サイパン島は日本から南2400km、面積185平方kmで伊豆大島の2倍、現今は日本から3時間強で行ける。若い人はマリンスポーツの魅力からサイパン、テニアンの観光に出かけるが、戦前は砂糖きびが栽培され、1万人の民間人が砂糖生産に従事していた。その人たちは第二次世界大戦時に多く死亡した。島北部の海岸線やジャングルに覆われたマッピ山頂にも多くの慰霊碑が建造されている。その周辺の断崖には高さ50mのバンザイ・クリフや250mの「スーサイド(自殺)・クリフがある。大戦末期の状況は悲惨の一語に尽きる。疲労と飢え、恐怖と絶望の中、進むも死、留まるも死、という状況の中で兵士、民間人を問わず断崖から飛び込み自殺した。日本人として先人たちの参戦悲劇の歴史の上に今の平和があることを感謝し、多くの慰霊塔に合掌した。国のため犠牲になった先人たちの魂に語りかけ、人類の幸せに貢献する活動を誓って祈らざるを得なかった。この島の地質は石灰石ゆえ、水は浸透して地面に溜らない。雨水を貯め、濾過する知恵で水と格闘しながら生活した歴史的な背景がある。大戦中の水不足は生地獄で想像を絶するものだった。 現在は平和のありがたさがこの島に満ちている。島内の各種お遊びプログラムは花盛りで、恵まれた太陽と透明な海を満喫できる島だ。訪問客は遊び目的の若者が多いが、他方、日本の統治下にあった頃の場所や大戦の激戦地跡などを訪ねる人々も今に続いている。日本軍爆弾格納庫跡、刑務所跡、砲弾に撃ち抜かれた指令部の砦跡、シュガーキング・パーク内の神社跡を巡ったが、特にここのマホガニーは巨木で、戦争を見た生き証人と思えた。戦後アメリカの自治領となったが、大戦終結から65年の今は平和を象徴する島だ。訪問時のこの6月はフレーム・トリー(火炎樹)、日本名、南洋桜の赤い花が咲き誇って美しかった。(自悠人)
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