私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Gregorian Chant
世界宗教音楽ライブラリー(キング・レコード) KICC 5701
演奏:サン・ピエール・ド・ソレーム修道院聖歌隊

ローマン・カトリック教会の伝統的な単声典礼聖歌を「グレゴリオ聖歌」と呼んでいるが、その起源はユダヤ教の詩編唱や賛美歌にまで遡ると思われる。新約聖書にも、イエスが最後の晩餐の際に聖餐を行った後、「彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。」(マタイによる福音書第26章30節)という記述があり、この様な歌唱が、原始キリスト教の典礼における聖歌のもととなり、エジプトやシリアで発展したと考えられている。この聖歌は、やがてローマにもたらされ、西方教会の典礼における聖歌として伝統的に用いられてきた。今日これを「グレゴリオ聖歌」と呼ぶのは、教皇グレゴリウスI世(在位590 - 604)が整備したという伝承に由来するが、実際に今日も実践され続けているものが、グレゴリウスI世にまで遡るものかどうかには異論がある。 現在のグレゴリオ聖歌の原型はむしろ、西暦800年頃にフランク地方で決定的な形が与えられたものと考えられている*。 その後も聖歌は様々な変遷を経ており、多声音楽や定量音楽の発展に伴い、単声典礼聖歌は衰退する。19世紀中頃から、ロマン主義の中世復興運動と並行して、フランツ・リスト等による復興が始まり、1903年の教皇ピウス10世による教会音楽に関する教書、1908年から刊行を始められたヴァティカン版の聖歌集が、今日のグレゴリオ聖歌の標準となっている。
 これらの聖歌は、本来口承によって伝えられてきたが、9世紀頃になって、聖歌の歌詞にアクセント記号を付するようになってきた。これを「ネウマ」と言い、音高を示さないネウマと示すネウマがあった。「ネウマ」という言葉は本来ギリシャ語で「合図、身振り」を意味するものであった。これは聖歌の旋律を指示するものではなく、むしろ歌詞の強調点を示すもので、旋律は依然として記憶によって伝えられていたようだ。やがて11世紀になると、4本の譜線が用いられるようになり、これにC音とF音を示す記号が付けられるようになる。しかしこの様な譜は、音高は示すが、音の長短やリズムを示すものではなく、この様な要素は依然として伝承によって伝えられていたようだ。上述のように今日のいわゆる「グレゴリオ聖歌」は、20世紀の初めにヴァティカンによって刊行された聖歌集が標準となっているが、これはピウス10世が、フランスのサン・ピエール・ドゥ・ソレーム修道院における古い手稿の研究に基づいて1989年に刊行された聖歌を権威あるものと認定した事によっている。しかし今日では、このソレーム修道院による聖歌は、そのリズム解釈や様式の解釈に疑義が呈されている。
 グレゴリオ聖歌の種類は、典礼における機能による分類、すなわち年間を通じてすべての典礼に於いて歌われるオルディナリウム(通常文)と個々の祝日おける固有の聖歌であるプロプリウム(固有文)に分けられる。通常文は、キュリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥスそれにアニュス・デイからなる。固有文は、イントロイトゥス(入祭唱)、グラドゥアーレ(昇階唱)、アレルヤ唱、トラクトゥス(詠唱)、セクェンツィア(続唱)、オッフェルトリウム(奉献唱)、それにコンムニオ(聖体拝領唱)がある。これとは別に、形式によってアンティフォナ(Antiphona)、レスポンソリウム(Responsorium)、イムヌス(Hymnus)、トロープス(Tropus)等がある。アンティフォナは、合唱を2つに分けて交互に歌う歌い方の聖歌を指し、日本語では交唱という。レスポンソリウムは、独唱者と合唱の交互で歌う歌い方の聖歌を指し、日本語では応唱という。セクェンツィア、イムヌス、トロープスは、中世後期から後に付け加えられたものである。セクエンツィアは、アレルヤ唱またはトラクトゥス(詠唱)に続けて歌われるラテン語の聖歌の事を指し、日本語では続唱という。イムヌスは賛歌と訳され、初期キリスト教では、聖歌の大半は賛歌であったとされている。プロテスタントでは賛美歌と呼ばれている。 トロープスは、ミサ曲のキリエ等の歌詞に平行または挿入して付加された補足説明的な歌詞を持つ部分を言う。 以上の説明から分かる様に、これらの名称は、様々な概念が混在しており、そのまま音楽形式を示すものではない。
 グレゴリオ聖歌の「旋律」は、基本的に一音節一音で、例外的に、例えば「アレルヤ」に於いて、装飾的旋律が用いられる。また、グレゴリオ聖歌には、8つの教会旋法が用いられている。教会旋法は、1オクターブの8音をそれぞれ基音とする音階からなっている。この教会旋法そのものは、和声音楽が主体となる16世紀から17世紀には用いられなくなったが、単旋律のグレゴリオ聖歌にはそのまま残っている。
 今回紹介するCDには、グレゴリオ聖歌を古い手稿の研究に基づいて復興したフランスのサン・ピエール・ドゥ・ソレーム修道院の僧侶達が朗唱する様々な聖歌が収録されている。このCDは、特定の祝日の典礼を再現したものではなく、グレゴリオ聖歌とはどのようなものであるかを知るための教材的役割を有している。
 サン・ピエール・ドゥ・ソレーム修道僧達の郎唱は、声楽の教育を受けた歌手達とは異なり、地声で、歌うと言うより朗詠に近い。演奏と言うよりも典礼におけるグレゴリオ聖歌の実践を示すものと言って良いだろう。
 冒頭に、ソレーム修道院の鐘が鳴らされ、それに続いてミサの通常文の内、「キュリエ」、「グローリア」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」が、聖母マリアのための祝日の第9番の旋律で歌われる。続く第11番の旋律による「キュリエ」は、一音節が複数の音からなるメリスマ様式で歌われる。その次の「クレド」は第1番の旋律で、一音節一音のシラビック様式で歌われる。この後に降誕祝日のための固有文が来る。まず降誕祝日夜中の入祭唱(イントロイトゥス)、続いて降誕祝日日中のミサの入祭唱、そして降誕祝日日中のミサの「アレルヤ」が歌われる。
 その次には、死者のためのミサ冒頭の入祭唱が歌われる。これは、その聖歌冒頭の”Requiem aeternam dona eis Domine:”から、「レクイエム」と呼ばれ、多くの音楽家によって作曲された。それに続いて同じく死者のためのミサで歌われる聖歌が、セクエンツィアとして、二つの合唱隊によって一節ごとに交互に歌われる。この聖歌もその冒頭の歌詞”Dies irae,”から、「怒りの日」と呼ばれ、その旋律は、例えばベルリオーズの「幻想交響曲」の第5楽章で用いられるなど、非常に良く知られている。このセクエンツィアは非常に長く、19節からなっている。
 続いてキリスト受難の日、聖金曜日に歌われる賛歌(ヒュムヌス)、復活祭のミサの使徒書簡朗読の後の「アレルヤ」の前に歌われるグラドゥアーレ、同じく復活祭のミサのための続唱(セクエンツィア)が歌われ、最後に精霊降臨祭のミサのための続唱(セクエンツィア)が歌われる。
 グレゴリオ聖歌の旋律は、それぞれのミサにおける役割とともに、多くの宗教音楽などに引用されている。例えば、バッハの「ロ短調ミサ曲」の「クレド(ニケア信経)」の冒頭は、「クレド」の旋律が用いられており、さらに「コンフィテオ」においても該当する旋律が引用されている。これは、バッハが独自に引用したのではなく、ルター派の礼拝に於いてもこれらの旋律が歌われていたためと考えるべきであろう。このように、グレゴリオ聖歌は、西洋音楽に大きな影響を与えてきたが、それを理解するためにも、実際の聖歌を聴くことは、必要不可欠である。
 今回紹介するCDは、キング・レコードの「世界宗教音楽ライブラリー」の第1巻である。このシリーズは、2001年に音楽資料として50枚のCDが発売された内の1枚で、現在はこの1枚のみがカタログに掲載されているようだ。サン=ピエール・ドゥ・ソレム修道院は、1010年にベネディクト派のル・マン修道院の分院として設立された。 サン=ピエール・ドゥ・ソレム修道院は、ローマ・カトリックの典礼とその聖歌、「グレゴリオ聖歌」の促進に重要な役割を果たしていることで有名である。このCDの録音の詳細は不明で、録音の時期も分からない。演奏の指揮をしているのは、ドン・ガジャール師(1885 - 1972)で、すでに死亡していることから、1972年以前に録音されたものと思われる。

