私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



バッハの最も古い自作の自筆譜、コラール「なんと美しく輝く暁の星(Wie schön leuchtet der Morgenstern)」(BWV 739)の冒頭部:Johann Sebastian Bach: Seine Handschrift ― Abbild seines Schaffens, eingeleitet und erläutert von Alfred Dürr, Breitkopf & Härtel, Wiesbaden 1984のBlatt 1より。

18世紀及びそれ以前の作曲家の場合はすべて該当すると思われるが、バッハの初期の作品についても不明な点が多い。バッハがいつから作曲を始めたか、現存する作品が何時どのような変遷を経て成立してきたかといったことが、はっきりしないのである。
 バッハの作品が再評価される様になった19世紀の前半には、初期の作品は「準備段階」あるいは「習作」として、軽視されていた。19世紀後半になって、バッハ全集(バッハ協会版=BG)の刊行やシュピッタによるバッハ伝の執筆にともなって、初期の作品は、作曲家としての全体像、様式の発展過程を把握するために初めて音楽学的探究の対象となった。古文書学的、文献学的手法による原典の研究が、特にバッハ全集の刊行にともない採用された。しかし、様々な手稿にバッハの名で含まれる作品が、真作かそうでないかの判断はあまり行われず、広範囲にわたってバッハの作品、特に作曲技法的に問題のある作品を、「初期の作品」と判断する傾向にあった。バッハ全集の刊行終了後も、バッハの鍵盤楽器のための曲、オルガン曲とされるものの発見はあり、種々出版されてきた。1950年にヴォルフガンク・シュミーダーの編纂による「バッハ作品目録(BWV)」が出版されたが、この中には「真作かどうか疑わしい」と記された作品も多数作品番号を付けて掲載されている。
 自筆譜及び様々な筆写譜についての体系的な研究が本格的に行われるようになったのは、新バッハ全集の刊行が決まった1950年以降である。古文書学的、文献学的研究、特に手稿の筆記者の同定、筆跡の時間的変化、あるいは紙の透かしの分類等が体系的に行われ、バッハの作品の重要な原典となっている主な手稿の編纂者、筆記者、作成時期等が次々と明らかにされた。
 1990年にドイツのロストック大学音楽学部が主催したバッハの初期の作品に関する学会で発表された研究の論文集が「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの初期の作品」と言う標題で1995年に刊行されたが、その冒頭の基調論文でカール・へラーは、1713/14年以前に作曲されたと思われるバッハの作品は、鍵盤楽器のための作品が約30曲(フーガ、トッカータ、組曲、カプリッチョ、ファンタジアなど)、オルガンのための自由曲(前奏曲とフーガ、トッカータ、ファンタジア、パッサカリア)が約25曲、それに60曲から90曲のコラール曲があると考えられると記している*1。この110曲から150曲の作品には、バッハの真作であるかどうか疑わしい作品も含まれ、それらを明確に判断する基準は、未だに確立していない。
 作品を伝えている手稿などの原典には様々な種類があるが、それらを信頼度の高いものから並べると、次のようになる。
A: 作曲者の自筆譜および自ら監修した出版譜。自筆譜の場合、自筆で作者名が記されていれば、確実にその作者の作品であると考えられる。
B: 作曲者の直系家族や弟子、あるいは作曲者との直接的交流が証明されている人物による写譜。一般的に言って、この種の写譜の信頼度は高い。
C: 作曲者との関係が希薄であるか、直接的関係が証明されていない同時代の人物による写譜。この場合は、その写譜を作製した人物と作曲者を結ぶ人的関係、写譜の元になった楽譜の出所などによって、その信頼度が異なる。
D: 作曲者の死後作製された写譜。バッハの場合、彼の死の直後、1750年代に作製されたものから、19世紀に入って作製されたものなど、様々な状態の写譜が存在し、しかもそれが作品を伝えている唯一のものである例も少なくない。このような写譜の信頼度は、その写譜の元となった手稿の出所、筆記者のバッハやその親族、弟子達との関係の有無によって大きく異なる。一見信頼度が低いように思われるが、現在真作と見なされている作品の中には、この種の原典によって伝えられているものが少なくない。
 以下にバッハの初期の鍵盤楽器及びオルガンのための作品を伝えている種々な手稿のうち重要なものをいくつか選んで概観してみたい。

極めて少ない自筆譜
