私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




J. S. Bach: Concertos for solo harpsichord
Virgin 50999 5 22001 2 0
演奏:Bob van Asperen, Melante Amsterdam

バッハのチェンバロ協奏曲については、これまで「バッハのチェンバロ協奏曲の原曲を復元したヴァイオリン協奏曲を聴く」や「バッハのチェンバロ協奏曲の原曲とされるオーボエのための協奏曲」などで取りあげ、特にチェンバロ協奏曲から復元された協奏曲を紹介してきたが、今回は「バッハの2台のチェンバロのための協奏曲を聴く」に続いて、一台のチェンバロのための協奏曲全曲を収録したCDを紹介する。
 1台のチェンバロのための協奏曲7曲と1曲の断片は、バッハの自筆総譜が残っており、その状態からバッハが作曲しながら記入したことが分かっている。1998年に修復のため、この自筆譜は一旦製本を解かれたが、それまでの製本された状態では、バッハ作品目録(BWV)の順序通りに7曲が収められ、最後に断片のニ短調の協奏曲(BWV 1059)が記入されている。しかし、筆跡の観察によって、実際にはまずト短調(BWV 1058)と断片のBWV 1059が記され、その後手稿の冒頭から6曲が順番に記入されたことが分かった。これら6曲は、全紙2枚を2つ折りにした丁にまたがって記入されており、かなり短い期間に集中的に作曲されたことが推定出来る。しかしト短調(BWV 1058)と断片も時期的にはほぼ同時に記入されたことは、使用されている用紙が他の部分と同じことや筆跡から分かっている。このBWV 1058とBWV 1059は、8ページの1丁と1枚の全紙を2つ折りにした4ページの丁からなっており、おそらくは断片の曲があるため、後から冊子の最後に綴じられたものだろう。この自筆譜は、小林義武の研究によれば、1738年頃に作製された*。これらの協奏曲は、他の2台、3台及び4台のチェンバロのための協奏曲とともに、1729年3月に、バッハがライプツィヒ大学の学生によって組織されたコレーギウム・ムジクムの指揮を引き受けて、ツィンマーマンのコーヒーハウスにおいて行っていた演奏会のために作曲されたと一般的には考えられてきたが、ちょうどその時期、1737年夏から1739年秋にかけて、いったんその地位を新教会のオルガニストで、かつてバッハの教えを受けていた、カール・ゴットヘルフ・ゲルラッハ(Carl Gotthelf Gerlach)に譲っており、その後再び指揮を引き受けることになるが、なぜちょうどこの指揮をしていない時期にこれらの曲を作曲したのかが不思議である。
 これら7曲の協奏曲の内、ト短調(BWV 1058)がヴァイオリン協奏曲イ短調(BWV 1041)、ニ長調(BWV 1054)がヴァイオリン協奏曲ホ長調(BWV 1042)そしてヘ長調(BWV 1057)がブランデンブルク協奏曲第4番ト長調(BWV 1049)からの編曲である。残りの4曲についても、何れも原曲となる独奏協奏曲があると考えられている。これら3曲は何れも、編曲に際して全音低く移調されているという点で共通している。これは、ヴァイオリンの高音部の音域が、チェンバロの音域を超えているためにとられた処置である。
 ニ短調の協奏曲(BWV 1052)は、同じ調性のヴァイオリン協奏曲を原曲としていると言う説が広く受け入れられており、復元も行われている。この協奏曲の各楽章は、第1楽章が復活祭後第3日曜のためのカンタータ「私たちは多くの苦難を経て神の国に入らねばならない」(BWV 146)の第1曲シンフォーニア、第2楽章が同じカンタータの第2曲の合唱に、第3楽章は三位一体後第21日曜日のためのカンタータ「私には確信がある」(BWV 188)の第1曲のシンフォーニアとしても存在する。何れも同じ調性である。
 ホ長調の協奏曲(BWV 1053)については、ほかに第1楽章が三位一体後18番目の日曜日のためのカンタータ「神のみが私の心を知っておられる」(BWV 169)の第1曲シンフォーニア、第2楽章が同じカンタータの第5曲アルトのアリア、第3楽章が三位一体後20番目の日曜日のカンタータ「私は行って、あなたを捜し求める」(BWV 49)の第1曲のシンフォーニアとしても存在する。何れもオルガンが独奏楽器として用いられている。BWV 169の第1曲シンフォーニアはニ長調で、第5曲のアリアとともにBWV 1053より全音低い。それに対してBWV 49のシンフォーニアは、協奏曲と同じホ長調である。このチェンバロ協奏曲と2つのカンタータの楽章を観察すると、両者には直接的な関係はなく、それぞれ独立して原曲の協奏曲から編曲されたことが分かっている。このような異なった調性やそれぞれ異なった編曲があるため、その共通の原曲を正確に再現することは困難で、原曲の調性といかなる楽器を独奏楽器としていたかの判断が分かれている。それにもかかわらず、原曲をオーボエ協奏曲として復元して演奏される場合が多い。
