私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




«La Flûte de Pan», Portrait of the Flute and its Music
DENON COCQ-83281-82
演奏:Masahiro Arita (Flutes), Chiyoko Arita (Cembalo, Fortepiano, Piano), Masako Hirao (Viola da Gamba)

この「パンの笛 ~ フルート、その音楽と楽器の400年の旅」と題するCDでは、ルネサンスから現代までの様々なフルートによって、それぞれの時代の曲が演奏されている。実際に収録されている順序は、最初にドビュッシー、その次にフランソア・クープラン、ルネサンスのヴィリジリアーノという風に様々な時代が入り交じっているが、ここでは古い時代から順に、演奏されている楽器を主体に紹介したい。
 ルネサンスのフルートは一本の直管で、吹き口と6個の指穴を備えている。しかし、このCDに添付の小冊子の解説で有田は、多くのルネサンスのフルートを実際に計測した結果、内径はかなり複雑な波形を描いていると述べている。このCDに収録されている2本のルネサンス・フルートは、いずれもフランス、リヨンのクロード・ラフィ(Claude Rafi, ? - 1553)作の楽器の複製である。第3トラックのアウレリオ・ヴィルジリアーノ(Aurelio Virgiliano, c. 1550 - ?)の「トラヴェルソ・ソロのためのリチェルカータ」を演奏してるラフィの1550年頃の作と思われるフルートの複製は、有田の指導の下、日本の杉原広一が製作したもので、d管 a’ ≒ 430 Hzである。アウレリオ・ヴィルジリアーノの生涯については、詳しいことは何も分かっていない。1600年頃に作製されたと思われる”Il Dolcimelo”と題する手稿は、理論的な内容も含んだ彼の唯一の原典である。「トラヴェルソ・ソロのためのリチェルカータ」も、この手稿から取られた。
 もう1本のルネサンス・フルートはロデリック・キャメロンが複製したもので、16世紀後半の作と思われ、a’ ≒ 360 Hzと言う非常に低いピッチの楽器である。このフルートでは、ジオヴァンニ・パオロ・チーマ(Giovanni Paolo Cima, c. 1570 - c. 1622)の「ソナタニ長調」とロバート・カー(Robert Carr, c. 1650 - ?)の「イタリア風グラウンドによるディヴィジョン」が演奏されている。チーマはイタリア、ミラノで活動していた初期バロックの作曲家、オルガニストで、1610年から聖セルソ教会の音楽監督兼オルガニストであった。作品は主に教会音楽であったが、鍵盤楽器のためのパルティータ(1606年)や教会ソナタ集(1610年)なども出版された。チーマは最初にトリオ・ソナタを出版した作曲家とされている。この「ソナタニ長調」も、1610年のソナタ集から取られた。もう1曲のカーの「イタリア風グラウンドによるディヴィジョン」は、1686年にロンドンで出版されたリコーダーのための教本的曲集”The Delightful Companion”に含まれる曲である。「ディヴィジョン」は、17世紀から18世紀初めにかけて、イギリスで流行した民謡や流行歌を主題とした変奏曲で、「ディヴィジョン・ヴァイオリン」や「ディヴィジョン・フルート」など多くの曲集が出版され、アマチュアの音楽愛好家に演奏されていた。これら2曲はいずれも通奏低音を伴った編成である。
 バロックのフラウト・トラベルソは、ルネサンス・フルートに改良を加え、管の内部は頭管部から足管部にかけて細くなる円錐形を成しており、より広い音域を演奏可能にした。6つの指穴に加え、キーを備えた最下部の穴が付け加えられ、dis’が出せるようになった。多くは吹き口を備えた頭管部、6つの指穴のある中管部、キーを備えたdis’穴のある足管部に3分割され、さらに中管部が2分されるようにもなった。これは携行に便利なためと、種々のピッチに対応するという目的があった。フランスのフルート製作者トーマ・ロット(Thomas Lot, 1708 - 87)は、幾世代にもわたって楽器製作に従事していた一家の生まれで、1730年頃からフラウト・トラヴェルソの製作を始めたようだ。トーマ・ロットのフラウト・トラヴェルソは、当時の作曲家、ミシェル・ブラヴェなどに広く愛用されていた。この有田が所有するフラウト・トラヴェルソは、中管がさらに二分割された、1735年頃の作で、5本の替え管を備えたセットである。演奏されている曲は、ミシェル・ブラヴェ(Michel Blavet, 1700 - 1768)の3つの小品である。ブラヴェは、若い頃からフルートの名手としての名声を得ており、1738年にはヴェルサイユの宮廷楽団、1740年にはパリのオペラのオーケストラに加わった。ブラヴェは多くのフルートのための作品を残している。出版された作品は、いずれも演奏が容易な調性に限られ、アマチュアのための教育目的も含んだ作品である。ここで演奏されている3つの小品も、1730年から1750年頃に出版された3巻の「小品集(Recueil)」から取られたもので、もとは2本のフルートのための曲をブラヴェがフルートと通奏低音のために編曲したものである。ピッチは a’ ≒ 400 Hzである。
