私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




J. S. Bach: Secular Cantatas Vol. II
Dorian Recordings DOR 90207
演奏:Dorothea Röschmann (Soprano), Les Violons du Roy, Bernard Labadie

バッハの世俗カンタータ「私は自らのうちで楽しんでいる - 楽しみについて(Ich bin in mir vergnügt - Von der Vergnügsamkeit)」(BWV 204)の自筆総譜は、現在ベルリンの国立図書館に所蔵されている(Mus. ms. Bach P 107)。この手稿に使用されている用紙によって、おそらく1726年か1727年に作製されたものと思われ、バッハの筆跡もこれと矛盾しない。歌詞は、第2楽章から第7楽章の始めの部分が、1713年に出版されたクリスティアン・フリートリヒ・フーノルト(Christian Friedrich Hunold, 1680 - 1721)の詩集から採られたもので、それに第1楽章と第8楽章、および第7楽章の続きの部分が付け加えられている。この新たに付け加えられた詩が誰によるものかは不明だが、詩作の経験の乏しいものによるもののようである。このカンタータが、どのようなきっかけで作曲されたかを示す記録はないが、詩の私的な内容から、公開の場よりも親密な環境での演奏を想定したものではないかと考えられる。新バッハ全集のこの作品の校訂、編纂を行ったヴェルナー・ノイマン(Werner Neumann, 1905 - 1991)は、歌詞の内容などから、バッハの家庭内で演奏するために作曲されたと推定している。しかし、フラウト・トラヴェルソ、2本のオーボエと弦楽合奏という編成は、たとえ弦楽部がパート毎一人としても、家庭内での演奏には大きすぎるように思える。人員的には、1726年から1727年だと、長男のフリーデマンが16歳か17歳、次男のフィリップ・エマーヌエルが12歳か13歳であり、弟子達の何人かが参加することによって、演奏は可能だが、これほど大きな編成にする必然性があったかどうか疑問がある。家庭内の演奏であれば、一つか二つの独奏楽器と通奏低音で十分であり、詩の内容にもふさわしいように思えるからである。その一方で、レシタティーフとアリアを交互に配した曲構成において、最終楽章だけが全楽器が加わり、他のアリアは独奏楽器と通奏低音によって演奏されるので、単一楽章を見れば、編成は小規模である。その上、このカンタータがソプラノ独唱のための作品で、アンナ・マグダレーナが歌った可能性がある。さらに、自筆総譜の冒頭には、カール・フィリップ・エマーヌエル・バッハの娘アンナ・カロリーナ・フィリッピーナ・バッハ(Anna Carolina Philippina Bach, 1747 - 1804)によって書かれた歌詞を記した紙片が貼付されており、さらに、バッハの弟子で、娘婿となるヨハン・クリストフ・アルトニコル(Johann Christoph Altnikol, 1719 - 1759)による総譜の写譜が存在する。アルトニコルは1744年から1747年までライプツィヒに居り、1749年にバッハの末娘エリザベート・ユリアーナ・フリーデリカ(Elisabeth Juliana Friederica Bach, 1726 - 1781)と結婚している。ノイマンは、このカンタータが、二人の結婚の際に演奏されたのではないかと推定している。そしてバッハの自筆譜は、死後カール・フィリップ・エマーヌエルが相続しており、その娘が歌詞を書き記したことが、この作品を家族で演奏する作品であるという認識が、フィリップ・エマーヌエルにもあった可能性がうかがわれる。なお、このカンタータの第8楽章は、結婚カンタータ「陽気なプライセ川沿いの町(Vergnügte Pleißenstadt)」(BWV 216)の第3楽章に転用されている。このカンタータは、1728年5月2日に行われた、ヨハン・ハインリヒ・ヴォルフとスザンヌ・レギーナ・ヘムペルの結婚式において演奏された。
 もう一曲の世俗カンタータ「あゝ、佳き日、待ち望んだ時(O holder Tag, erwünschte Zeit)」(BWV 210)のオリジナルパート譜(ベルリン国立図書館 Mus. ms. Bach St 76)は、ソプラノとチェンバロの通奏低音を記したパート譜とヴィオローネのパート譜がバッハの自筆、その他の5つのパート譜は、バッハの弟子のヨハン・フリートリヒ・アグリコーラ(Johann Friedrich Agricola, 1720 - 1774)によって作製されている。この内、ソプラノのパート譜は、バッハの自筆譜の中でも、最も美しいものの一つである*。「声楽と通奏低音チェンバロのためのカンタータ(Cantata. la Voce e Baßo per il Cembalo.)」と言う標題の表紙を伴い、二段の五線譜に浄書されている。一見、総譜やパート譜とは別に、例えば結婚した二人に贈るために作製されたもののように見えるが、実際にはパート譜の一部としてバッハの手元に保存されていたことが確かなので、可能性としては、チェンバロ伴奏のみでの演奏も想定していたのかも知れない。一貫して浄書体で記入されたこのパート譜は、明らかに自筆総譜から書き写されたものである。
