私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Mozart Piano Concertos KV 466 & KV 467
Accent ACC 24265
演奏:Arthur Schoonderwoerd (fortepiano & musical direction), Cristofori

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調と第21番ハ長調は、既に「モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と21番をオリジナル編成で聴く」で、ヨス・ファン・イムマーゼールとアニマ・エテルナの演奏で紹介した。今回改めて紹介するのは、従来のモーツァルトのピアノ協奏曲のオリジナル編成による演奏とは、かなり異なった観点から演奏されているためである。この2曲のピアノ協奏曲は、1785年の四旬節(キリスト受難の40日前)に始まる、ヴィーンのオペラが上演されない時期に行われる演奏会において、自らピアノを弾いて演奏するために作曲された。第20番に始まるモーツァルトのピアノ協奏曲は、「交響的協奏曲」と呼ばれ、協奏曲の新しい様式を産み出したものと見なされている。
 ピアノ協奏曲第20番ニ短調(KV 466)は、モーツァルト自身が記した作品目録によると、1785年2月10日に完成し、翌2月11日にヴィーンのメールグルーベの演奏会場において、初演された。メールグルーベは、新しいヴィーンの食料市場として13世紀に設立された場所に、小麦粉(Mehl)や穀類(Getreide)の取引を行う市場も設けられ、やがてその取引を行う建物が建てられた。15世紀初めの建物は、17世紀の終わりに取り壊され、1697年に「メールグルーベの家(Haus zur Mehlgrube)」が建設された。その1階に舞踏や宴会を行う広間があり、若きハイドンも、楽士として報酬を得ていた。1781年にこの広間は演奏会場に改築され、モーツァルトが予約演奏会の会場として使用した。1798年にはレストランとなり、主人のミヒャエル・メールスはここで演奏会を開催し、ベートーフェンが中心的な指揮者として活動した*。
 一方ピアノ協奏曲第21番ハ長調(KV 467)は、1785年3月9日の日付けて自身の作品目録に記入されているが、自筆の総譜には、モーツァルトの自筆で、1785年2月と記されている。初演は1785年3月10にブルク劇場で行われたアカデミー演奏会で、モーツァルト自身のピアノで行われた。ブルク劇場は、もともと舞踏場として1540年に建設された。18世紀初めまでは、ここではテニスの前身であるジュー・ドゥ・ポーム(Jeu de Paume)が行われていた。1748年にこの舞踏場の隣に「ブルクの隣の劇場」が建てられ、1756年に大規模な改装が行われた。この劇場には、皇帝一家のための桟敷席があり、帝立の劇場として、オペラが上演されていた。
今回紹介するアクサン・レーベルのCDは、アーサー・ションダーヴェルドのピアノと指揮、クリストフォリの演奏による。ションダーヴェルドは、1966年オランダ生まれのフォルテピアノ、チェンバロ、クラヴィコード奏者である。ユトレヒト音楽院でピアノや室内楽等を学び、ユトレヒト大学で音楽学を学んだ。1992年にはパリ国立高等音楽院で、ヨス・ファン・イムマゼールのもとでフォルテピアノを学んだ。ションダーヴェルドは、オランダ、ベルギー、ドイツ、フランスなどの国々を中心に演奏家として活動し、バルトルト・クイケン、ヤープ・テル・リンデン、ヴィルベルト・ハーゼルツェト等多くのオリジナル楽器奏者と共演している。
 伴奏をしているクリストフォリは、2001年にフランスのブザンソンで設立されたアンサンブルで、設立当初からションダーヴェルドが音楽監督を務めている。それは、ヨス・ファン・イムマゼールとアニマ・エテルナと似ており、演奏する曲目に応じて、各国から最も適した奏者を集めて結成される。