バッハの初期の作品について不明な点が多いその最大の理由は、自筆譜が存在する作品が極めて少ないことである。現存する最も古い自作の手稿は、オルガンのためのコラール「なんと美しく輝く暁の星(Wie schön leuchtet der Morgenstern)」(BWV 739)と同じコラールの断片(BWV 764)で、年数は記されていないが、1705年あるいはそれより早く、1703年か1704年に作製された可能性があると考えられている。これと同時期か、やや後に作製された自筆譜としては、前奏曲とフーガト短調(BWV 535a)のフーガの終わりの部分が欠けた手稿が、いわゆる「メラー手稿(Möllersche Handschrift)」の中に書き込まれていて、これは1705年か1706年のものと考えられている。これと同じ頃に記入されたと思われる、オルガンのためのファンタージアハ短調(BWV 1121)のオルガン文字譜が、「アンドレアス・バッハ本(Andreas-Bach-Buch)」の中にある。以下は声楽曲であるが、現存する最も古い教会カンタータの自筆譜は、「深みより、主であるあなたを呼ぶ(Auf der Tiefen rufe ich, Herr, zu dir)」(BWV 131)である。 この自筆譜の最後には、バッハの手で、「牧師ゲオルク・クリスティアン・アイルマー氏の要望によって作曲」と記されており、教会暦上の指定は記されていないが、三位一体の祝日後第11日曜のためのものと考えると、1707年9月4日の礼拝で演奏されたことになる。アイルマー(Georg Christian Eilmar, 1665 – 1715)は、ミュールハウゼンの聖マリア教会の牧師であった。1707年か1708年に作製されたと思われるいわゆる「結婚式クォドリベット」(BWV 524)の前後が欠けた自筆の浄書譜がある。そして、1708年2月4日に行われたミュールハウゼンの市参次会交替の礼拝で演奏されたカンタータ「神は我が王(Gott ist mein König)」(BWV 71)の自筆総譜と、オリジナルのパート譜が残されており、パート譜の大部分もバッハの自筆譜である。総譜の表紙には自筆の年数の記入があり、バッハの初期の作品の中で唯一作成時期が明確な手稿である。
 自作でないバッハの自筆譜としては、まず2006年8月に公表された、ヴァイマールのアンナ・アマリア公妃図書館の蔵書から発見された、ディートリヒ・ブクステフーデのコラール「さあ喜べ、親愛なるキリスト教徒よ」(BuxWV 210 )の断片と、ヨハン・アダム・ラインケンのコラール「バビロンの流れのほとりで」のオルガン文字譜がある。前者のブクステフーデの筆写譜は1698年から99年の筆跡と思われ、ラインケンの筆写譜の末尾には「1700年リューネブルクのゲオルク・ベームのもとにて筆写(â Dom. Georg: Böhme descriptum ao. 1700 Lunaburgi:)」と言う記入があり、その作成時期が分かっているのである。 この発見によって、音符ではないが、バッハの最も初期の筆跡が得られた。ヴァイマール時代の1713年以前の筆写譜としては、 バッハによるゲオルク・フィリップ・テレマンの2つのヴァイオリン、弦楽合奏と通奏低音のための協奏曲ト長調のパート譜の写譜がある。これにはヨハン・ゲオルク・ピセンデル(Johann Georg Pisendel, 1687 – 1755)の手になる重複写譜があり、このパート譜が、ピセンデルが1709年にヴァイマール宮廷に立ち寄った際に演奏するために作製された事を示している。さらに、バッハによるニコラ・ドゥ・グリニーの「オルガン曲集第一巻(Premier Livre de d’Orgue)」やフランソア・ディゥパールの「クラヴサン組曲集(Suites de Clavecin)」の写譜、それにジャン・アンリ・ダングルベールの「クラヴサン曲集(Pièces de Clavecin)」に掲載されている装飾音の表の筆写があり、これらは1709年から1712年の間に作製されたのではないかと考えられている。
 バッハが教会暦の各日曜祝日のためのコラールとミサ、教理問答、聖礼典のためのコラール合わせて164曲を収録する構想で作製を始めた「オルゲルビュッヒライン」は、1713年頃から記入を始めたと考えられている。その内待降節から降誕節にかけての8曲が先ず記入され、その内5曲は浄書譜、すなわちすでに有る曲を書き込んだものである*2。したがって、その作曲は記入以前に行われたことが明らかであるが、どれほど以前であるかは分からない。また、1708年のミュールハウゼンの市参次会交替の礼拝のために作曲したカンタータ以降1713年まで、作製年の明確な自筆が存在せず、その間のバッハの筆跡の目立った変遷が認められないため、この1713年に行われたと考えられている曲の記入が、さらに溯ることが出来る可能性がある。研究者によっては、1708年、バッハがヴァイマール宮廷のオルガニスト、宮廷楽団員に採用された直後から作曲を始めたと考えている。