 このカンタータの歌詞の作者は、分かっていない。そして、第二次大戦中に行方不明になっていて、新バッハ全集の「あゝ、佳き日、待ち望んだ時」(BWV 210)の刊行された1970年には参照出来なかった、このカンタータとパロディー関係にある世俗カンタータ「おゝ、心地よい旋律(O angenehme Melodei)」(BWV 210a)のソプラノのパート譜は、その後発見され、用紙やバッハとアンナ・マグダレーナ・バッハの筆跡によって、1727年から1732年の間に作製されたことが分かった**。そしてこの「おゝ、心地よい旋律」(BWV 210a)は、1729年1月12日にザクセン=ヴァイセンフェルス公爵クリスティアンがライプツィヒを訪問した際に演奏されたことが分かった***。その後このカンタータは、ライプツィヒ市の司令官、ヨアヒム・フリートリヒ・フレミング伯爵(Joachim Friedrich Graf von Flemming, 1665 - 1740)およびもう一人の「後援者(Gönner)」のためにも演奏された。
 結婚カンタータ「あゝ、佳き日、待ち望んだ時」(BWV 210)の成立時期は、バッハの自筆譜であるソプラノのパート譜によって、1740年から1741年の間に作製されたことが分かっており、これは他のパート譜を作製したヨハン・フリートリヒ・アグリコーラ(Johann Friedrich Agricola, 1720 - 1774)が、バッハのもとで写譜を行った1738年から1741年とも一致する。結婚カンタータのパート譜は、ソプラノのパートをはじめ、いずれも非常に美しい手稿であり、少なくともオリジナルの総譜が、かなり完成された形態のものであった事をうかがわせる。その総譜の作製された時期は、上述のカンタータ「おゝ、心地よい旋律」(BWV 210a)、さらに先行する異稿が存在した可能性も含め、おそらくは1737年以前ではないかと思われる。このカンタータの作詞者は、分かっていない。
 この結婚カンタータが演奏された結婚式については、直接的な証拠がないので特定は出来ないが、ヴェルナー・ノイマンは、新バッハ全集の校訂報告書に於いて、トーマス教会の結婚の記録から、1742年4月3日に記録されている、フリートリヒ・ハインリヒ・グラーフ(friedrich heinrich Graf(f), 1713 - 1777)とアンナ・レギーナ・ボーゼ(Anna Regina Bose)との結婚式を第一に挙げてる。グラーフは弁護士で、ポーランド国王およびザクセン選帝候の上級裁判所裁判官などの公職を務める人物で、バッハとの間にも私的な関係があったようで、1742年5月22日にバッハの娘レギーナ・スザンナの幼児洗礼に立ち会っており、バッハの死後アンナ・マグダレーナの遺産相続手続の弁護人を務めた。さらにアンナ・マグダレーナが死亡した際、グラーフの屋敷に身を寄せていた可能性がある。アンナ・レギーナ・ボーゼは、ライプツィヒの裕福な商人ゲオルク・ハインリヒ・ボーゼ(Georg Heinrich Bose, 1682 - 1731)の娘で、ボーゼ家はトーマス教会の中庭に面した屋敷に住んでおり、家族で5人のバッハの子供達の幼児洗礼に立ち会うなど、親密な関係にあった。1742年の4月3日というと、パート譜が作製されたと思われる時期と非常に近く、有力な候補となり得る。ノイマンはさらに1744年のボーゼ家の娘の結婚式も挙げているが、これも一つの可能性に留まる。このカンタータに於いても、アンナ・マグダレーナが歌った可能性がある。
 今回紹介するCDは、ドローテア・レシュマンのソプラノ、ベルナール・ラバディー指揮のル・ヴィオロン・ドゥ・ロアの演奏によるドリアン・レコーディングス盤である。ソプラノのドローテア・レシュマンは、1967年生まれのドイツのオペラ、コンサート歌手で、永らくベルリン国立オペラに属していた、またニコラウス・ハルノンクールやトン・コープマン等との共演も多い。ル・ヴィオロン・ドゥ・ロアは、1984年にベルナール・ラバディーによってカナダのケベック市で創設された室内オーケストラで、その名は17世紀フランス王宮の「王の24にヴァイオリン(Les Vingt-quatre Violons du Roi)」にちなんで付けられた。その名の示す通り、フランスのバロックオペラや17世紀から18世紀の音楽を中心にした演奏活動を行っている。ドリアン・レコーディングスは、1995年に、シスコ・システムの創立者のサンディー・ラーナーとレン・ボサックがそのコンピューター技術とディジタル信号処理の技術を生かして、ディジタル録音会社ソノ・ルミナスを創設し、様々なレーベルの録音を行っている内に、2005年にドリアン・レーベルを買収し、独自のレーベルによる録音、CDの販売を始めたものである。「私的CD評」では、パッヒェルベルのオルガン作品全集(Vol. 1: DOR-93173)を紹介している。
 今回紹介したCDは、バッハの世俗カンタータ集の第2巻として1994年5月にケベック市で録音されたもので、編成は第1、第2ヴァイオリン各4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1、チェンバロ、フラウト・トラヴェルソ1、オーボエ2の17人である。演奏のピッチは明記されていない。なお、世俗カンタータ集の第1巻は、現在販売されていない。