 同じくトーマ・ロット作のフルート・ダ・ムールは、基音がaの楽器で、1740年頃の作と思われる。その甘美な音色は、アマチュアに広く愛好された。このフルート・ダ・ムールで演奏されているのは、ミシェル・ランベール(Michel Lambert, 1610 - 1696)の原曲を、ジャック・マルタン・オトテール<ル・ロマン>(Jacques-Martin Hotteterre « Le Romain », 1674 - 1763)が編曲した、ブリュネットとドゥーブル「ある日のぼくのクロリスは(L’autre jour ma Cloris)」で、当時流行していた「恋歌(Brunette」に、豊かな装飾を付け加えたドゥーブルを2つ付け加えた作品である。ピッチは a’ ≒ 420 Hzである。ランベールは、歌手、テオルベ奏者、作曲家として活動し、1651年にルイ14世の宮廷にバレー・ダンサーとして登場し、1656年には作曲家としての名声を確立した。1661年には、ヴェルサイユの宮廷楽団の楽長に就任し、生涯その地位にあった。娘婿に当たるジャン・バティスト・リュリとは密接な関係にあり、そのバレーの創作に貢献した。ランベールは「エール・ド・クール」と呼ばれる世俗歌謡の作曲家として知られ、多くの作品が出版された。この「ある日のぼくのクロリスは」もその1曲である。オトテールは、フルート奏者、作曲家として知られる一方で、バロック・フラウト・トラヴェルソの開発に貢献したとされている。しかし確実な証拠が無く、不明な点も多いが、従来一体であったルネサンス・フルートを、頭管、中管、足管に三分割したのがオトテールだとも言われている。現在もオトテールの楽器の複製とされるフラウト・トラヴェルソが、多数製作されている。
 もう一本のトマ・ロット作であるフラウト・ピッコロは、1735年頃の作で、フラウト・トラヴェルソと同じ構造であるが1オクターブ高い楽器である。a’ ≒ 396 Hzと言う低いピッチは、当時のパリのオペラのピッチであった。このフラウト・ピッコロで演奏されている曲は、フランソア・クープラン(François Couperin, 1668 - 1733)の「恋のウグイス(Le Rossignol en amour)」であるが、この曲は「クラヴサン曲集」の第14オルドルの第1曲目で、鳥のさえずりを模した楽句があるので、フルートやピッコロのために編曲されている。ここでは通奏低音付きで演奏される。
 4本あるバロック・フラウト・トラヴェルソの最後が、フルートの名手、ドイツのヨハン・ヨアヒム・クヴァンツが関与した楽器である。クヴァンツは、「フルート奏法」の中で、フラウト・トラヴェルソのdisキーによって得られるdの半音上の音程は、eを半音下げたesとしては1コンマ低すぎるため、多くの音程に於いて純正な響きを得るためには、新にesが得られるキーを加えるべきだと述べている*。そして実際にdisキーに加えesキーを備えたフラウト・トラヴェルソを開発した。有田もその1本を所有していて、バッハのフルート・ソナタなどの録音に使用している。この楽器がクヴァンツ自身によって製作されたのか、誰かフルート製作者に作らせたのかははっきりしない。このフラウト・トラヴェルソで、テレマンの「フランス風サンフォニー」とクヴァンツの「組曲ホ短調」が演奏されている。ピッチは a’ ≒ 400 Hzである。
 次に「クラシカル」と分類された2本のフラウト・トラベルソであるが、基本的にはdisキーのみを備えたフラウト・トラヴェルソで、その内径をやや細くするなど、バロック・フラウト・トラヴェルソの細部の改良を施したものである。その結果音域が拡がり、輝かしい音が得られる。その内の1本である、ベルリンの製作者フリートリヒ・ガブリエル・アウグスト・キルスト(Friederich Gabriel August Kirst, 1750 - 1806)のフルートは、1775年頃の作と思われる。キルストは、ドレースデンの生まれで、1768年から1770年までアウグスト・グレンザー(August Grenser, 1720-1807)のもとで修行し、その後ポツダムのC. F. フライアーのもとで働き、1772年にフライアーの未亡人と結婚して、その工房を継いだ。キルストは、クヴァンツと交流があり、上記のクヴァンツのesキー付きのフルートも、キルストが製作した可能性がある。有田がこのCDで演奏しているキルストのフルートは、1775年頃の作で、a’ ≒ 415 Hzである。演奏されている曲は、モーツァルトのジングシュピール「魔笛」から、第2幕のパミーナのアリア「ああ、私には解る、愛の喜びが永遠に消えてしまった事が!(Ach, ich fühl’s, es ist verschwunden, ewig hin der Liebe Glück!)」を、フルートとフォルテピアノのために編曲したものである。
