※ネタバレあり。
先の大戦で親をなくした戦災孤児を、縁もゆかりもない一般家庭で引き取って育てたという例は、実際にあったようです。
アニメ映画『この世界の片隅に』では、広島に投下された原爆によって親を失い、さまよっていた幼い少女が、ひょんなキッカケですずさんと出合い、すずさんの家庭で育てられる。そんな話がエンディングに用意されていましたね。
すずさんの家庭は、夫とその両親、離婚し家に戻った義理の姉とその幼い娘によって構成されています。
義姉の娘、晴美さん(すずさんは幼い晴美のことを常に「晴美さん」と呼んでいました)とすずさんはとても仲が良かった。
ある日、すずさんが晴美さんの手をつないで呉の街中を歩いていると、米軍の落とした不発弾による巨大な穴が地面に開いていました。
すずさんと手をつないだまま、穴を覗き込む晴美さん。
しかしそれは、ただの不発弾ではなかった。
時限装置つきの爆弾でした。
これにより晴美さんは帰らぬ人となり、すずさんは晴美さんとつないでいた右手を失ってしまう。
もしあの時、晴美さんとつないでいた手が右手ではなく左手だったら、晴美さんは死なずに済んだかもしれない。すずさんはそのことをずっと後悔していました。
しかし広島で出会った少女は、すずさんの失われた右手に、母親の面影をみたのです。
そうしてその少女は生き延びた。
人の生き死にって、なんなのだろう…。
連れて帰った少女を、すずさんの家族は特別歓迎するでもなく厭々でもなく、極普通に受け入れる。
晴美さんの母親である義姉は、晴美さんが着ていた洋服を取り出して、こうつぶやきます。
【去年の晴美の服じゃ、こまいかねえ】
亡くした娘の服を、見ず知らずの少女に当たり前のように着せてあげようとする義妹。
「母性」というものの深さを、強く感じさせた、素晴らしいセリフでした。
人間はとんでもなく残酷なことをするけれど、一方ではとてつもなく優しくもある。
戦争という苛酷な状況は、良くも悪くも人の本性をさらけ出させる。
あの過酷な時代を「普通」に生きた名も無き市井の人々に
称賛と感謝を。
(-_-)
に居た時、きのこ雲を見たそうです。
そのあと、大田川だったかな?違うかな。
その辺りで沢山の御遺体を運んだそうです。
その内容は、あまり話してくれませんでした。
職業軍人になることを志願していた父は、家族にも内緒で
試験を受け、合格し、もう少し戦争が続いていたら特攻隊に入っていたかも。
自分の目の前で、落ちていた玩具の飛行機を(紐付き?)
父より先に、たまたま振り回した友達の男の子が、その玩具に見えた爆弾で身体、吹っ飛ばされたこともありました。
一瞬の差で、命の亡くなる方も助かる方もいる。
本当に本当に悲惨過ぎる経験は多くは語れませんね。
だけど未来の子ども達、人間のために、この世の非道な現実も正しく伝えなくちゃ、、ですねぃ。
この場面は印象的でした。
小さい心のわたしは、シラミを見ただけで「うわ、、」
て引いてしまうかも知れない。
もっと優しくなりたい。
東日本大震災の現場に、震災から約二か月後に入りました。あの時ほど自分の無力を味わったことはありません。
もっと強く、もっと優しくありたい。そう思ったものですが、なかなか…。
人の中にある善と悪、私ならこんな時どうするのだろうか…とよく戦時中のドラマや映画を観て思います。
葛藤しても善をえらぶ自分でありたい。葛藤なしに自然に出来る自分なら尚理想だけれど…。
のんちゃんの声のアニメ版も観たくなりました。イマナンカーイ!?
アニメ観てね~っ。