私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann Bach
Hänssler Edition Bachakademie CD 92.137
演奏:Joseph Payne (Cembalo, Clavichord, Orgel)

バッハは1710年11月22日生まれの長男、ヴィルヘルム・フリーデマンが9歳の1720年1月22日に、一冊の音楽帖を作製した。その羊皮紙装の表紙の裏には、バッハの手で「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帖。1720年1月22日ケーテンにて開始(Clavier-Büchlein vor Wilhelm Friedemann Bach. angefangen in Cöthen den 22. Januar Aõ 1720)」と記された紙が貼り付けられている。さらに裏表紙の内側に貼られた紙には、「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach)」と記されており、そのうち”Wilhelm Friedemann”は幼い本人の自筆である。後に添付された見返しと裏表紙の前の保護紙を除いた本体は70葉が現存しており、さらに少なくとも5葉が切り取られるか紛失したものと考えられている。本体の大きさは幅19 cm、高さ16.5 cmのやや横長の小型の冊子である。羊皮紙装の表紙は、後に作製されたもののようで、両方の内側の記入のある紙が表紙と裏表紙であったようだ。
 最初の記入は、”Claves signata”と題され、音部記号と音名の解説である。まずト音記号(ヴァイオリン記号とも呼ばれる)とその五線譜に記された音符の音名が記されている。それに続いてハ音記号がその五線の位置によって、ソプラノ記号、メッツォ・ソプラノ記号、アルト記号、テノール記号と呼ばれることを示している。最後にヘ音記号が記され、その五線上の位置で、高バス、通常のバス、低バス記号呼ばれることを説明している。ソプラノ記号とバス記号も、ト音記号同様音符と音名が説明されている。そのページをめくると、”Explication unterschiedricher Zeichen, ...”と題され、7種類の装飾音記号とその奏法が記されている。その次のページには、”Applicatio”と題された8小節の短い曲が記され、それには指使いが数字で付けられている。これら3ページとそれに続く4曲はバッハの自筆で、これらも含め、全体の約半分がバッハ自身によって記入されている。残りのほとんどはヴィルヘルム・フリーデマンによって書き込まれているが、一部に筆記者不明の箇所がある。
 この音楽帖の目的が、バッハの長男の音楽教育であったことは、上の記述で明らかであろう。音部記号、音名、装飾音記号の説明の後には、技術的に平易な前奏曲、コラール変奏曲、アルマンドやメヌエットといった舞曲が練習曲として書き込まれている。そのあとに、「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ第1集(BWV 846 - 869)」から11曲の前奏曲が記入され、その後いくつかの前奏曲や断片があって、2声のインヴェンション(BWV 772 - 786)の15曲が「前奏曲(Praeambulum)」の名で、さらにテレマンとシュテルツェルの組曲が書き込まれた後に3声のシンフォーニア(BWV 787 - 801)の内第3番の一部と第2番ハ短調を除いて「ファンタジア」の名称で記入されている。この音楽帖におけるこれらの曲と、何れも自筆譜が存在する二つの作品との関係は、かなり複雑ではあるが、前者の場合はほぼ同時期に、後者の場合は音楽帖の方が古いと思われる。いずれにしてもこの二つの作品が、もともとは息子達や弟子達の教育を目的として作曲され、後にまとまった作品に仕上げられたものであることを示している。
 この音楽帖の冒頭に記入された音部記号と音名の説明や装飾音記号とその奏法は、バッハの作品だけでなく当時の音楽の実践に関する重要な史料になっている。さらに最初の曲”Applicatio”と9曲目の前奏曲(BWV 930)に記入された指使いも、当時の鍵盤楽器の奏法の重要な史料である。この音楽帖は、フリーデマンが両親の元を離れた1733年に携えて行き、後にハレのマリア教会のオルガニストであった時期(1746年から1770年)に、遠い親戚に当たるヨハン・クリスティアン・バッハの手に渡り、彼の死後収集家の手を経た後、現在はアメリカのイェール大学の図書館に保存されている。
 バッハは次男のカール・フィリップ・エマーヌエルのためにも同じような音楽帖を作製したのではないかと思われるが、その痕跡は全く残っていない。
 ここで紹介するCDは、このヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帖に収められたすべての曲を収録している。実際には断片となっている3声のシンフォーニアの第3番と、欠けている第2番も含まれている。演奏しているジョセフ・ペイン(Joseph Payne)はアイルランドのトリニティ・カレッジ、アメリカのハート・スクールで音楽教育を受け、現在は主にアメリカで活動している鍵盤楽器奏者、音楽プロデューサーである。このCDでは、曲の応じてチェンバロ、クラヴィコード、オルガンを弾いている。楽器の詳細その他の情報は無い。解説書にも標題以外のページの写真は掲載されていないが、曲に関しては全曲が収められており、この音楽帖の全体像を知ることが出来る貴重なCDである。バッハの死後250年に当たる2000年にヘンスラー社から発売されたバッハの作品のシリーズの一つであるが、現在もカタログに載っており、入手可能である。

発売元:Hässler Classic

ブログランキング・にほんブログ村へ
クラシック音楽鑑賞をテーマとするブログを、ランキング形式で紹介するサイト。
興味ある人はこのアイコンをクリックしてください。


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )


« ヨハン・ヨア... やっぱりアル... »
 
コメント
 
 
 
クリストフ・ルセ (くらんべりぃ)
2008-06-09 23:41:42
こんばんわ

クリストフ・ルセも、同じ曲集の全集を録音していますね(Ambroisie、AMB 9977)。断片も含めて、全69曲が収録されています。

今回紹介されているものは持っていないので、一度聴いてみたいと思います。HässlerのCDはあまり持っていないのですが、かなり嬉しいところまで録音してくれていますね。中々日本で見かけないですが・・・
 
 
 
Christophe Rousset (ogawa_j)
2008-06-10 10:52:47
Ambroisieというレーベルは、なじみが無く、このCDも知りませんでした。2006年発売だそうですが、入手は難しそうですね。
 ヘンスラーのCDは、タワー・レコード(渋谷)で多く扱っていたので、私にとっては入手しやすいレーベルでした。今でも購入可能だと思いますが、一度ウェブサイトを覗いてみられてはいかがでしょうか?
 このヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帖に含まれる曲は、まとまった作品として他にも聴く機会の多いものですが、はっきりとした目的を持って作られた音楽帖として聴くと、また別の意味が感じられると思います。
 
 
 
Unknown (くらんべりぃ)
2008-06-10 17:28:13
こんにちわ

ルセのものは、HMV(ネット通販の方です)で入手可能です。このレーベルは本当に見かけないですね。たまたまCDショップで見かけて、珍しい曲集だったので、すぐに買った記憶があります。

先程Hässlerのサイトを見てきましたが、まだカタログに載っていました。来月辺りに注文しようと思います。

渋谷のタワー・レコードですが、品揃えが多いですね。たまに東京に出張に行った時には、時間を見つけて行くようにしています。古楽もかなり充実していて、入手できないと諦めていたものに巡り会うこともありますので。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。