 したがって、1713/14年以前のバッハの鍵盤楽器、オルガンのための作品で、自筆譜が存在するのは、断片を含めて4曲と「オルゲルビュッヒライン」の8曲だけなのである。

重要な筆写譜
 これら自筆譜が存在する僅かな作品を除くと、後はすべてバッハ以外の人物による筆写譜で伝えられている作品で、それらが実際にバッハの作品であるかどうかは、上に示した手稿の出所が重要な基準となる。バッハの名前を付した作品を含む手稿は多数存在し、新バッハ全集の第IV部門第5巻及び第6巻「オルガンのための前奏曲、トッカータ、ファンタージア及びフーガ」の校訂報告書で、ディートリヒ・キリアンが対象にした筆写譜の数は188にも上っている。この校訂報告書は、他のオルガン作品、鍵盤楽器のための作品の校訂に当たっても引用される非常に重要な業績である。これと対照的なのが、同じく第IV部門第3巻「個々に伝承されたオルガン・コラール」の校訂報告書で、ここでは自筆譜を含め59の手稿が挙げられているが、最も古いコラール「なんと美しく輝く暁の星(Wie schön leuchtet der Morgenstern)」(BWV 739)の自筆譜やその写譜が掲載されている「メラー手稿」を無視するなど非常に杜撰なものである。
 多数有る筆写譜の内、そこに掲載されている曲がバッハの作であるかどうかを判断するに当たって特に重要なものをいくつか紹介する。
 バッハの初期の作品を伝えている最も重要な手稿は 「メラー手稿(Möllersche Handschrift)」「アンドレアス・バッハ本(Andreas-Bach-Buch)」と呼ばれる二つの手稿である。この2つの手稿には、バッハの作品のほかに、ディートリヒ・ブクステフーデ、ヤン・アダム・ラインケン、ゲオルク・ベームといった北ドイツのオルガニストや、ヨハン・パッヒェルベル、フリートリヒ・ヴィルヘルム・ツァハウ、ヨハン・クーナウなどの中部ドイツのオルガニスト、それにイタリアやフランスの作曲家の作品が含まれ、その中にはこの手稿にしかない作品も多い。この手稿の存在は以前から知られていたが、詳細な研究は長らくされておらず、その伝承経路や製作者は不明のままであった。「メラー手稿」については、一時その製作者が若きヨハン・ゴットフリート・ヴァルターと考えられたこともあったが、1984年にハンス・ヨアヒム・シュルツェの「18世紀に於けるバッハ伝承の研究*3」が刊行され、その中でシュルツェによる両手稿の詳細な研究によって、その製作者がバッハの長兄、ヨハン・クリストフ・バッハであることが明らかにされた。バッハの長兄が、これら2冊の手稿の製作者であることが分かったことによって、この手稿は上述の原典の分類の「B」に属し、この手稿に含まれるバッハの名が表記された作品が真作であることが確実となった。2つの手稿の成立過程と時期については、シュルツェとそれに続く研究によって、まず1703年か1704年頃から「メラー手稿」が、1707年頃までかなり集中的に製作され、その完了後に「アンドレアス・バッハ本」の作製が始まり、こちらは断続的に書き込まれ、最終的には1713年かそれよりやや後までに完了したと考えられている。この結果、この2つの手稿に含まれるバッハの作品が、「遅くともこの時点までには完成していた」という時点が明らかになったのである。「メラー手稿」に記入されているバッハの作品は12曲、「アンドレアス・バッハ本」には15曲が記入されている。なお、「アンドレアス・バッハ本」のバッハの自筆で書き込まれているファンタージアハ短調(BWV 1121)の直前にヨハン・クリストフ・バッハの手で書き込まれている前奏曲ハ短調(BWV 921)の最後の3小節もバッハの自筆である。これらの手稿に掲載されている重要な作品の例を挙げると、パッサカリアハ短調(BWV 582)や鍵盤楽器のためのトッカータ7曲の内4曲などがある*4。
 バッハの初期の作品を今日に伝えている手稿としては、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(Johann Ludwig Krebs, 1713 - 1780)の遺産として伝えられている3つの手稿が、現在ベルリンの国立図書館に所蔵されている。この3つの手稿については、ヘルマン・ツィーツが1969年に刊行した「 《クレープスの遺産》からのバッハ手稿 P 801, P 802, P 803 に関する、特に若きヨハン・ゼバスティアン・バッハのコラール編曲に重点を置いた原典批判研究*5」において、その主たる筆記者が、 ヨハン・トービアス・クレープス(Johann Tobias Krebs, 1690 - 1762)、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター(Johann Gottfried Walther, 1684 - 1748)であることを明らかにした。