発売元:Dorian Recordings

* このソプラノのパート譜は、ファクシミリ版が出版されている。”Johann Sebastian Bach - O holder Tag, erwünschte Zeit - Hochzeitskantate BWV 210, Faksimile-Reihe Bachscher Werke und Schriftstücke herausgegeben vom Bach-Archiv Leipzig Band 8, VEB Deutscher Verlag für Musik Leipzig, 1967

** この「 おゝ、心地よい旋律」(BWV 210a)のソプラノのパート譜の成立年については、Yoshitake Kobayashi, “Zur Chronologie der Spätwerke Johann Sebastian Bachs - Kompositions- und Aufführungstätigkeit von 1736 bis 1750”, Bach-Jahrbuch 74. Jahrgang 1988, Evangelische Verlagsanstalt Berlin, p. 42 -43 を参照。

*** 小林義武は上記**で、このカンタータを、アンハルト=ケーテンのレオポルト候の後継者である弟のアウグスト・ルートヴィヒのために作曲されたと推定していたが、その後このカンタータの歌詞の印刷が発見され、ザクセン=ヴァイセンフェルス公爵クリスティアンであったことが明らかとなった。Hildegart Tiggemann, “Unbekannte Textdrucke zu drei Gelegenheitskantaten J. S. Bachs”, Bach-Jahrbuch 1994, Evenagelische Verlagsanstalt Berlin, p. 7 - 22


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