 クラシカル・フルートのもう1本は、オランダ、アムステルダムのヤン・バレンド・ベウカー(Jan Barend Beuker)の製作した黒檀製である。このヤン・バレンド・ベウカーについては、有田の説明以外詳細は分からない。ピッチは a’ ≒ 428 Hzである。この楽器では、フリートリヒ・クーラウ(Friedrich Kuhrau, 1786 - 1832)の「ロンドホ短調作品10の7」が演奏されている。クーラウはドイツ生まれで、ハンブルクでピアノを学び、1804年にピアニストとしてデビューしたが、1810年にデンマークに移り1813年に市民権を獲得し、後半生をデンマークでピアニスト、作曲家として活動した。クーラウは多くの劇音楽の他に、フルートやピアノのための作品を書いた。このCDで演奏されているロンドはフルート独奏の作品である。
 「ロマンティック」と題された一本は、ベーム式とは異なるキーシステムを持った、フランスのジャン=ルイ・テュルー(Jean-Louis Tulou, 1786 - 1865)作の「完璧なフルート(Flûte Perfectionée)」である。テュルーは、1829年から1856年までパリのコンセルヴァトアールのフルート教授の地位にあり、ベーム式のフルートの導入を拒み、円錐管の4キーから5キーのフルートを使い続けた。その一方テュルーは、演奏家であると同時にフルートの製作も行っていて、開発途上にあったベームのフルートに対抗して、独自のキーシステムのフルートを考案し製作した。有田が所有しているテュルーのフルートは1840年頃の作で、ピッチは a’ ≒ 440 Hzである。このCDでは、テュルー自身の作である「グラン・ソロ第13番イ短調作品96」が演奏されている。この「グラン・ソロ」は、コンセルヴァトアールの試験の課題曲として取り上げられ、現在も多くのフルート奏者によって演奏されている。この曲は、もとは弦楽合奏を伴奏としているが、ここではテュルー自身の編曲によるピアノ伴奏で演奏されている。
 テオバルト・ベーム(Theobald Böhm, 1794 - 1881)は、フルート奏者、作曲家としても活動していたが、フルートのキーシステムに決定的な業績を上げた。当初は円錐管をもとにしていたが、やがて円筒管に逆円錐型の頭管を備えたフルートにキーを付けた、今日もフルートを始め、クラリネットやサクソフォンにも採用されているキーシステムを開発した。このCDの2枚目の第1トラックの収録されているヨハネス・ドンジョン(Johannes Donjon, 1839 - 1912)の「3つのサロン・エチュード(Études de Salon)」を演奏しているベーム式フルートは、ルイ・エスプリ・ロットが1856年に製作した紫檀系の木のフルートである。ピッチは a’ ≒ 442 Hzである。有田が所有しているこの楽器は、希少な初期のベーム式のフルートだそうだ。ドンジョンは、コンセルヴァトアールでテュルーの教えを受け、在学中は円錐管のフルートを使用していたが、卒業後ベーム式フルートに乗り換え、ルイ・エスプリ・ロットにフルートの製作を依頼している。
 もう1本のルイ・エスプリ・ロット作のベーム式フルートは、1859年作の銀製の楽器である。「木管」楽器であるフルートが金属で作られるようになったのは、19世紀の中頃からで、ベームの円筒管のフルートは、当初から金属管であったようだ。このL. E. ロットのフルートは、最初ジャン=ルイ・テュルーの弟子のフルート奏者、ファン・ボームが所有していたそうで、現在は有田が所有している。ピッチは a’ ≒ 440 Hzである。このフルートで演奏されているのは、A. ウッダールの「セレナード」である。作曲者のウッダールについては、この曲以外ほとんど何も解っていない。
