昨日のこのブログ<おでいげにおいでおいで>の閲覧者数は122p、訪問者数は61人と記録されている。
<彼女の愛を受け入れる>なんて、いろっぽくせまったタイトルのせいだろう、これは。
「ううん、騙されたっ」って悔しがって引き返して行かれただろうな。ごめんなさいね。
この年齢である。いろっぽいことは書けない。
理屈っぽことしか書いていない。これは反省である。
いろっぽいことを書けたら書いた方がいいのである。
人生からいろいろの<いろ>を脱色したら、色艶もなくなって、かさかさになってしまう。
*
その大切なみずみずしい<いろ>を保っておく秘訣が、どこかにあるにちがいない。
形にあらわれる<からだ>に保っておけないのなら、形のない<こころ>に保っておけそうにおもえる。
そういうビューテイーサロンがあってもいいだろう。そこへ行けば若々しくみずみずしく、春の精になれるというような。
*
なこともない。
それは長く生きないということである。
*
100才までの人生を1回生きるのに100年を与えられる。
でも、20才までの人生だったら同じ年月で5回を体験できるのである。
100才 x 1回 = 100年
20才 x 5回 = 100年
計算上ではこうなる。どちらを選択してもよかったのである。
20才で亡くなったらあまりにもそれは悲しいことだ、というふうに現実では考えて、そう言う人は不幸の極の人と憐れまれるだろうけどね。
*
長く長く生きたいと考えて、いのちにしがみついている人は、人生は一度しかないと固く硬く信じている人である、とは言えまいか。
人生が、たとえば、何度でも生きられるというのであれば、人はどんな選択をするのだろう?
*
さて、今日はここまでとする。
彼女の愛を受け入れるところは、実はこの人生だけではない。一つ先の駅のあの世でも受け入れられる。
ぼくの考えだとそこでは仏陀に、仏陀の愛に受け入れられる。
二つ先の駅のあの世のあの世でも受け入れられる。仏陀はガンジス川の砂の数ほどもおられて、それぞれが理想とする国土を建設しておられる。
そこの仏国土の仏陀の愛に受け入れられる、そういうことに設定されている。
そこを旅して行くことになっている。仏陀の国は無限数あるので、旅も無限数∞である。
われわれは無限数の旅をして行くから、したがって、楽しみは若さの楽しみだけではない。無限数の楽しみが待っていることになる。愛の形も無限数である。
(あ、仏教では、<愛>とは執着のことであるから、<慈悲・いつくしみとかなしみ>としなければならないかもしれない)
<彼女の愛を受け入れる>なんて、いろっぽくせまったタイトルのせいだろう、これは。
「ううん、騙されたっ」って悔しがって引き返して行かれただろうな。ごめんなさいね。
この年齢である。いろっぽいことは書けない。
理屈っぽことしか書いていない。これは反省である。
いろっぽいことを書けたら書いた方がいいのである。
人生からいろいろの<いろ>を脱色したら、色艶もなくなって、かさかさになってしまう。
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その大切なみずみずしい<いろ>を保っておく秘訣が、どこかにあるにちがいない。
形にあらわれる<からだ>に保っておけないのなら、形のない<こころ>に保っておけそうにおもえる。
そういうビューテイーサロンがあってもいいだろう。そこへ行けば若々しくみずみずしく、春の精になれるというような。
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なこともない。
それは長く生きないということである。
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100才までの人生を1回生きるのに100年を与えられる。
でも、20才までの人生だったら同じ年月で5回を体験できるのである。
100才 x 1回 = 100年
20才 x 5回 = 100年
計算上ではこうなる。どちらを選択してもよかったのである。
20才で亡くなったらあまりにもそれは悲しいことだ、というふうに現実では考えて、そう言う人は不幸の極の人と憐れまれるだろうけどね。
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長く長く生きたいと考えて、いのちにしがみついている人は、人生は一度しかないと固く硬く信じている人である、とは言えまいか。
人生が、たとえば、何度でも生きられるというのであれば、人はどんな選択をするのだろう?
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さて、今日はここまでとする。
彼女の愛を受け入れるところは、実はこの人生だけではない。一つ先の駅のあの世でも受け入れられる。
ぼくの考えだとそこでは仏陀に、仏陀の愛に受け入れられる。
二つ先の駅のあの世のあの世でも受け入れられる。仏陀はガンジス川の砂の数ほどもおられて、それぞれが理想とする国土を建設しておられる。
そこの仏国土の仏陀の愛に受け入れられる、そういうことに設定されている。
そこを旅して行くことになっている。仏陀の国は無限数あるので、旅も無限数∞である。
われわれは無限数の旅をして行くから、したがって、楽しみは若さの楽しみだけではない。無限数の楽しみが待っていることになる。愛の形も無限数である。
(あ、仏教では、<愛>とは執着のことであるから、<慈悲・いつくしみとかなしみ>としなければならないかもしれない)