私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke – Supplement – Beiträge zur Generalbaß- und Satzlehre, Kontrapunktstudien, Skizzen und Entwürfe, herausgegeben von Peter Wollny, Anhang: Aria “Alles mit Gott und nichts ohn’ ihn” BWV 1127, herausgegeben von Michael Maul, Bärenreiter 2011

ベートーフェンが残したスケッチブックは良く知られており、彼が折にふれて思いついた旋律を書き込み、それをもとに作品を組み立てていった過程が分かっている。それに対して、シュピッタをはじめとするバッハ研究者達の間では、バッハはすでに自身の中で出来上がったものを、楽譜として書き上げ、それが作品となっていったと考えられてきた。 第2次大戦後の1950年に、新バッハ協会が新しいバッハの作品全集の刊行を決定した事をきっかけに、バッハの自筆譜や重要な筆写譜がマイクロフィルムに撮られ、研究者が利用できるようになったことで、バッハの自筆譜の筆跡についての研究が進み、いわゆる「構想筆跡(Konzeptschrift)」という、いかにも急いで書いたような、音符が斜めに傾いて記入され、多くの修正が書き込まれた自筆譜が多く存在することも、この考えを支持する事となった。しかしその一方で、この自筆譜の観察によって、バッハも時にスケッチを行ったり、作曲を始めたが途中で放棄し、全く別の曲を書くこともあったことが分かってきた。
 このことについては、すでに1935年のバッハ年刊に於いて、ゲオルク・シューネマンが「バッハの作品改良と草稿*」と題する論文を発表していた。まだ総合的にバッハの自筆譜を一望できる体制が整う前に書かれた論文だが、多数の自筆譜に見られる修正や、スケッチ、草案を挙げており、それによってバッハの作曲過程を論じている、優れた業績である。
 アメリカのバッハ研究者、アーサー・メンデルの教え子のロバート・ルイス・マーシャルは、「J. S. バッハの作曲過程:声楽作品の自筆総譜の研究**」と題する学位論文を1972年にプリンストン大学出版から2巻の大型本として出版し、その第2巻は170に上るスケッチと草稿の目録に当てられている。マーシャルは、これらの自筆譜に見られるスケッチや草稿を分析する事によって、バッハの作曲過程をたどった。このシューネマンとマーシャルの研究は、従来のバッハの作曲に関する広く行き渡っていた考えに修正を求める画期的なものであったと言える。
 今回新バッハ全集の補遺として、2011年秋に刊行された「通奏低音と楽曲作法に関する論文、通奏低音研究およびスケッチと草案」の第IV部として、55のスケッチと草案がカラーの写真版とその書き起こし譜面および原典の記述と解説を付して収録された。マーシャルの目録では、BWV番号に従って配列されていたが、この新バッハ全集の補遺では、成立年に従って、ケーテン時代、ライプツィヒ時代の教会カンタータの教会年の1年目、2年目、3年目、それ以外の教会カンタータ、ラテン語教会音楽曲、世俗カンタータに分類されている。
 バッハが本当にスケッチブックのようなものを持っていなかったかどうかは、残っていないので明らかではないが、これらのスケッチや草稿を見ると、バッハが、当時は高価であった用紙を出来るだけ有効に使おうとしていたことが分かる。いったん書き始めたが、間もなくそれを廃棄した場合、残った大部分空白の用紙を、天地をひっくり返して利用したり、ある曲を記入して残った部分を利用する例が非常に多い。場合によっては、短いスケッチに用いた用紙をひっくり返して、別の曲の総譜を記入し始めたが、これも6小節ほど記入したところで中断し、その用紙は、このページを除いて別の作品の総譜の最後の部分に利用している。
 この新バッハ全集の補遺に掲載されているスケッチや草稿は、完成した自筆譜の中で、部分的に加えられた修正、一部の小節を消して、新たな小節を別の箇所に記入した場合などは含まれていないので、マーシャルの目録の1/3になっている。これらのスケッチや草稿で、バッハが決して常に一気に曲を楽譜にしていたのではなく、時にはいったん作曲し始めたものを途中で放棄したり、別の曲を書いている間、あるいはその曲を書き終えた直後に、別の曲想を思いつき、忘れないように書き留めることも決してまれではなかったことが分かる。
 冒頭の写真は、1722年に書き始められた「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」の最初の巻の終わり近くにアンナ・マグダレーナによって記入された、「フランス組曲」第2番(BWV 813)のメヌエットの後にある空白に、小さな音符で2段にわたって3小節ほど記入された旋律のスケッチ。最後に”etc.”と記入されており、バッハが思いついた旋律を忘れないように急いで記入したもののようだ。このメヌエットは、本体の組曲からは離れて巻末近くに記入されており、当初は組曲に含まれていなかったようだ。このスケッチされた旋律は、バッハの現存する曲の中には使われていない***。

