「正覚大音 響流十方」
仏説無量寿経上巻中「讃仏偈」より
しょうがくだいおん こうるじっぽう
正覚の大音は十方に響いて流る
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阿弥陀仏はいまだし修行中の身であった。法蔵菩薩と名乗っておられた。世自在王仏を師としておられた。苦悩する衆生を救済するためにはそれができる仏と成らねばならなかった。無量光と無量寿を差し延べねばならなかった。仏国土を建設し、そこに人々を招いて、安楽の法門を説かねばならなかった。讃仏偈の仏とはこの世自在王仏のことである。
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1
正覚とは正しい覚り、いま世自在王仏の説かれている教えの内容である。それが大音声になって、宇宙中、十方のあらゆる国々に響き渡っている、というのである。
2
法蔵菩薩はそれをお聞きになっていよいよ奮い立っておられる。衆生救済のお誓いをますます強くしておられる、そういう行(くだり)だ。
3
ふっとそれをさぶろうも聞いてみたくなったので、これをここに書いてみたのである。耳朶を立て耳を傾け全神経を集中して正覚の大音を聞きたいのである。
4
十方の国々に響き割っているのだから、当然この娑婆世界にもその正覚の大音は届いて来ているはずである。彼の仏は自在者である。すべての世界(世)を自在に行き来する王者である。当然仏は無量寿であって無量光を放っておられる。それを受けたものはその功徳を身に受けるのである。聞けないはずがないのである。
5
菩薩でもない者がそんなことを思い立つとは身の程知らずだ。傲慢だ、不敵にもほどがあるとしかられるだろうか。讃仏とは仏のご威徳を讃えることである。長い長い讃仏の修行の後にしか聞こえて来ないのかもしれないが。
6
今日空に響き渡った雷ほどの大音ではあるまい。海の潮鳴りほどの響きではあるまい。鹿児島桜山の爆発ほどの瞬間でもあるまい。
7
偈には「震動大千」ともある。大千とは大千世界のことである。正しくは三千大山世界のことである。天上界から地獄界までが一小世界。その千倍が一小千世界、その千倍が中千世界、その千倍が大千世界である。それだけの広大極まる世界に鳴り響く音声である。鳴り響く声でもって三千大千世界が震動して止まないというのである。聞こえないはずがないではないか。
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