ヨハン・トービアス・クレープスは、1710年からヴァイマールでヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの教えを受け、1712年頃からバッハの教えも受けていた。ヨハン・ルートヴィヒ・クレープスはトービアスの息子で、1726年にライプツィヒのトマス学校の生徒になり、同時にバッハの教会カンタータなどの写譜を行い、1737年にツヴィカウの聖マリア教会のオルガニストに就任するまで、バッハの教えを受けていた。ヴァルターはバッハの遠い親戚であり、ヴァイマール時代のバッハとは、ヴァイマールの共同統治者のエルンスト・アウグスト公爵と1715に死亡したヨハン・エルンスト王子の宮廷でともに音楽を演奏していた間柄であった。この様にバッハと密接な関係にあった3人の音楽家が主たる筆記者であるこれらの手稿は、上記の原典の分類の「B」に属し、オルゲルビュッヒラインに含まれるコラールが多数記入されており、バッハの名前を付したそれ以外の作品も、バッハの真作である可能性が極めて高いのである。しかし、これらバッハとの関係がよく分かっている筆記者達が2世代にわたって記入した作品がいつ頃記入されたものであるかは、その筆跡の変遷や、相互の関係によってある程度は解明されているが、その始まりが1708年以降であり、その作曲がどこまで溯ることが出来るのかは分からないのである。後に触れる、すでに以前に紹介したことのあるノイマイスター手稿に含まれるバッハのコラールの内の1曲(BWV 714)がヨハン・トービアス・クレープスによって記入されており、その前後にはオルゲルビュッヒラインに含まれる曲があることが、それらの作品の作曲時期とどのような関連があるのか、不明な点が多い。(続く>

*1 Karl Heller, "Bachs frühes Schaffen als Problem der Forschung. Ein Blick auf Voraussetzungen, Methoden, Ergebnisse", Das Früwerk Johann Sebastian Bachs, Kolloquium veranstaltet vom Institut für Musikwissenschaft der Universität Rostock 11. - 13. September 1990. Herausgegeben von Karl Heller und Hans Joachim Schulze. Köln, 1995, p. 1 - 20
*2 Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke Serie IV ·: Band 1, Orgelbüchlein, sechs Choräle von verschiedener Art (Schübler-Choräle), Orgelpartiten, kritischer Bericht von Heinz-Harald Löhlein, Bärenreiter Kassel·Basel· London·New York, 1987
*3 Hans Joachin Schulze, "Studien zur Bach-Überlieferung im 18. Jahrhundert", Edition Peters, Leipzig 1984
*4 この「アンドレアス・バッハ本」と「メラー手稿」の未出版の作品を中心に52曲の楽譜と装飾記号の表3つが出版されている。編者はヘンスラーから発売されているバッハ作品全集のCDの内、初期のオルガン曲などを演奏しているロバート・ヒルで、序文と両手稿の内容一覧表も掲載されている:"Keyboard Music from teh Andreas Bach Book and the Möller Manuscript" edited by Robert Hill, Department of Music, Harvard University, distributed by Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts and London, England, 1991
*5 Hermann Zietz, "Quellenkritische Untersuchungen an den Bach-Handschriften P 801, P 802 und P 803 aus dem "Krebs’schen Nachlass" unter besonderer Berücksichtigung der Chorabearbeitungen des jungen J. S. Bach", Verlag der Musikalienhandlung Karl Dieter Wagner, Hambug 1969

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