 この写真に示した自筆原稿は、「クリスマス・オラトーリオ」第III部(BWV 248III)の第8曲、アルトのアリアの29小節までが記入されているページだが、上の15段の五線譜(筆者が付けた赤い枠の中)には、フラウト・トラベルソ(当初は2、後に1に訂正)、弦楽合奏を伴う曲として作曲を始め、第8小節目までは第1ヴァイオリン、13小節目までは通奏低音も記譜し、26小節までフラウト・トラベルソの独奏を記入した後これを消して、同じ用紙の下部に、新たにヴァイオリン独奏を伴うアリアに変更して作曲した様子が示されている****。歌詞の韻律から見ると、バッハは当初「バッハの『クリスマス・オラトーリオ』に転用された世俗カンタータを聴く(その2)」で取り上げたカンタータ「おまえの幸運を讃えよ、祝福されたザクセンよ(Preise dein Glücke, gesegnetes Sachsen)」(BWV 215)の第7楽章のソプラノのアリア「熱意によって燃え上がらされた武器によって(Durch die von Eifer entflammeten Waffen)」を転用しようとしたが、これを上述の経過を経て現在の形にした。この世俗カンタータのアリアは、結局「クリスマス・オラトーリオ」の第V部第5楽章のバスのアリア「私の暗い心をも照らして下さい(Erleucht auch meine finstre Sinnen)」に転用された。 この「クリスマス・オラトーリオ」の自筆譜を観察すると、幾つもの世俗カンタータの楽章を転用しながら記入し、間にレシタティーフを挿入し、いくつかの新しい曲を作曲しながら記入した経過がよく示されている。
 この他にも、「バッハのフルートのための作品について ー 原典の状態(その1)」で紹介した、「2台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲ハ短調」(BWV 1062)と「フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタイ長調」(BWV 1032)の2曲が記入された自筆譜の最終ページには、用紙全体に22段の五線が引かれ、その内16段は、トランペット3、ティンパニ1、フラウト・トラベルソ、オーボエ各2、ヴァイオリン2、ヴィオラ、4部の合唱、通奏低音に当てられ、第1トランペットの独奏に始まり、8小節目から第1オーボエ、10小節目から第2オーボエが入ってきて12小節まで記入されている。これはおそらく、世俗カンタータ冒頭の合唱であったと思われるが、これに当てはまる作品は分かっていない。バッハは、フルートソナタの第3楽章を記入するにはさらに1枚用紙が必要となり、片面に記入して作曲を放棄した際の用紙を利用し、フルートソナタの第3楽章の終わりの部分を用紙をひっくり返して裏面全体と、すでに記入のある面の五線12段にわたって記入した。もとに記入されていた音符や音部記号、調性記号、拍子は消されず、天地逆の状態でそのまま見ることが出来る。
 バッハは、一つの曲をいったん作曲し始めて、すぐにそれを取りやめ、改めて作曲し直す事が、しばしばあったことが、これらのスケッチや草稿を見ると分かる。また、一つのカンタータの一つの楽章の作曲途中で、別の楽章の旋律、主題を思いつき、その際記入中の楽章の下の空いた五線に小さな音符で記入することもしばしばあった。例えば、1725年12月26日のキリスト降誕の祝日第2日に初演されたカンタータ「試練を耐え忍ぶ人はさいわいである(Selig ist der Mann, der die Anfechtung erduldet)」(BWV 57)の自筆総譜には、第1楽章バスのアリアが記入された最初の2ページの下に、第7楽章ソプラノのアリアの独奏ヴァイオリンと通奏低音による序奏部のヴァイオリン・パート23小節と通奏低音13小節までが記入されている。バッハはこれをもとに第7楽章を作曲した。
 この様なバッハによるスケッチや草稿は、新バッハ全集の校訂報告書の各巻で記述され、ラッセルの目録ですでに知られていたことではあるが、実際にこれらをカラーの写真版で確認できるようになったことは、バッハの作曲過程の一端を具体的に垣間見ることが出来、大いに意味のあることと筆者は思うのである。
