オリンピック、せっかくやるんだから応援しようという方も多いと思います。
私も個人としては、選手を応援する気持ちは同じです。
しかし政党人としては、「中止を」という立場は一切変わりませんし、それを発信もします。
応援する気持ちのところにザワザワを持ち込むと思います。すみません。
「子どもに、修学旅行も行けへんのになんでオリンピックはやるの?と言われた」
こんな声がありました。
親ごさんは、納得いく説明などできなかったでしょう・・。
言おうが言うまいが、「社会は理不尽なもの、大人はそれに抗えぬもの、子どもの声は聞いてもらえないもの」と伝わるでしょう。
これから、医療逼迫と五輪の報道が並行してされていきます。
この現実にどう向き合うか。
大人はそれを子どもに見られているし、子ども自身も直面させられています。
もちろん、決定権もない国民にどうしようもないことです。でも潜在的な、精神的負担は軽くないのではと思えてなりません。
やっぱり、国民の心を分断することを、政治はやってはいけないのだと思います。
感染が急拡大しているのは、若者の自覚が足りないのではない。国が感染対策に本気じゃなく、国民を軽んじているのが明確になったからです。
「国は知りません。感染対策は自己責任で」という状況におかれました。国民はみんなで感染を食い止めようとまとまるのが難しくなりました。
これは「コロナのせい」ではなく、「国民より五輪をとった政治のせい」です。
これを「一億総懺悔」のように、あいまいにさせてはなりません。
そして、命や生活の危機に直面したり、五輪を応援するどころでない人の思いを、絶対に代弁しないといけないと思います。
政治勢力すべてが「始まったのだから協力しよう」となるわけにはいきません。
選手のことは心の中で応援しながら、「中止」を訴えつづけます。