トッカータとフーガニ短調(BWV 565)のヨハネス・リンクによる筆写譜の冒頭部:Toccata und Fuge d-moll, Faksimile der ältesten überlieferten Abschrift von Johannes Ringk. Staatsbibliothek zu Berlin — Preußischer Kulturbesitz
— Handschrift Mus.ms. Bach P 595 mit einem Nachwort von Rolf-Dietrich Claus, Verlag Christoph Dohr, Köln-Rheinkassel 2000 より。
(<前回の続き)
前回紹介した2種の手稿群に比較すると、原典の状態に基づく信頼度が低い2つの手稿を紹介しよう。その1つは、バッハのオルガン曲の中でもおそらく最も有名な トッカータとフーガニ短調(BWV 565)の最も古い手稿 である、ヨハネス・リンク(Johannes Ringk, 1717 - 1778)によって、1730年代に作製されたと思われる筆者譜である。リンクは、バッハの作品の手稿を多く残したヨハン・ペーター・ケルナー(Johann Peter Kellner, 1705 - 1772)の弟子で、後にベルリンで音楽教師、オペラ作曲家として活躍し、1755年からは聖マリア教会のオルガニストであった。リンクはこのトッカータニ短調のほかに、13歳の1730年に結婚カンタータ「消え去れ、悲しみの影(Weichet nur, betrübte Schatten)」(BWV 202)の最も古い、後の筆写譜すべての手本となった写譜を作製しているほか、オルガンや鍵盤楽器のための作品の写譜も残している。トッカータニ短調の場合も、現存するすべての写譜は、リンクの筆写譜を手本としている。リンクとバッハの間には師弟関係にあったという記録は存在せず、バッハの作品は、おそらく師のケルナーのもとにあった筆写譜が手本となっていたのではないかと思われる。したがって、上記の原典の信頼度では「C」に属するのである。このトッカータニ短調がバッハの作品ではないのではないかという疑念は、まずオルガニストによって提起されたようで、やがてピーター・ウィリアムスによって公然と議論の対象となった。そして1995年にロルフ・ディートリヒ・クラウスが「トッカータとフーガニ短調 BWV 565の真性について*6」という本を出版し、原典の信頼度の低さを土台に、その作品の様式が、むしろバッハより1世代後のものであることを示して、バッハの作品ではないと主張した。クラウスはさらに同じ出版社によって2000年に出版されたリンクの筆写譜のファクシミリ版のあとがきを、「(新バッハ全集)の編者達の限定的な姿勢にもかかわらず、トッカータとフーガニ短調の真の作者の探究が始まっている」と結んでいる*7。
しかし、バッハ研究者の間で、トッカータニ短調が真作ではないという主張に対する反応は、極めて限定的である。真作ではないという主張に対する反論の一つとしてあげられているのは、このリンクの写譜に見られる、調号にフラットをひとつ少なく書く、いわゆるドーリア調の記譜法を行っている点で、これはバッハの自筆譜では、1720年以前に行われていたものである。また、16分音符の旗を、ひとつに繋がった、数字の3のように書いている点も、この様な記譜法が古い書き方で、1730年代には見られないものである事も、反論の根拠として挙げられている。つまりこのような古い記譜法が、リンクの手本となった手稿が18世紀初めに作製されたものであることを示しているという根拠となっている。しかしリンクが直接バッハの自筆譜から筆写したか、ケルナーなどの写譜から筆写したとして、その記譜法がバッハまで溯ることが証明されなければ、これだけでトッカータニ短調がバッハの作品であるとは断定出来ない。しかし、短い即興的な楽句の連続によって構成されているトッカータに、切れ目無くフーガが続き、その後に比較的長いトッカータが回帰して終わる様式が、ブクステフーデなどの北ドイツのトッカータの影響のもとに作曲されたようにも見え、その劇的な作風は、バッハより若い世代の様式とは異なっている様に思える。この様なバッハの作品ではないという主張がある一方で、2000年に出版されたクリストフ・ヴォルフの「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ*8」では、このトッカータニ短調を、若きバッハの、先達たちの影響から、自身の大胆で技巧的な試みへの進化の過程を示す代表作として紹介している。このトッカータニ短調に関しては、その原典の評価にもかかわらず、バッハの真作であるという評価が、圧倒的に強いのである。
