私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Johann Sebastian Bach – Complete Cantatas, Volume 4
Erato 0630-15562-2
演奏:Els Bongers (soprano), Elisabeth von Magnus (alto), Paul Agnew (tenor), Klaus Mertens (bass), The Amsterdam Baroque Orchestra & Choir, Ton Koopman (Conductor)

すでに前回の記事で述べたように、バッハが1734年のキリスト生誕の祝日とそれに続く日曜、祝日に演奏するカンタータを、「クリスマス・オラトーリオ」というまとまった作品として演奏し、この作品の多くの楽章を、1733年から1734年にかけて、ザクセン選帝候兼ポーランド国王自身およびその家族の誕生日などを祝って、作曲、演奏した「音楽劇(Drama per Musica)」と題されたギリシャ神話を題材とした作品から転用した。今回は6つの楽章の元となったカンタータ「岐路に立つヘラクレス(Hercules auf dem Scheidewege)」(BWV 213)と1楽章のみ転用されたカンタータ「おまえの幸運を讃えよ、祝福されたザクセンよ(Preise dein Glücke, gesegnetes Sachsen)」(BWV 215)を紹介する。「岐路に立つヘラクレス」は、1733年9月9日のザクセン選帝候王子、フリートリヒ・クリスティアンの誕生日を祝って、同日にライプツィヒのツィンマーマンのコーヒーハウスの庭で、コレーギウム・ムジクムによって午後4時から6時にかけて演奏されたと、「ライプツィヒ新聞」が報じている。歌詞は、1725年2月以来、バッハの教会カンタータや世俗カンタータの歌詞を多数提供した、クリスティアン・フリートリヒ・ヘンリーツィ(Christian Friedrich Henrici, 筆名Picander, 1700 - 1764)による。このカンタータは、レシタティーヴォ、アリア、合唱を含む13楽章からなっている。ヘラクレスはその旅の途上、二股に分かれた道に差し掛かる。そこは二人の女が立っており、一人は快適で、豊かな人生を約束する道を示し、他方は苦難に満ちてはいるが徳と栄誉が約束されている道を示す。ヘラクレスは結局苦難に満ちた道を選ぶ。この物語で、ヘラクレスはフリートリヒ王子を象徴している。
 このカンタータのレシタティーフを除く6つの合唱とアリアの楽章は、すべて「クリスマス・オラトーリオ」に転用された。すなわち、第1楽章の合唱「我らに任せ、見張りさせなさい(Laß uns sorgen, laß uns wachen)」は、第IV部冒頭の合唱「感謝し、賛美してひざまづけ(Fallt mit Danken , fallt mit Loben)」に、第3楽章ソプラノのアリア「眠れ、いとし子よ、安らかに(Schlafe, mein Liebster, pflege der Ruh)」は、第II部第10楽章アルトのアリア「 眠れ、いとし子よ、安らかに(Schlafe, mein Liebster, genieße der Ruh)」、第5楽章アルトのアリア「忠実なエコーよこの場所で(Treues Echo dieser Orten)」は、第IV部第4楽章ソプラノのアリア「私の救い主よ、あなたのみ名吹き込んで下さい(Flößt, mein Heiland, flößt dein Namen)」、第7楽章テノールのアリア「私の翼の上でおまえは浮遊する(Auf meinen Flügen sollst du schweben)」は、第IV部第6楽章テノールのアリア「私はただあなたの栄光のためにのみ生きよう(Ich will nur dir zu Ehren leben)」、第9楽章アルトのアリア「私はおまえの言うことを聞かない(Ich will dich nicht hören)」は、第I部第4楽章アルトのアリア「備えをせよ、シオンよ、やさしい心で(Bereite dich, Zion, mit zärtlichen Trieben)」、第11楽章アルトとテノールの二重唱「私はおまえのもの、おまえは私のもの(Ich bin deine, du bist meine)」は、第III部第6楽章ソプラノとバスの二重唱「主よ、あなたのいつくしみと憐れみが(Herr, dein Mitleid, dein Erbarmen)」の原曲となった。なお、第13楽章の合唱「民の喜びは、おまえの喜び(Lust der Völker, Lust der Deinen)」は、ABABAのダ・カーポ形式をとっているが、そのAの部分は、もとはケーテン時代の1722年か1723年の元日に、レオポルト候の誕生祝いとして演奏されたカンタータを元に、1724年5月30日の精霊降臨祭第3日のカンタータとして作曲された「待ち望んでいた喜びの光(Erwünschtes Freudenlicht)」(BWV 184)の第6楽章のABAのダ・カーポ形式の合唱のAの部分にもとづいている。