 今回紹介する2曲のモーツァルトのピアノ協奏曲は、ヴァイオリンを含めすべて1パート一人の奏者で編成されている。これは、他のオリジナル楽器編成によるモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏とは、決定的に異なるところである。ションダーヴェルドとクリストフォリは、既にアルファ・レーベルにベートーフェンのピアノ協奏曲を、同じ編成で録音している。ションダーヴェルドは、CDに添付の小冊子で、モーツァルトが1785年に予約演奏会を行った当時のメールグルーベの演奏会場は、17メートルの奥行き、8.5メートルの幅、天井までおよそ5メートルと言う広さで、この空間にフォルテピアノとオーケストラ、そして150人の予約演奏会の聴衆を収容すると、聴衆はオーケストラのすぐそばまで座らなければならなかっただろうと述べている。一方ピアノ協奏曲第21番を初演したブルク劇場は、およそ220平方メートル、天井までの高さは13メーとあるが、オーケストラピットは奥行き3メートル、幅8.5メートルであり、オーケストラにとっては小さなスペースであったという。さらにションダーヴェルドは、ザルツブルクの聖ペーター教会の音楽文庫の中にある当時のパート譜ついて触れ、それはヴァイオリンを含めすべての楽器につき1セットのパート譜からなり、第1、第2ヴァイオリンについてはそれに加え各1セットのテュッティのみ加わるリピエーノのパート譜があると述べている。これらの事実を主とした根拠として、ヴァイオリンを含めすべて1パート1人のオーケストラ編成の根拠付けとしている。
 フォルテピアノについては、モーツァルトが最初に所有していた楽器は、革で覆われていないハンマーを備えたものか、上面に丸みを帯びた木の棒を突き上げて弦をたたく、いわゆるタンジェント・ピアノであった可能性が高いという研究者の意見を挙げ、モーツァルトが弾いていたフォルテピアノは、その殆どが後に改造され、革で覆われたハンマーを備えたものに変更さているため、現存する楽器のみでは、実際に演奏された楽器を決定することは出来ないという別の研究者の見解も紹介している。
 この様な論点を根拠に、ションダーヴェルドは、1782年頃アントン・ヴァルター作の、5オクターヴ(FF - f’’’)、2つの膝で操作するレバーを備えた、革で覆われていない木のハンマーを備えたフォルテピアノをジェラール・トゥイモンとポール・ポレッティが製作した複製を使用している。実際の演奏を聴いてみると、革で覆われたハンマーを備えたフォルテピアノに比べて立ち上がりの鋭い固い音がする。打弦後の残響は少なく、音量も小さいようだ。その点では、オーケストラとのバランスは悪くない。
 実際にこのCDの演奏を聴いてみると、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニという管楽器、打楽器の編成に対して各パート1人の弦楽部は、音響的に明らかに弱すぎることが分かる。テュッティで全楽器が加わるフォルティッシモの個所では、弦楽器、特に高弦部がほとんど聞こえない。これでは演奏として成り立たないと筆者は思う。如何に会場の広さやパート譜の状態を挙げても、曲として響きの均衡を欠いた演奏は問題外である。1777年のヴィーンのブルク劇場のオーケストラは、ヴァオイリン12、ヴィオラ4、チェロ3、コントラバス3、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、チェンバロ1の編成であることが分かっている**。会場の広さの関係で、フォルテピアノを収容するために人員を減らすというようなことがあった可能性は考えられるが、音響的な均衡を欠く編成であったとは、考えにくい。このションダーヴェルドとクリストフォリによる演奏は、試みとしては興味深いものだが、公開の会場ではなく、宮廷等で私的に行われた演奏ではあったかも知れないが、予約した聴衆の前で演奏する演奏としては、現実離れしているように思える。
 このCDの演奏の録音は、2011年6月6日から8日に、フランス、ブザンソンのノートル・ダーム教会で行われた。演奏のピッチは記されていない。なお、ションダーヴェルドとクリストフォリによるモーツァルトのピアノ協奏曲は、この他に第18番変ロ長調(KV 456)、第19番ヘ長調(KV 459)が録音されている。

発売元:Accent (現在このレーベルのウェブサイトは存在しない)

* ウィキペディアドイツ語版の”Mehlgrube“による。なお、現在この場所には、アンバサダー・ホテルが建っている。

** Dexter Edge, “Mozart’s Vienese Orchestra”, Early Music XX (1952), p 64 - 88, John Spitzer & Neal Zaslav, “The Birth of the Orchestra”, Oxford University Press 2004, Appendix B. Sample Orchestra 1773 - 1778, p. 537 - 541より引用。

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