 残りの2本のフルートは、いわゆるモダン・フルートで、20世紀に製作されたものである。1913年フランスのルイ・ロットの工房のエミール・シャンビーユ作のベーム・システムのフルートは、最低音hの楽器である。ピッチは a’ ≒ 437 Hzである。 このフルートは、ドビュッシーの友人で、マルセル・モイーズの師に当たるフルート奏者、A. エネバンが所有していた。このフルートで演奏されているのは、クロード・ドビュッシー(Achille-Claude Debussy, 1862 - 1918)の「パンの笛あるいはシランクス(Flûte de Pan ou Syrinx)」とピエール=オクターヴ・フェロー(Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)の「フルートのための3つの小品(Trois pièces pour flûte seule)」である。ドビュッシーの「シランクス」は、ガブリエル・ムーレのの未完の劇「プシケ(Psyché)」の劇付随音楽として作曲された作品で、現在もフルート奏者にとって必須の曲である。フェローは、作曲家と同時に評論家としても活動していたが、36歳で死亡した。この「独奏フルートのための3つの小品」は、東洋趣味の色彩の強い作品である。
最後の1本は、日本の村松フルート製作所によって1990年に製作されたモダン・ベーム・システムのフルートである。村松フルート製作所は、1923年に創始者の村松孝一が最初のフルートを製作して以来、次第に工房、会社としての体制を整え、一貫してフルートの製作を専業とするメーカーとなった。現在洋銀製からプラチナ製まで、様々なフルートを手作りしている。この有田のフルートは、銀製の一般的なモデルだそうで、ピッチは a’ ≒ 442 Hzである。このフルートで演奏されているのは、日本の現代音楽作曲家、福島和夫の「冥」である。この曲は、イタリアのフルート奏者セヴェリーノ・ガッツェローニ(Severino Gazzelloni, 1919 - 1992)の依頼で、1962年にロンドンで作曲された独奏曲である。
 フルートを演奏している有田正広は、桐朋学園卒業後ベルギーのブリュッセル音楽院、その後オランダのデン・ハーグ王立音楽院で学び、主としてフラウト・トラヴェルソの演奏者として、コレーギウム・アウレウム、フランス・ブリュッヒェン指揮の18世紀オーケストラ、クイケン兄弟等と共演し、日本でも東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの指揮を含め、幅広い活躍をしている。このCDで演奏されているフルートは、2本のルネサンスフルートを除いてすべてオリジナルで、すべて有田が所有している。鍵盤楽器の伴奏は、夫人の有田千代子で、曲に応じてイタリアン、フレミッシュ=フレンチのチェンバロ、ヴィーン・タイプのフォルテピアノ、セバスティアン・エラール作のピアノを用いている。ヴィオラ・ダ・ガムバの演奏は平尾雅子である。
 収録されている16曲の内7曲は無伴奏で、楽器の響きをよく聞き取ることが出来る。ルネサンス・フルートからベーム式フルートまで、構造も奏法も異なる楽器を吹き分けるのは容易ではないと思われるが、有田はそれぞれの楽器が求めるところに従って見事に吹き分けている。例えば、1枚目のCDの3番目の曲、A. ヴィルジリアーノの「トラベルサ・ソロのためのリチェルカータ」では、指穴6つだけの単純なルネサンス・フルートを安定した音程で、目の覚めるように演奏している。2枚目のCDの4番目の曲、J. J. クヴァンツの「組曲 ホ短調」も、この18世紀のフルートの名手の技巧的な作品を、クヴァンツ自身の開発したdis’、es’ 2個のキーを備えたフラウト・トラベルソで、 この楽器の能力を充分に生かして演奏している。
 録音は、1998年12月に、横浜のみなとみらい小ホールで行われた。デノン・レーベルによる自然で適度に残響を取り入れた録音は、それぞれの楽器の音を明瞭に捉えている。この2枚組のCDは、現在COCO-73040-1の番号で販売されている。

発売元:DENON


現在の製品番号: COCO-73040-1

* Johann Joachim Quantz, “Versuch einer Anweisung die Flöte traversiere zu spielen”, Berlin 1752(1788年にブレスラウで出版された第3版の復刻版 p. 37 - 38)、なおこのクヴァンツのフラウト・トラヴェルソについては、「 バッハのフルートのための作品 ー 真作か否かを巡る論議(その3)」を参照のこと。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
クラシック音楽鑑賞をテーマとするブログを、ランキング形式で紹介するサイト。
興味ある人はこのアイコンをクリックしてください。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« オリジナル楽... 西洋音楽の音... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。