私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Johann Sebastian Bach: Cembalokonzerte Band I
Opus 111 OPS 30-153
演奏:Concerto Italiano, Rinaldo Alessandrini (Cembalo und Dirigent)

イタリアには多くの弦楽器合奏団があり、モダン楽器ではイ・ムジチ、ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ、イ・ソリスティ・ヴェネティなどが良く知られているが、オリジナル楽器編成でも、ヴィヴァルディの「四季」の演奏で一躍名が知られるようになったエウローパ・ガランテ、イル・ジャルディーノ・アルモニーコ、ソナトーリ・デ・ラ・ジオイオーサ・マルカなど多くの団体がある。今回紹介するコンチェルト・イタリアーノは、チェンバロ奏者のリナルド・アレッサンドリーニによって創設され、1984年にローマでフランチェスコ・カヴァリの「ラ・カリスト」の上演によってデビューし、モンテヴェルディのマドリガルやヴィヴァルディのオペラや協奏曲を主として演奏してきた。リナルド・アレッサンドリーニは1960年生まれで、18歳の時にチェンバロの存在を知り、トン・コープマンの教えを受けた。独奏者として活動するとともに、コンチェルト・イタリアーノの指揮、さらにファビオ・ビオンディが首唱するエウローパ・ガランテの通奏低音も担当していた。コンチェルト・イタリアーノはOpus 111に録音を行ってきたが、現在このレーベルは、フランスのナイーヴ・レーベルに吸収されてしまった。
 今回紹介するCDは、バッハのチェンバロ協奏曲等を収録したOpus 111盤である。収録されているのは、チェンバロ協奏曲ニ短調(BWV 1052 )、ヘ長調(BWV 1057)、ニ長調(BWV 1054)、それにフルート、ヴァイオリン、チェンバロと弦楽合奏のための協奏曲イ短調の4曲である。チェンバロ協奏曲ニ短調は、1台のチェンバロのための協奏曲7曲と1曲の第1楽章の断片が記入された自筆譜の冒頭に位置する作品である。この自筆譜については、すでに「バッハの1台のチェンバロのための協奏曲全曲を聴く」で紹介したが、1738年頃に実際に作曲しながら、正確には原曲にもとづき編曲しながら作製したと考えられている。このニ短調の協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲ニ短調を原曲としていると考えられ、新バッハ全集第VII部門第7巻に復元されたものが掲載されている。また、第1楽章が復活祭後第3日曜のためのカンタータ「私たちは多くの苦難を経て神の国に入らねばならない」(BWV 146)の第1曲シンフォーニア、第2楽章が同じカンタータの第2曲の合唱、第3楽章が三位一体後第21日曜日のためのカンタータ「私には確信がある」(BWV 188)の第1曲のシンフォーニアにも転用されている。これらのカンタータは、前者が1726年か1728年、後者が1728年か1729年に初演されたものと推定されている。
 チェンバロ協奏曲ヘ長調は、ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調(BWV 1049)を原曲としており、ニ長調の協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲ホ長調(BWV 1042)を原曲としている。いずれもチェンバロ協奏曲への編曲の際に全音低く移調されている。これは独奏ヴァイオリンの音域が、当時のチェンバロの音域を超えていたために取られた処置である。
 フルート、ヴァイオリン、チェンバロと弦楽合奏のための協奏曲イ短調(BWV 1044)は、ブランデンブルク協奏曲第5番ト長調(BWV 1050)と同じ編成だが、その曲想は対蹠的で、くすんだ音色が支配的な作品である。この協奏曲は、上記の3曲を含む独奏チェンバロと弦楽合奏のための協奏曲とは異なって自筆譜が存在せず、いずれもバッハの死後に作製された写譜によって伝えられている。そのひとつは、ヨハン・フリートリヒ・アグリコーラ(Johann Friedrich Agricola, 1720 - 1774)による第1楽章と第2楽章の総譜の写譜で、もう一つはヨハン・ゴットフリート・ミューテル(Johann Gottfried Müthel, 1728 - 1788)によるパート譜の写譜である。 この二つの写譜相互には、依存関係はなく、いずれもバッハの晩年の弟子であった二人が、師の所有していたオリジナルの総譜とパート譜を手本に筆写したものと思われる。この協奏曲のもう一つ特異な点は、原曲が協奏曲ではなく、第1楽章と第3楽章は、鍵盤楽器のための前奏曲とフーガイ短調(BWV 894)、第2楽章はオルガンのためのトリオソナタニ短調(BWV 527)の第2楽章を原曲としていることである。前奏曲とフーガイ短調には、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープスに由来する手稿の一つ(ベルリン国立図書館 Mus. ms. Bach P 801)に、ヨハン・トービアス・クレープスによって、その筆跡から1714年かその少し後に記入された写譜が存在し、それによってバッハのヴァイマール時代(1708 - 1717)あるいはそれ以前に作曲された作品であることが分かっている。オルガンのためのトリオソナタの自筆譜は、1727年に成立したものであるから、この協奏曲の成立もそれ以降、おそらくは1729年にバッハがコレーギウム・ムジクムの指揮を引き受けた後のことと思われる。第1楽章と第3楽章は、原曲を大幅に拡大されており、第1楽章は原曲の98小節から149小節に、第3楽章は153小節から245小節になっている。この様に自筆の総譜もパート譜も存在せず、写譜がいずれもバッハの死後に作製されているため、正確な作曲(編曲)時期を特定することは難しく、真作かどうかの疑問も提起されている。また、ハンス・エプシュタインのように、原曲自体が、先行する協奏曲などからの編曲であると主張する研究者もあるが、それを証明する証拠はない。その一方で、その様式から、バッハの晩年の作である可能性を指摘する研究者も居る。
 リナルド・アレッサンドリーニとコンチェルト・イタリアーノによる演奏は、第1、第2ヴァイオリン各3、ヴィオラ2、チェロ、コントラバス、ファゴット、リュート各1の編成であるが、ブランデンブルク協奏曲第4番を原曲とするヘ長調の協奏曲のみ各パート1名の編成である。独奏チェンバロの音は、実際のバランスに近いのであろうが、部分的には聞き取りにくいほど控えめである。演奏はアルプスの北のオリジナル楽器編成の演奏団体のように、作曲あるいは初演時点の響きを再現する努力をすると言うよりも、現在のイタリア人の感性にもとづいていると言える、明るく躍動するリズムを特徴としている。特にBWV 144の明るい陽光に満ちた演奏は、今まで筆者が聴いたどの演奏とも異なっている。
 前述したように、Opus 111レーベルは、Naïveレーベルに吸収されてしまい、その1部は再発されており、アレッサンドリーニとコンチェルト・イタリアーノの演奏も、バッハのブランデンブルク協奏曲など、現在販売されているものもあるが、この4曲の協奏曲は、未だ再発されていないため、入手が困難である。

発売元:Opus 111(現在Naïve

注)フルート、ヴァイオリン、チェンバロと弦楽合奏のための協奏曲イ短調(BWV 1044)の原典や、作品の成立事情については、新バッハ全集第VII部門第2巻のディートリヒ・キリアンによる校訂報告書(1989年刊、p. 43 - 48)を主に参考にした。

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