京都の長岡京市会議員の小原明大(おはらあきひろ)です。九小・三中・西乙・神戸大卒。ツイッター・FBもお願いします。
おっはー!



ごぶさたしています。

戦争法を許さない運動、マイナンバーの問題、TPPなど、国政課題に追われる中で9月議会もしっかりやったつもりですが、市議会で何をやったかを語るのはなかなか根気のいる課題です。

というのは日常の活動報告のような簡単なものではなく、説明をする必要がある。それも国政問題のように、だいたい知ってはることではなく、イチから説明する必要がある。

そんなこんなで時間をとる努力をせず、なかなか市政を語らぬ市会議員は、アカンよなあ・・・。

せめてこのブログで「おもんない^^;」と一度触れた「第4次総合計画」は、どう決着をつけたのか、報告せねばと思い筆をとりました。



市の最上位の計画である「総合計画」。今年度で前の計画期間が終わるので、来年度からの計画案がこの9月議会に提案されました。

長岡京市は、15年スパンの「基本構想」と、5年スパンの「基本計画」を今回議決しました。

結論から言えば、わが党議員団は両方「反対」しました。



「野党だから反対」などといった、政治的な意図で反対したのではありません。

本来、総合計画という、わりと抽象的な総花の計画は、反対理由もつけにくいのです。わが議員団は15年前の今井市政当時の第3次総合計画には賛成しました。

でも今回は、賛成とは言い難かった。

反対討論の中身を紹介したいと思います。今日は、15年スパンの「基本構想」についてです。



①過去の15年、あるいは45年の評価や総括が示されない

これまで長岡京市は、さまざまな政策を実行し、まちの形を大きく変える事業も行ってきました。それが良かれ悪しかれどういう成果と課題をもたらしているか、評価があってこそ、今後15年の方向がみえてきます。


たとえば、3代の市長にわたって多くの紆余曲折、地元の方々のご協力をへて完成したJR西口整備と再開発事業

当初は五十棲市長も「招かざる客」と表明し、議会も20数件の反対請願をすべて可決したにも関わらず建設が行われ、今なお住民の住環境を守る運動が継続している第二外環状道路

第3次総合計画ではJR長岡京駅と阪急長岡天神駅を中心とする「2眼レフ」の市街地整備を構想しながら、突如として国交省の提案に小田市長が手をあげた阪急新駅設置
当初は長岡天神駅周辺の混雑解消が目的と言いながら、いつの間にか3つの駅を核とした「トライアングル」のまちづくりへと方向転換をしてきました。


とくにあとの2つは、市の本来めざしていた形と違うものが入ってきて、まちを大きく変えたのです。むこう15年間の計画は、この経過をふまえて語られなければ、どこのまちにも言えるひな形になってしまいます。



②人口への考え方が不明確

国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、長岡京市の15年後の人口は、少子高齢化により7万6千人に減るとされています。

その背景のもと、「人口減少時代への即応」がかかげられ、「8万人がゆとりをもって暮らせるまちをめざす」とあります。

じゃあ4千人増やすの?それならどの世代を、どの地域に住んでもらうの?と問うと、「いや、8万人というのは目標ではなく枠です」という返事です。

「即応」という言葉が、抗うということなのか、順応するということなのか、わかりません。



人口減少は、日本のどこにでもやってきます。子育て支援をそこそこがんばってたら子育て世代が呼び込めるかというと、そんなに甘くないと思います。

人口を増やすとすれば、明確なターゲットとそれにふさわしいトータルの全庁的な施策展開が求められます。でないと、一般論にとどまるでしょう。





その中で、気になる点があります。土地利用構想として、「山麓住宅ゾーン」「都心ゾーン」「農業ゾーン」「田園住宅ゾーン」などと市内がゾーン分けされている内容です。

前回の計画では、各ゾーンに対して、そこに住む市民の住環境における課題が示され、開発抑制の方向性が書かれていました。

しかし今回は、課題の記述がなくなりました。さらに「交流拠点ゾーン」が新設され、新駅周辺に都市機能を呼び込むとあります。

住環境や農業を守る観点が後退し、新駅周辺を中心に開発がすすむから8万人人口いけるだろうといった発想ならば、住みよいまちづくりとしては無策ではないでしょうか。



③住民の福祉増進に対する行政の責任が見えにくい

全編にわたり、「市民ニーズは複雑化多様化して行政だけではムリ」って基調がつらぬかれています。社会保障の分野では、「自助、互助・共助、公助の精神で互いに支え合う」みたいな感じで、ことごとく市が主語からはずれています

行政の腰が引けていては、市民が協働したくてもできません。



④市民生活に対する国政の影響にふれていない

この15年間でも、格差と貧困が広がり、市民生活の客観的な状態悪化が起こっていますが、それへの分析がありません。市民アンケートの主観的な「満足度」でよしとしています。国政批判をしろとは言わないまでも、それにふれなければ課題への切り結びも鋭くなくなります。



こんなことを訴えて、基本構想に反対しました。

ただ、討論では触れなかったのですが、ぶっちゃけ自分の中で大きな反対の動機になった点がありました。



今回の基本構想は、ご担当には悪いですけど、前回より内容がショボく見えるのです。

たとえば、どんなまちをめざすのか、前回は①福祉・保健・医療②生活環境③教育・人権・文化④都市基盤⑤産業と、5ページにわたって分野別に示されていましたが、今回はたった1ページ。①うるおい・環境②にぎわい・交流③あんしん・安全と、それぞれ5行ずつ抽象的な文章があるだけです。

前回は序論のなかで、「本市の基本的課題」として8項目ありました。今回は日本のどこでも通じるような話に終始しています。



↑前回はこんなのが5ページあった



↑今回はこの1ページだけでおわり




↑で、さっきの「15年後のまちの姿」と、そのための「政策の大綱」が、内容半分かぶってる。文章の役割が分担できていない。



ふつうに考えて、計画を立案するとき、前回のやつをまず見て、「これのここをもっと改善して充実させよう」あるいは「もっとわかりやすくしよう」となってしかるべきではないでしょうか?

前回よりショボいのを出してこられたのでは、なんでやねんと言わざるをえません。

紙面の都合とか字数制限なんてないんです。長岡京市をどうするのか、夢も希望も大いにリアルに語ってほしかった。

表面だけきれいなあいまいな文章で、正直言ってこれが15年間、市の職員の共通の言葉になるとは思えなかった。



どうとでもなる計画は、ある意味市長のフリーハンドを許すものでもあるのです。

そのことも指摘をして、残念ながら反対しました。

基本計画については、また後日。



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