この2者の違いは、「国政を変える意志があるか」にあると思います。
国政がどうなるかを眺めて、その動向に沿って市政を行うならば、行きつくところ市民に負担増を求めるしかありません。
そうしてこれまで長岡京市は、小田市政12年で9回の国保料値上げ、4回の介護保険料値上げ(1.8倍に!)をしました。
大企業にさらに減税しようとしている国に、モノ申さなければ、市民のくらしは守れませんし、願いも実現できません。
もちろんモノ申したからと言って、すぐ変わるものでもないし、国が支えてくれないなかで市町村はがんばっていくしかない。でも、モノ申すのと申さないのとでは大きく違うと思います。
国のやることをそのままやるんでは、市民は救われないのです。窓口に行って、「いや~そう決まってるんで」と言われて終わり。
市民は「あんたに言うてもしゃーないけどな」と言うしかありません。
しかし、トップがあくまで市民目線で、国の悪政にも「おかしい」と言う立場なら、市役所の現場も「国が決めてますんで」ではすませないでしょう。
市としてできることを追求します。その積み重ねが、市民を暮らしやすくし、国も動かしていくと思います。
市役所の職員も、それでこそやりがいがあります。国の決めた枠をこえて、積極的に市民を守るのです。
そしていま全国で、国のやることに異議申し立てする自治体は増えています。
沖縄はまさにその最先端。党派をこえて国の基地政策反対の首長や議員を次々誕生させているんですから。TPPや原発、憲法などもきっかけに、国にモノ申す流れができつつあります。
それはなぜか。国にモノ申さなければ住民が守れないことが鮮明になってきているからなんだろうと思います。
今、国は明確に増税、社会保障切り捨て、原発再稼働やTPP推進、労働法改悪などを進めようとしています。
それにどういう態度をとるのか。「国のことだから関係ありません」か?
以前は、「共産党はできもせんことを言っている」とよく言われました。しかし今は、できるできないではなく、「やるしかない!やらねばやられる!」そんな状況になりつつあるのだと思います。
一二三さんは言いました。「体をはって市民を守ります」
30年、教師として、特に困難をかかえる子によりそい、どんな子の思いも全身で受け止めてきた人だからの表現だなと思います。
公開討論会で聴衆を魅了した(「国政に出たらええ」と耳打ちする方もいた)その力強さと胆力で、市長となって体をはってほしいと切に願います。
これまで小田市政に一度たりとも反対したことのない「オール与党」の自民と民主。それが2つに割れても、なんの対決軸もありません。
そして大きなチャンスです。
中平一二三さんへのご支援の輪をどうぞ広げてください。もう5日しかありません!