<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どうしようかなあ?

2009年02月06日 18時55分54秒 | Weblog


頭髪がまたもやロングになった。床屋さんに切りに行かなくちゃ。

      *  

ロングと言ったって耳が隠れるくらいの長さ。髪が黒々ふさふさしているから、友人らは、
「おまえ、夜中にこっそり髪を染めているんじゃないか?」と言うから、
「そりゃ、そうさ。この年でこの黒さは不思議だろう」と受け答えしているが、一度も染めたことはない。

      *

若い頃はストレートだったのに、いまは緩やかに、ちょっとかっこよくウエイブがかかっている。
髪油もつけない。朝、つったった髪に水をたっぷりつけて、櫛けずるだけ。
太く硬かった髪の質が変わって、いまでは細くやわらかい。

念入りに電気ブラシをかけたみたいになるから、「なんだ、年甲斐もなくオシャレしやがって」と揶揄される。

      *

床屋さんはあまり好きではない。というのは、髭を剃られるからだ。深剃り、逆剃りがとても苦手だ。
皮膚が繊細にできていて、これをやられるとすぐさま血が出てしまう。ひりひり痛い。

      *

僕の行く行きつけの床屋さんはお客さんが少ない。床屋の主人は商売っけがまるでない。
無愛想の部類だ。あいにく、先頃かみさんにも先立たれて一人暮らし。

いつ行っても空いている。すぐに「はいどうぞ」になる。
だから、僕が行ってやらないと商売が成り立たなくなりそうだと慈悲の気持ちがついつい起こる。

だから、あんまり髪切りはしたくないが、行かないわけにもいかない。ううん、うう~ん、というところだ。
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母と父を選んで生まれてきた

2009年02月05日 23時17分52秒 | Weblog
自分で母と父を選んでこの世に生まれてきた。

わたしをこどもにしてくれた母がいる。
わたしをこどもにしてくれた父がいる。

母を通してしかわたしは生まれていない。
父を通してしかわたしは生まれていない。

母を恋しがってわたしは母を母とした。
父を恋しがってわたしは父を父とした。

わたしをこどもにしてくれた母はすでに死んだ。
わたしをこどもにしてくれた父はすでに死んだ。

わたしは母を恋しがるわたしは父を恋しがる。

     *

宇宙中にはガンジスの川の砂の数ほどの世界があるというけれど、
わたしが選んだのはこのサハーという世界である。
仏陀のいるこの世界である。
わたしは仏陀を選んでこのサハーという世界に生まれてきた。
わたしは仏陀のもとで
仏陀になる道を歩むためにこの世に生まれてきた。

わたしは仏陀を恋しがるわたしは仏陀を恋しがる。
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死にはせぬ どこにも行かぬ

2009年02月04日 23時58分03秒 | Weblog
@ 死にはせぬ どこにも行かぬ ここにおる 
    尋ねはするな ものは言わぬぞ     一休禅師

わたしが生きているのは仏陀のいのち。仏陀のいのち以外はここで生きてはおらぬ。
仏陀のいのちが、形が死んでなくなったくらいで、ぷっつり切れてしまうことはないから、安心をせよ。

どこにも行かない。こことは仏陀の国。ここも仏陀の国。仏陀の願いの充ち満ちた国。果てしもない仏陀の国、仏国土。

ねちねち、ちまちま、尋ねごとなどするな。
一生生きてまだ目が覚めぬ者の戯言(ざれごと)迷いごとなどに耳は貸さぬぞ、わっはっは。

豪快な一休さまである。豪放な一休さまである。大きな安心の世界にいる一休さまである。
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わたしにできることはどれだけか?

2009年02月03日 21時08分13秒 | Weblog
わたしができることはどこまでだろう?

たとえば呼吸だ。息を吸ったり吐いたりはできる。
だがその息の、空気を、いつも鼻先に置いておくことができない。

これはわたし以外の誰かの仕業だ。誰かというと人格体を思い浮かべてしまうが、
そうでないことだってあるかもしれない。まあ、しかし、尊敬の意を込めて擬人化するのだ。

吸ったり吐いたりすれば、それですむのはなぜか?
それから先は誰がしているののか? 吸った空気から酸素を取り出して、それを燃やす。それは誰が引き受けているのか?

誰もいない?
いないでやれるのか?
じゃ、いないでもやれるようなシステムをこしらえておいたのは誰か?

      *

威張ってはいけない。

わたしはその全体の工程のほんの、ほんの一部をちょいと受け持っているだけなのである。
大きな顔はできない。

ほとんどは自力ではない。ほとんどは他力なのである。してもらっているのである。

すっかりすっかりおまかせをしているばかりなのである。

      *

おまかせをして生まれてきたのである。
おまかせをして死ぬより手だてはない。

おまかせは心配したってどうにもならないのである。
「お願い申し上げます」「有り難うございました」を言うしかないのである。
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