 もう1曲のカンタータ「おまえの幸運を讃えよ、祝福されたザクセンよ(Preise dein Glücke, gesegnetes Sachsen)」(BWV 215)は、ザクセン選帝候兼ポーランド国王夫妻がミヒャエル・メッセの機会に、1734年10月2日から6日までライプツィヒを訪れ、ちょうどその間に当たる1734年10月5日のポーランド国王戴冠1周年を祝う行事の一環として、国王夫妻が宿泊する宿舎の前で、コレーギウム・ムジクムによって演奏された。国王夫妻と王子達は、演奏が行われている間、窓からこれに聴き入っていたと、町の年代記が伝えている。作詞者は、当時ライプツィヒ大学の教師であったヨハン・クリストフ・クラウダーで、バッハはこの詩にもとづき、3日以内に作曲しなければならなかった。 このカンタータは、「クリスマス・オラトーリオ」の曲が転用された他の作品とは異なって、ギリシャ神話を題材としていない。1733年2月に死亡したフリートリヒ・アウグストI世(アウグスト強王)の後を継いだザクセン選帝侯フリートリヒ・アウグストIII世は、同時にポーランド国王の位に就くことになったが、スウェーデンとフランスに支持されたスタニスラフ・レスツェンスキーとの間の王位継承戦争が起こり、1734年7月6日にフリートリヒ・アウグスト側の勝利によって終結し、アウグストIII世として即位することとなった。カンタータの歌詞は、この出来事に題材を取ったものである。このカンタータは9楽章からなっており、その第7楽章ソプラノのアリア「熱意によって燃え上がらされた武器によって(Durch die von Eifer entflammeten Waffen)」が、第V部第5楽章のバスのアリア「私の暗い心をも照らして下さい(Erleucht auch meine finstre Sinnen)」に転用された。転用されたことが分かっているのはこの楽章のみである。
 今回紹介するCDは、トン・コープマン指揮、アムステルダム・バロック・オーケストラと合唱団によるバッハのカンタータ全集の第4巻である。トン・コープマンは、1944年にオランダのズヴォレで生まれた、オルガン、チェンバロ奏者、指揮者として永年にわたって活動してきた。アムステルダム・バロック・オーケストラは、コープマンが1979年に結成し、合唱団は1992年に設立された。コープマンは1994年から2004年にかけて、当初はエラート・レーベルで、バッハのカンタータ全集の録音を行った。その間にエラート・レーベルは、ワーナー・グループに買収され、このカンタータ全集の録音も中断されたが、幸いなことに、すでに録音されていたものも含めて、オランダのアムステルダムに拠点を置くチャレンジ・レコーズ・インターナショナルに移管され、全集の録音を完了するとともに、エラート・レーベルで発売されていたものもすべて再発された。この3枚組のCDも、CC 72204の番号で販売されている。なおコープマンは、自身のレーベル、アントアーヌ・マルシャンを設立し、このCDも両レーベル共有となっている。このコープマン指揮のバッハのカンタータ全集の版権は、おそらくコープマンが所有しているものと思われる。そのため、これらのCDは、チャレンジ・レコーズとアントアーヌ・マルシャン・レーベルの共同販売の形式をとっている。
 コープマンは、オルガンやチェンバロとともに音楽学を習得し、作品や演奏習慣についても研究しており、それに基づいて演奏、指揮をしている。しかし、合唱団の結成が示すように、当初から女声を含めており、その点では、バッハや他の当時の教会音楽の実践とは異なっている。これは、ジョン・エリオット・ガーディナーやフィリップ・ヘレヴェーとも共通しており、バロック時代のオリジナル編成を放棄してしまっている。そのため、この「私的CD評」では、コープマン指揮の声楽曲は、取り上げなかった。前回も述べたように、ライプツィヒで、ザクセン選帝候兼ポーランド国王自身およびその家族の誕生日や命名祝日などを祝って、一種の公式行事のような形で演奏されたカンタータの演奏に於いては、ソプラノやアルトの声部は、トーマス学校の生徒からなる聖歌隊か、大学生からなる合唱団が裏声で歌ったと思われ、女声を含めた演奏は、オリジナルの編成とは言えない。しかし、真のオリジナル編成の録音がないからと言って、これらの作品を聴かないというのは、本末転倒であるので、編成には不満があるが、ここで紹介することにした。
 このCDの録音は、1996年1月にアムステルダムで行われた。先にも触れた通り、このCDは、現在チャレンジ・レコーズ/アントアーヌ・マルシャン・レーベルで販売されており、入手可能である。