 この新バッハ全集の補遺巻には、第I部として、バッハの通奏低音教程に関する、弟子による手稿と、1725年に書き始められた「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」の2冊目の巻末に、バッハの下から2番目の息子、ヨハン・クリストフ・フリートリヒ・バッハ(Johann Christoph Friedrich Bach, 1732 - 1795)によって記入された通奏低音規則、第II部として対位法、カノン、5声の曲に関する楽曲作法を楽譜に注釈を加えた形で記入した手稿、第III部として、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのトリオソナタの総譜に記入された、父親が息子に対位法を教えながら作曲している様子を示す記入が収録されている。さらに巻末には、ザクセン・ヴァイマール公国の宮廷に伝わる文書や蔵書を収めた「アマリア公妃文庫」から、2005年に発見されたリトルネッロ付きアリア「すべては神とともに・・・(BWV 1127)」が収録されている。これは、1713年10月30日のヴィルヘルム・エルンスト公爵の誕生日を祝って献呈された詩の印刷された冊子に、その詩を作曲し、自筆で記入したものである。これは1713年10月という明確に特定できる年月の自筆譜であり、また今まで存在しなかったリトルネッロ付き有節アリアの発見という、二つの点で画期的発見であった。本来ならこの曲は、バッハの真作であるから、楽譜巻のいずれか、本来なら第III部モテット、コラール、歌曲の第2巻コラールと宗教的歌曲か、せめて第3巻の補遺と疑わしい作品に収録されるべきものであるが、この曲が発見された時点には、これらも含めて、すべての楽譜巻の編纂が終了していたため、やむを得ずこの補遺巻に収録されたものである。
 バッハの通奏低音や対位法についての考えを知る事が出来る手稿は、いずれも最近発見されたもので、スケッチや草稿とともに、バッハの作曲過程や息子や弟子達の教育の様子を示す非常に貴重な資料であり、これらが全集の一部として刊行されたことは、今後のバッハ研究にとって大きな意義があると言えるだろう。

* Georg Schünemann, “Bachs Verbesserungen und Entwürfe”, Bach-Jahrbuch 32. Jahrgang 1935, p. 1 – 32

** Robert Lewis Marshall, “The Compositional Process of J. S. Bach – A Study of the Autograph Scores of the Vocal Works”, 2 Volumes, Princeton University Press, 1972

*** Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke – Supplement – Beiträge zur Generalbaß- und Satzlehre, Kontrapunktsutudien, Skizzen und Entwürfe, herausgegeben von Peter Wollny, Anhang: Aria “Alles mit Gott und nichits ohn’ ihn” BWV 1127, herausgegeben von Michael Maul, Bärenreiter 2011, p. 94の写真版を複写したもの。

**** この自筆譜のページは、Johann Sebastian Bach: Weihnachts-Oratorium BWV 248, Faksimile-Lichtdruck des Autographs mit einem Nachwort herausgegeben von Alfred Dürr, Bärenreiter-Verlag Kassel 1960を複写したもの。

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