これから「幸せになる」という未来希求ではなくて、今ここで「幸せである」という現状肯定の方がてっとり早く幸福感を享受できる。そこで手にしている幸福の量がわずかであったとしても。それを幸福として逃さずすばやく取り込んだのだから。
これから「幸せになる」の判断根拠は「いまは幸せではない」という現状不満の裏返しである。たといその通りに幸せになった状況がやってきたとしても、そこでもまた「わたしはまだまだ幸せではない」という思い癖が訪れた幸福を否定をしてかかるだろう。
わたしはいま幸せである。そういう思い癖を身につけていれば、日々刻々に幸せが実現していて、それをその場で噛みしめられる。なるほどなるほどそうなのであった。その方が得策だった。
では、幸福を感じられるほどの具体的幸福現象が目の前に顕現しているか。しているはずである。それほどに目を凝らさなくとも、耳を澄まさなくとも、そこに現前しているはずである。
吸っている空気が美味しい。これでいい。森の中を歩けば小鳥が鳴いている。これをよろこんで耳で拝受する。これでいい。わたしを好いてくれる光がわたしに明るく届いて来る。嬉しい。この我流の受け取りでいい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます