此の一日の身命は、尊ぶべき身命なり。貴(たっと)ぶべき形骸なり。此の行持あらん身心自らも愛すべし、自らも敬うべし。我等が行持に依りて諸仏の行持、見成し、諸仏の大道、通達するなり。然(しか)あれば即ち一日の行持、是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。
曹洞宗在家勤行要集「修証義 第五章 行持報恩」より
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行持(ぎょうじ):仏道を常に怠らず修行すること。
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僕流に読んではならないだろうけど、僕流に読んでみる。平凡に読んでみる。
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今日を生きているわたしがいる。有り難いなあ。今日を生きているわたしの生命がわたしにある。有り難いなあ。今日を生きているわたしの肉体がカタチを持っている。有り難いなあ。それがみな等しく仏道の一道を歩いている。有り難いなあ。そんなことを思っていると一日中自己称賛をしていたくなる。恵まれて恵まれている自己を称賛していたくなる。
わたしの歩む仏道修行の一道によって、それをよろこぶ諸仏の輝きが増し、仏道の大道がいよいよ開発されて来る。そうであるのだから、わたしの此の一日の寂滅の安らかな座禅こそは、まさしく仏が仏と成るための揺るぎない基盤である。
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わたしの一日の中の仏道修行はそのまま諸仏の仏道修行になっている。そういう自覚がわたしを嬉しくさせている。
わたしと仏は、同体なのである。大の中に含まれている微細ではあるけれども、同心円である。
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その己を愛すべし敬うべし、と。諸仏に喜ばれているその己を愛しむべし尊ぶべし、と。
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