あけぼの

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バトンタッチの旅&親子3代、日本人墓地の世話をするファジルさん~ウズベキスタン共和国~

2017-09-25 09:43:45 | 講演・アート・音楽・スピーチ

   日本人の好きな国、ウズベキスタンの人々も日本贔屓、暫く前だが、嬉しく素敵な出来事ばかりだった旅のほんの一部をご披露しよう。ウズベキスタンはイスラム、ロシア、モンゴル、中国の文化がミックスした魅力に溢れ、中央アジアの歴史遺産が層をなし、シルクロード時代へと容易にタイムスリップ出来る。この国の古都、ヒヴァと日本の古都、奈良にはシルクロード時代に始まる交流の歴史があり、千年に及ぶ友好関係と日本人への信頼からか、国中どこでも夜間でも、子どもたちからさえも明るい声で「こんにちは!」。友好は挨拶だけではない。有難いことに1つの街のホテルを出る時、頼まずとも次の街の同クラスのホテルを予約してくれた。気に入ればすぐ入室でき、気に入らなければ他を探せるのでホテル探しの時間が省けた。こうしてヒヴァからブハラ、サマルカンド、シャフリサーブス、タシケントとホテル受付の手から手へバトンタッチされ、便利な場所、安くて朝食が美味しいホテルを利用出来たのだった。   城壁都市、ヒヴァのイチャンカラは1991年に世界遺産に指定され、ほっと安らぐ博物館のような街並だ。かつてイスラム教の中心的役割を演じてきたブハラも世界遺産、ここではアルク城を見学したが、お城の受付がドルを現地のお金スムに高いレートで換金してくれ、中央アジアに現存する最古のイスラム建築、イスマル・サマニ廟を特別に開けてくれたり、と感動は続いた。ジンギス・ハーンも破壊を止めたというカラーン・ミナレットに登り、麦藁をつぶしアイロンで台紙に張り付ける芸術の製作場も訪問したが、その間夫は近くでビールを飲んで待っていた。この街の市民の憩いの場、リャビハウスは四角形の貯水池の周辺に布敷きの縁台やぼんぼりがあり、食事をすれば楽しい。ファティマ・ホテルの若い女性は美人で英語も料理も上手な働き者。「青の都」、サマルカンドも世界遺産、余りにも美しく、レギスタン広場では溜め息ばかりついていた。イスラム神学、数学、哲学などを多くの学生が学んだ、天文学者ウルグベクの作ったメドレセ(神学校)と他の二つのメドレセがコの字に向き合い圧巻だ。サマルカンドからシャフリサーブスへは車で峠越えしたが、車窓の奇岩風景は素晴らしく、この奇岩に落ちていく夕日は余りにも現実離れし、帰路運転手と共に暫し見とれた。震度7.5で建造物がほぼ全壊したなか唯一倒れなかったナヴォイ・オペラ劇場は旧日本兵が強制労働で作り上げ、ジャパン劇場の名で語り草になっていると聞き見に行った。実に立派な建物だった。タシケント郊外の日本人墓地で三代にわたって世話をしてきたファジールさんとの出会いは格別だ。道路作りをさせられていた日本人捕虜の働きぶりや勤勉さに学び、敬愛の情が芽生えた初代が、日本人捕虜の死者を埋葬したのがこの墓地の始まりだと言う。(続く)(彩の渦輪)

 真1、2サマルカンド 3.シャフリサーブス、 4、日本人墓地を親子3代にわたって世話をする2代目、ファジルさん 5.ファティマホテルのオールマイティー女性