階段から墜落して腓骨骨折、歩けなくなって6週間経つ。健康人が歩行移動出来ない辛さ。床を這う行為とはどんなに不自由なことか体験して知った。2階へ上る時は膝と腕、下りる時は尻と腕。それも初期の腫れが引いた後からである。医者はリハビリとして動かすことだけを強調する。「骨と骨が癒着すると後に手術発生など事後処置が大変になるから」と。「期間もかかる」と。ところが、医者が言うように、骨がくっつかないうちに足を動かせば痛い。その稼働と静止の兼ね合いが難しい。新米医者の指導は判断に窮するがもう気にしない。インターネットには「筋肉の重量が1日あたり3%減る」とある。動かねば!そこで昨日隣家の桂君に運転でお世話になり、スタディオに行って、キャンバスを額に入れるなど油彩出品の準備。帰路散髪屋により頭すっきり、その後、骨折足を巨大なビニールで包んで40分かかって入浴、と、頭も体もさっぱりして気分爽快、意気軒昂。(自悠人)
本日造影剤を入れて身体中のCT検査をしてもらった。昨年暮れ近く、「G様の茸ちゃんゼロです!」と主治医に言われ、年賀状に「G(癌)様退散!」と書いた。が、医師はそこで終わりにせず、「念のため内臓全部見ておきましょう。G様が身体のどこかにかくれんぼしていないか!」と。それが本日だった。CT写真を1枚ずつ説明しながら、医師は、「身体のどこにも、何も隠れていなかった。おめでとう!」と満面の笑み。主治医はこの病院の院長先生、柔和で笑顔の素敵な先生だ。先生に心の底からの謝辞を述べ、そのあと、「『歌と旅と挑戦精神のお蔭でG様が退散したのよ』と暮れに言われました!」と教師、純子先生のコメントを伝えたら、先生は「それは正しいですよ!明るい態度で好きな活動に挑戦すれば免疫力が高まりますから」と同意してくださった。思い返せば5年3か月前の2012年10月、女子医大でN先生に9時間の大手術で腎臓1つ摘出していただいたが、このN先生にもお世話になり、G様は毎年減っていった。2年ほど前近くの長久保病院へ転院。日本一というのは筆者の評価だが、当たらずとも遠からず、だろう。中国や韓国の人たちが見学に来られる病院だ。両病院で素晴らしい先生に巡り合えて「G様は行ってしまった!Gone with the Snow」。(彩の渦輪)
ホ ンジュラスのニコルから「新年おめでとう!」のカードが来た。どこかで迷っていたらしく少し遅れたが、Hello Ayako!! Happy new year! I hope you are well!! hugs and kisses! と。ニコルとはホンジュラスの郊外ピカッチョの丘で会った。高校生グループが実習で畑を耕していたので仲間に入れてもらい、鍬を借りて暫し汗を流したのは2010年のことだった。帰国後メールのやり取りが続き、「親愛なるアヤコ。ご機嫌いかが?私は大学の経済学部を卒業し社歴3年目です。ホンジュラスへまた来てください。楽しみに待っています。ハグを沢山贈ります!」と。アルメニアはイエレヴァン語学大学で会ったタテヴィクからも「お元気ですか?また来てね!」のメールが。こちらは6年目。モンゴルのアザーさんとも同様のやりとりが3年続いている。学生対象のアンケートを 旅に持ち歩いていたので若者との出会いが多かった。ただ今夫が足首骨折、介添え中なので、彼らと出会った地球の一角、いや“多角”に心が飛ぶが身体は飛べず、「日本にいらっしゃい!宿泊は心配ご無用!」との返事にいとまがない。多文化共生がテーマの筆者の旅は”人間遺産と触れ合う旅”、再会が楽しみだ。友は、人の縁は宝なり。(彩の渦輪)