1)
「道心」とは己を仏にするこころである。己の悪、悪の己を修正する覚悟のことである。修錬することである。修錬するには逆風が適しているはずである。
2)
しかし、逆風と言えるかどうか。悪の己に最も適した風が吹いているだけかもしれない。
3)
生老病死は順風か逆風か。生老病死の苦しみは寧ろ己の悪に沿ったものなのかもしれない。順風の楽ではここは乗り越えられそうにはない。逆境苦で以てしかここを乗り越えられないのではないか。それだけの必死さが不可欠なのかも知れない。逆境苦は人を真摯にし誠実にするからだ。
4)
病むこともそうなのではないか。己の悪を超えていく道なのではないか。
5)
それのみが己の悪に向かい合う手段なのではないか。それすらも逃げて遠離りたいが、逃げてばかりでは完遂できないのではないか。道心が生まれてこないのではないか。などとも思う。
6)
人の一生で人は己を一段階高くするように仕向けられている。とすればそれだけの覚悟が必要になってくるのかもしれない。苦境に向かい合うことが不可欠なのかもしれない。
7)
己の意思で以てそれを選択できない者は、それを強制せしめられるのかもしれない。不承不承悪事を己に迎えることになるのだが、結果的に見るとそれで無駄な一生を送らずに済んでいるのかも知れない。道心が生まれて修行の実践がなされたことになるのかもしれない。
8)
楽な生き方ばかりを狙って暮らしている己には、しかし、それが結果的に己のレベルアップになるとしても、そうだとしても、苦境逆風悪事を己に向けることはできない。
9)
都合のいいことばかりで、その楽の連鎖で、急流を越していきたいと念じて、己は暮らしているのである。恥ずかしい話だが、これでやってきた。
10)
そういう己には道心が沖を走る船の影にしか過ぎないのは至極当然なことなのである。
*
あれこれ無責任男はいろんなことを考える。仏典を読経しながらいろんなことを考えた。どの道もどの道も、仏陀が、仏の法が、そこを歩くわたしをそれで以て懸命に仏にしようとしているのだ。
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