発売元:Challenge Records


Challenge Classics CC 72204

注)この項で取り上げた世俗カンタータについての記述は、Alfred Dürr, “Die Kantaten von Johann Sebastian Bach”, Band 2, Bärenreiter-Verlag Kassel•Basel•Tours•London, 1971, p. 661 – 664、668 – 671を主に参考にした。


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女性歌手の可能性 (aeternitas)
2011-12-31 13:36:50
先週と今日の記事、興味深く拝読しました。ライプツィヒにおける世俗カンタータの上演にかかわった歌手たちについては、ogawa_jさんのご指摘のように、トマス学校の生徒、ライプツィヒ大学の学生が考えられると思います。くわえて、わたしは女性の歌手が歌った可能性もかなりあると考えています。

バッハは、「わが家族にて声楽や器楽の音楽界が組めるのではないかと自負しております。ことに現在の妻は、きれいなソプラノを歌いますし、長女もまた捨てたものではありません」(酒田健一訳)と自慢しており、アンナ・マグダレーナやカタリーナ・ドロテーアも、歌手として上演にかかわっていても不思議ではないように思えます。

また、いわゆる合唱曲は、登場人物のみの重唱で歌われた可能性もあるのではないかと思っています(つまりOVPP)。バロック時代のオペラやカンタータのコーロでは、合唱というより登場人物の重唱によるものが多いように思えます。もっとも、わたしたちの耳には、パートに複数名の歌手の合唱の方がなじみがあり、そのほうがふさわしく思える曲があることも確かですが。
 
 
 
女性歌手の問題 (ogawa_j)
2011-12-31 18:47:22
aeternitasさん、コメントありがとうございます。

アンナ・マグダレーナは、もともと歌手としてケーテン宮廷に雇われていたわけですから、才能ある歌い手だったでしょう。長女も歌うことが出来ますから、バッハがライプツィヒでの公的な機会以外に、ケーテンやヴァイセンフェルスその他の宮廷で演奏する際には、歌手として加わったことでしょう。ただ、市の公式行事での演奏にも参加したかどうかは、私は疑問に思っています。その根拠を今お示しできませんが。

世俗カンタータに於いて、登場人物のみの重唱で合唱曲を歌った可能性は、充分にあると思います。確かにご指摘のように、我々は合唱にある程度の人数があることを期待しがちです。そのためか、現在の古楽の演奏に於いても、合唱の人数は、多すぎる場合が多いように思います。それは、ロ短調ミサ曲を紹介した際に述べましたが。

クリスマス・オラトーリオの残りの3曲の紹介を楽しみにしています。
 
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