大阪だけです。26日の判決は全国で注目されています。
全国の自治体に不当な補助金打ち切りが広がっているからです。


司法は子どもたちの学ぶ権利、生きる権利に公平な判断を示してほしい。
司法は、われわれに正義があることを示しほしい。
司法の良心ある判決を心から望んでいます。


今日は障がいのある人や難病を抱えいる人たちが、大阪府の医療助成制度改悪反対を訴えて、街宣されています。
朝鮮学校補助金停止も医療助成制度改悪も根は同じです。
一番してはいけない行政が差別をしている。
「いじめをなくそう」と言う行政が「いじめ」をしている。
命とくらしを守ることこそ行政の役割ではないですか。


勝訴判決の時は大阪府・市に控訴しないこと、速やかに補助金再開することを要求します。
私たちは勝利を信じていますが、万が一敗訴の場合も、闘いを諦めることはありません。
「子供たちの夢と希望を取り戻す」ために、「人間の良心と尊厳を取り戻す」ために闘い続けます。」(レポート横道)












サンシンの森本さんが短歌2首送ってくださいました。

「判決を二日後に控え傍聴人盛んに募る街宣現場」ちゅうき

「問うてみる差別反対言いながらこれまで何をやってきたのかと」ちゅうき































飛び入りの方が頑張ってくださっています。











他の団体の方々が火曜行動参加者の前を通っていきます、お一人お一人に「お疲れ様です、頑張ってください」とみんなで声がけしました。






長崎さんが45分間もお話を続けていらっしゃいます。喉が潰れては大変です。自分から進んで駆け寄り私もウリハッキョへの想いを込めた自作詩を朗読させていただきました。

「ふるさと」   


生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった


60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると 
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す 


北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ


突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で 
私をこの世に生み出してくれたオモニ 
自分の歯でへその緒を切ってくれた母


6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々 
函館の海でいか裂きしながら 
私達を育ててくれたオモニ


零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた


青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた


生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って   
声張り上げた《ボロおまへんか》と

 
あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
出生地はいつの間にか京都市になっていた


家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校


初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生


麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった


ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと

    
ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて


同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり


疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日


それでも踏ん張れよと諭してくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ


私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ


決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!

     

*ウリハッキョ 私達の学校〔朝鮮学校〕
*ウリマル朝鮮語 *ハラボジ祖父 *オモニ母





ほとんどの写真は松尾和子さんが送ってくださっています。ありがとうこざいます。












宋さんもアピールしてくださいました。


☆オモニのアピールから

「私の子どもは今受験の真最中です。朝鮮高級学校に進学することが彼女の希望です。
毎日頑張っています。

思えば彼女が初級学校5年生の時からこの府庁前に立ってきました。

子どもは成長しましたが、私は子どものために何かしてあげられたか?と自問します。

私の子どもだけでなく、子どもたちの学ぶ権利は、まだ取り戻してあげていない。

まだまだ頑張らなくてはと思っています。共にがんばりましょう!」(レポート横道)
















クッスンさんが今日もキャンディで参加者たちに元気を運んできてくださいました。











火曜バンドの皆さんは手が千切れそうなのに素手で楽器を奏で続けていらっしゃいます、どんなに励まされ続けてきたことか!228回目です!















最後はみんなで力いっぱい歌を歌いました!





いつものように駐輪場に集まりました。









いろんなアピールがありました。











長崎さんから最後にお話がありました。

「裁判所前東南角に12時半に集合して横断幕を持って入り口まで歩きます。ぜひ皆さんに呼び掛けて下さい。」と。

このブログを見て下さっている皆様、1時から別館・南玄関前で傍聴券の抽選が始まります。是非傍聴に駆けつけてください。

その時間に来れない時は、午後6時半から「大阪府・市補助金裁判 判決言い渡し報告集会」が中央区民センター大ホールにて行われますのでそちらに御参加ください。(地下鉄堺筋線・中央線ー堺筋本町3番出口を出てすぐにホールはあります。)

よろしくお願いいたします。










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