原典の評価という観点では、さらに信頼度が低い手稿の一つに、いわゆる 「ノイマイスター手稿」 がある。この手稿は、アメリカの教会音楽家、ローウェル・メイスン(Lowell Mason, 1792 - 1972)がヨーロッパ旅行中の1852年6月に、ドイツのダルムシュタットで購入したクリスティアン・ハインリヒ・リンク(Christian Heinrich Rinck, 1770 - 1846)の遺品の一つで、1872年にイェール大学が取得して現在その音楽図書館に属している。この手稿は、1985年にライプツィヒで開催された学会に於けるクリストフ・ヴォルフの発表の中で初めてバッハの作品として公になった*9。この筆写譜を作製したのは、ヨハン・ゴットフリート・ノイマイスター(Johann Gottfried Neumeister, 1756 - 1840)である。ノイマイスターは、音楽教育をゲオルク・アンドレアス・ゾルゲ(Georg Andreas Sorge, 1703 - 1778)から受け、1790年にヘッセンのフリートベルクの町の教会に雇われ、その任務の一つが第2オルガン奏者で、その任務の必要上、この筆写譜を作製したものと思われる。ノイマイスターはその後1807年にホムブルクの市民学校の副校長に転職し、それによってオルガン演奏の義務が無くなり、間もなくダルムシュタットの宮廷オルガニスト、クリスティアン・ハインリヒ・リンクにこの手稿を譲渡し、リンクの死後その遺産を上述したようにローウェル・メイスンが購入することとなった。このノイマイスターの手稿には、 84曲のコラール作品が含まれており、そのうちヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品が38曲、アイゼナハの聖ゲオルク教会のオルガニストであったヨハン・クリストフ・バッハ(1642 - 1703)の作品が2曲、ゲーレンのオルガニストで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの最初の妻、マリア・バルバラの父、ヨハン・ミヒャエル・バッハ(1648 - 1694)の作品が26曲のほか、ヨハン・パッヒェルベル(1653 - 1706)、フリートリヒ・ヴィルヘルム・ツァハウ(1663 - 1712)、ダニエル・エーリヒ(1646 - 1712)、ノイマイスターの師ゲオルク・アンドレアス・ゾルゲ、それに作者不明の作品が4曲が含まれている。このうち手稿の末尾にあるゾルゲの作品4曲と、バッハの「オルゲルビュッヒライン」に含まれる2曲は、この手稿の最後にあるアルファベット順の索引には含まれておらず、あとから追加して記入されたものである。
しかしながら、ノイマイスターがこの手稿を作製する際に手本とした手稿の出所が不明である。ゾルゲは1747年、バッハの1ヶ月後にミーツラーの音楽楽協会に入会しており、バッハと交流があった可能性はあるが師弟関係はない。それにノイマイスターがこの手稿を作製する12年も前に死亡しており、ゾルゲの所有していた手稿が手本であったとは考えにくい。フリートベルクの教会の歴代の聖職者の中には、チューリンゲン地方との繋がりがあるものがおり、その経路から手本となる写本が教会にもたらされたのではないかという推察を、新バッハ全集の第IV部門第9巻「ノイマイスター手稿のオルガンコラール」の校訂報告書でクリストフ・ヴォルフが提示しているが、これを裏付ける事実は見つかっていない*10。この様な事実から、ノイマイスターの手稿は、原典の信頼度では「D」に属し、単独の作品の手稿であれば、真作と見なすことは非常に難しい。しかし、この手稿に記載されている、追記された6曲を除く78曲中バッハ一族の作品が64曲を占めているという点から考えると、筆写の際の作者の誤記は考えにくく、また、1790年という時代を考えると、何者かによる意図的な捏造の可能性は低い。さらに、すでにバッハの作品として知られていた5曲が、他の曲の中に散在していることは、その他の曲もバッハの作品である可能性が高い。オルガンのためのコラール編曲は、教会暦の各日曜祝日に会衆が歌うコラールや、ルター派教会の「ミサ」に当たる「キュリエ」と「グローリア」、そしてルターの教理問答書に基づく「十誡」、「信仰告白」、「主の祈り」、それに聖礼典の「洗礼」と「聖餐」などの奏楽のために教会のオルガニストにとっては無くてはならないもので、その事情は19世紀になっても続いていた。そのためコラール編曲は、多くの写本で広く流通していた。バッハ一族のコラール曲についても、例えばエルンスト・ルートヴィヒ・ゲルバー(Ernst Ludwig Gerber, 1746 - 1819)が所有していた手稿には、200曲以上のバッハ一族の作曲になるコラール編曲が含まれていたと、自らの著した音楽事典に記している*11。ノイマイスターはおそらく、バッハ一族に由来するコラール編曲集の写本の1つを手本として、自らのオルガニストとしての任務に必要な曲を写譜したのであろう。