発売元:キング・レコード

グレゴリオ聖歌とその聖歌の種々な形式等については、「標準音楽事典」音楽之友社、1966年、「グレゴリオ聖歌」の項(野村良雄)、ウィキペディア・ドイツ語版の”Gregorianischer Choral”、同じくウィキペディア英語版”Gregorian Chant”、日本語版「グレゴリオ聖歌」、及びそれらの関連項目を参考にした。

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コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (ライムンド)
2012-02-25 17:30:45
はじめてコメント投稿いたします、ライムンドというHNで約2年前からブログをしておる者です。サン・ピエール・ド・ソレーム修道院聖歌隊の録音は個人的に興味があり、集めて聴いていました。1960年前後から1970年代前半にかけて録音された「全15集・CD19枚のシリーズ」がまとまったCD集のようですが、もっと多数あるようにも思っていました(LPの全集はもっと大規模だったような記憶があります)。この記事のCDは見たことが無いので、あるいは違う音源なのかもしれないと思いました。

 
 
 
ソレム修道院のグレゴリオ聖歌 (ogawa_j)
2012-02-25 18:55:46
ライムンドさん、コメントありがとうございます。今回紹介したCDはには、"Licensed by MUSIDISC"と記されています。クラシックCD通販の「カデンツァ」のサイトによると、MUSIDISC(http://www.cadenza-cd.com/label/musidisc.html)はフランスのレコード会社で、ACCORD、ADDAやADESを吸収していたそうですが、フランスのユニヴァーサルの傘下に入ったとのことです。ただ詳細、その音源がどうなるかは、書かれていません。
 
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