 イ長調の協奏曲(BWV 1055)については、オーボエ・ダ・モーレのための協奏曲が原曲であるという考えが支配的で、その形でしばしば演奏されている。この説は1935年にイギリス人のドナルド・フランシス・トーヴェイによって提起され、その後複数の研究者によって支持された。オーボエ・ダ・モーレは、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの「音楽事典」によれば、1720年頃に知られるようになった楽器と記されているが、その後中部ドイツでは1717年頃まで溯ることが出来るという研究が成された。いずれにしても、バッハがこの協奏曲の原曲をすでにヴァイマールで作曲していたことは、様式的にも考えにくく、作曲時期と原曲の判断に影響することはない。その一方で、独奏パートの技術的問題で、登場間もないオーボエ・ダ・モーレとは考えにくいという意見が出され、原曲についての最終結論は出ていない。
 ヘ短調の協奏曲(BWV 1056)は、当初1曲の協奏曲からの編曲と考えられたが、その後公顕祭後第3日曜のためのカンタータ「私は片足を墓に入れて立っている」(BWV 156)の第1曲シンフォーニアとしても存在する第2楽章が、別の原曲に基づくという説が出され、現在はこの考えが支配的である。両端の楽章については、ト短調のヴァイオリン協奏曲が原曲であると考えられている。第2楽章については、ジョシュア・リフキンが、 本来はチェンバロ協奏曲ニ短調(BWV 1059)となるはずであったオーボエ協奏曲ニ短調の第2楽章からの編曲であるという説を唱えて、バッハ研究者の間にも支持者がいる。
 ニ短調の協奏曲の断片(BWV 1059)は、自筆総譜に於いては第1楽章の冒頭9小節のみが記入されている。そのページの残りの部分にも五線譜が引かれており、当初は全曲を作曲するつもりであったと思われる。しかし実際に取りかかってみて、チェンバロ協奏曲には向かないと判断し、断念したのではないかと考えられている。このようにたった9小節しか残っていないこの協奏曲は、現在様々な復元の試みが成されている。第1楽章は三位一体後第12日曜日のためのカンタータ「心と魂は乱れ」(BWV 35)の第1曲目のシンフォーニア、第3楽章は同じカンタータの第2部のシンフォーニア(第5曲目)を原曲として復元されることで一致しているが、第2楽章の扱いについては様々な試みが成されている。
 以前からバッハが作曲した協奏曲は、実際には多数あり、現在残っているものはそのほんの一部に過ぎないという考えがあったが、この1冊の自筆譜で存在する1台のチェンバロのための協奏曲を見ると、編曲が可能な独奏協奏曲はすべてこの中に含まれるという考え方も出来るように思われる。記入の順序で一番最後に当たるヘ長調の協奏曲(BWV 1057)が、本来ヴァイオリン独奏と2本のリコーダーのための協奏曲であるブランデンブルク協奏曲第4番を原曲としていることを考えると、原曲となる独奏協奏曲の手持ちはすでに尽きていたと見ることが出来るのではないだろうか。実際カンタータに転用された協奏曲の楽章は、チェンバロ協奏曲も含めて原曲が分かっているものが大半で、原曲が存在しなくて、協奏曲からの転用と考えられているものは、復活祭オラトーリオ(BWV 249)の第1曲と第2曲、ほか1曲しかないのである。
 今回紹介するCDは、ボブ・ファン・アスペレンのチェンバロ独奏、メランテ・アムステルダムの演奏によるヴァージン盤である。メランテ・アムステルダムについては、詳しいことは分からないが、1981年頃にボブ・ファン・アスペレンを音楽監督にして創設されたようで、ヴァージンやエオルス・レーベルで発売されているCDでは、すべてアスペレンと共演している。この演奏の特徴は、伴奏の各パートの奏者が1人であることで、録音においても特にチェンバロの音を大きくとらえてはいないので、独奏と伴奏の音のバランスが、実際に近い点である。演奏自体も、アスペレンの特徴である、作品に寄り添った自然な流れを大事にしたものとなっている。アスペレンが演奏しているチェンバロは、1764年にフランスのパスカル・タスカンが製作したチェンバロを、1979年にイングランドのドーセット州、フォントウェル・マグナのマイケル・ジョンソンが複製したものである。なお、ニ短調の協奏曲の復元は、BWV 35のカンタータに基づく両端楽章の間を、短いチェンバロによる即興的間奏でつないである。この点にもアスペレンの姿勢が明瞭に現れている。
 このCDは、ヴァージンの2枚組のシリーズの1つで、2枚で1枚のCDより安価で購入出来る。

発売元:EMI Classics

* Yoshitake Kobayashi, “Zur Chronology der Spätwerke Johann SEbastian Bachs: Kompositions- und Aufführungstätigkeit von 1736 bis 1750”, Bach-Jahrbuch 1988, p. 41

注)バッハの一台のチェンバロのための協奏曲の原典や原曲については、主に新バッハ全集第VII部門第4巻のヴェルナー・ブリークによる校訂報告書(2001年刊)を参考にした。

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