その一方で、 この手稿に含まれる一曲、「キリスト、汝は日であり光である(Christe, der du bist Tag und Licht)」あるいは「主イエス・キリスト、我ら汝に感謝する(Wir danken dir Herr Jesu Christ)」というコラールによる作品(BWV 1096)は56小節あるが、その前半25小節までが、すでにヨハン・パッヒェルベルの作として知られている曲と全く同じであるため、この作品を後半部も含めてパッヒェルベルの作とし、これを理由にノイマイスター手稿の作者表記は信用出来ないと主張する研究者もいる。これについてクリストフ・ヴォルフは、パッヒェルベルの作品に、バッハが後半部を付け加えたものと考えている。
この様に、ノイマイスター手稿に含まれるバッハの名が表記された作品が、バッハの真作であるかどうかについては、研究者の間に意見の相違があるが、新バッハ全集の第IV部門の第9巻として刊行されている。(続く)
*6 Rolf Dietrich Claus, “Zur Echtheit von Toccata und Fuge d-moll BWV 565”, Verlag Dohr, Köln 1995
*7 “Toccata und Fuge d-moll BWV 565 Faksimile der ältesten überlieferten Abschrist von Johannes Ringk, Staatsbibliothek zu Berlin - Preußischer Kulturbesitz - Handschrift Ms. Mus.ms. Bach P 595, mit einem Nachwort von Rolf-Dietrich Claus”, Verlag Christoph Dohr, Kö, 2000
*8 Christoph Wolff, “Johann Sebastian Bach. The Learned Misician”, W. W. Norton & Company, New York·London, 2000
*9 Christoph Wolff, “Zur Problematik der Chronologie und der Stilentwicklung des Bachschen Frühwerkes insbesondere zur musikalischen Vorgeschichte des Orgelbüchleins”, in “Bericht über die Wissenschaftliche Konferenz zom V. Internationalen Bachfest der DDR in Verbindung mit dem 60. Bachfest der Neuen Bachgesellschaft, Leipzig, 25. bis 27. März 1985.” Im Auftrag der Nationalen Forschungs- und Gedenkstätten Johann SEbastian Bach der DDR, herausgegeben von Winfried Hoffmann und Armin Schneiderheinze, VEB Deutscher Verlag für Musik, Leipzig, 1988, p. 451 - 455:なお、このヴォルフによる紹介とは別に、オルガニストのヴィルヘルム・クルムバッハが、ドイツの音楽雑誌「ノイエ・ツァイトシュリフト・フュー・ムズィーク」の1985年3月号と5月号で、同じノイマイスターの手稿を紹介している。この報告では、このほかに同じローウェル・メイスン蔵書に属する「ヨハン・クリスティアン・ハインリヒ・リンク手稿」と、これらとは出所が異なる「ライプツィヒ手稿」の紹介もしており、同時にこれら3つの手稿に掲載されているバッハの名の表記がある全曲の録音も行った:Wilhel Krumbach, “Sechzig unbekannte Orgelwerke von Johann Sebastian Bach? Ein vorläufiger Fundbericht”. Erster Teil, Neue Zeitschrift für Musik, 146. Jahrgang Heft 3, März 1985, p. 4 - 12; Zweiter Teil, Heft 5, Mai 1985, p. 6 - 18;
*10 Johann Sebastian Bach: Neue Ausgabe sämtlicher Werke, Serie IV Band 9, Orgelchoräre der Neumeister-Sammlung. Kritischer Bericht von Chrostoph Wolff, Bärenreiter Kassel·Basel· London·New York, 2003, p. 26 - 27
*11 Ernst Ludwig Gerber, “Neues historisch-biographisches Lexikon der Tonkünstler”, Band I - II, Leipzig 1812
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